海のベットは沈まない。

 10月31日、少し曇り。やはり、夏休みは続いている。


 もう僕の学校では中間テストは終わっただろうか? いや、もはや期末テストが近いのかもしれない。どの道僕には関係ない。


 これは中間テストでも、期末テストでも学校に行っていないのだから、それに思いをはせることは意味が無いということではない。どんなテストだとしても、僕には焦ることが無いという意味だ。


 僕は賢い。


 少なくとも今まで出会ってきた人間の中では1番僕が賢い。その証拠にもう中学の内容は頭に入っているし、高校範囲もある程度は理解している。だから、学校に学問を学びに行く必要はないのだ。


 だから、学校は集団行動を学ぶ場であると思っている。学校、学年、クラス、クラス内のグループ。そんなマトリョーシカのような集団の集団の中をその構成要素として生きるためのすべを学ぶ場だ。


 まあ、僕はその集団を一時的に抜け出したわけだ。それもまたいいだろう。だって、本番である現実社会はもっと流動的な集団だ。


 学校を会社と置き換えるならば、社員は転職もするし、辞職もする。単純に会社と言う集団になじめなかったり、自分の夢を追いかけたりと様々な理由で、集団を抜け出したり、入ったりする。


 そんな流動性が学校で認められないのは、少し不平等だ。


 子供も大人も平等な社会になるなら、僕の行動も正当化されるべきだ。何の偏見もなく受け入れられるべきだろう。


「釣り糸、変えたの?」


 その声は昨日の彼女の声だった。彼女は昨日と同じく、白いワンピースに白いサンダルの格好だった。


「ええ、力さえあれば、地球を釣り上げられるほどの強い釣り糸を新調しましたよ。」

「なるほど。じゃあ、頑張って、地球を太陽系の引力から抜け出させることもできる訳ね?」

「すいませんがそれはできません。僕は天動説を信じているのでね。」

「異端だねぇ。現代じゃ逆に処刑されちゃうよ。」

「自分の信じるものは死んでも曲げませんよ。」

「素晴らしいね!


 ……隣いいかな?」

「どうぞ。」


 彼女はそう言って、僕の隣に座る。やはり、腕の触れる位置に座ってくる。距離感はバグったままだ。僕はもうこれに突っ込むことはしない。僕は賢いから、2度も同じ負けをしないのだ。


「で、現代のガリレオ君は魚は1匹でも釣れたのかな?」

「心の綺麗な人にしか見えない魚は大量に釣っていますよ。見ますか?」

「じゃあ、君はどうやって自分でも見えない魚を釣ったのかな?」

「昨日も言った通り、僕は純粋無垢な穢れ無き人間ですよ。」

「穢れ無き人間なら、天動説は信じないんじゃない?」

「そうですか? 


 何も知らない地球の住人が地動説を信じる方が、汚れているように思いますけどね。」

「それは過去が舞台設定の話ね。科学の進んだ現代で天動説を信じる人間が純粋無垢な人間とは言わないわよ。」

「なぜですか?」

「だって、現代じゃ、小学校で地球は太陽を回っていることは勉強するでしょ。なら、純粋無垢な少年なら、他人が好意で教えてくれたことを無心で信じるでしょうね。


 日本の領空を外来種のトナカイで侵入して、航空法とワシントン条約をぶち破りながら、日本の子持ち世帯を一夜で回る不法侵入爆速おじさんことサンタクロースや日本に200匹程度しかいないのに、毎年80万人以上の赤ちゃんを運んでくる過労死絶滅危惧種ことコウノトリの存在を簡単に信じてしまうほどだから、簡単に地動説を信じるでしょうね。


 それでも、君は天動説を信じているなら、他人を疑う心を持っているということよ。


 なら、そんな疑心を持った人間は純粋無垢とは言えないのよ。」

「……。」

「2勝目ね。」

「はあ、こんな平日の真昼間に1人で釣りをする駄目人間に勝ったからって何になるって言うんですか?」

「負けるより勝つことの方が難しいのよ。」

「それは大体のことはそうでしょうけどね。」

「だから、どんなに小さな勝ちも嬉しいと感じておかなきゃ損よ。」

「貪欲ですね。」

「ええ、貪るわ。


 ……じゃあ、負けた罰として、地球を釣り上げてみてよ。」

「今、地球に立ってるんで無理です。」

「じゃあ、地球の代わりに何か釣ってよ。」

「じゃあ、今からあなたを突き落とすんで、釣り針を口で咥えてください。そしたら、僕があなたを釣り上げますよ。」

「寝かせてくれるの?」

「は?」

「海のベットに。」

「……昨日から気になっていたんですけど、海のベッドって何ですか?」

「それは、海の底で眠ることよ。」

「寝苦しそうですね。」

「エラ呼吸したらいいのよ。」

「確かに。」

「海のベッド良いわよ。


 だって、どんな集団にも属していないもの。」

「どういうことですか?」

「海のベットで寝ている時だけは、地球から解放されるのよ。」

「まだ分かりづらいですね。」

「私達はどう頑張っても、1人にはなれない。


 だって、人は生きているだけで何かの集団に属しているから。


 友達、会社、市区町村、都道府県、国、世界、地球、太陽系、銀河系……


 人がどれだけ逃げても、どこかの集団に属してしまう。特に、ほとんどの人は地球という集団から抜け出すことは叶わない。


 なぜなら、地球には重力があるから。


 人はどれだけ自由に生きたとしても、地球の重力から自由になることは出来ない。それは抗うことのできない物理法則。


 友達や会社なら、辞めると言えば、集団を抜け出すことは出来る。国も飛行機や船を使えば集団を抜け出すことができる。


 地球もロケットを使えば抜け出すことが出来るけど、必ず地球に帰らなければならない。


 地球には引力があるから。


 人は生まれつき、地球の引力に依存している。だから、地球を離れても戻ってくる。それは万有引力のことわり


 でも、海の中は地球に依存していない気分になるの。


 海の中は浮力があるの。ふわりと上へと浮き上がることができるのよ。それはまるで、地球の引力から解放されているかのよう。そして、万有引力の理すらも超越しているかのよう。


 そして、海の中から空を見つめれば、宇宙が見える。きっとその時の海の中にいる感覚は、地球の集団から抜け出して、太陽系の集団からも、銀河系の集団からも抜け出しているような何にも縛られない真の孤独。


 あらゆる集団から抜け出したたった1人の私。


 そんな自由な世界に足を踏み入れてみたいのだけれどね……。」

「いつだって踏み入れられるじゃないですか? 何なら、今からでも。」

「そうね。でも、私は出来ないのよ。


 いつも海面を見つめて終わり。」

「……。」

「私は結局抜け出せないのよね。


 いつだって、何かの集団から抜け出すことは勇気がいるものなのよ。」

「なら、背中を押してあげましょうか?」

「……その言葉無しに突き落としてくれれば、100点だったわ。」

「生憎、そんな強引さは持ち合わせていないヘタレなんですよ。」

「でも、いつか私の背中を押してね。


 私がいなくなる前に……。」


 彼女はそう言うと、堤防から立ち上がる。


「またね。明日もこの時間に会いましょう。」

「今頃にはなるけど、君の名前は?」

「……本当に今頃ね。


 私の名前は、空岡優海。」

「僕は大地蒼空。」

「でも、名前なんて必要ないかな?」


 彼女は静かに笑うと、堤防を去った。


 彼女は僕みたいに目の前の集団だけを見ていなかった。地球規模、宇宙規模の集団すらも包含する壮大なスケールの集団を見ていた。


 彼女はその集団を抜け出したいと願っていた。


 なぜ、彼女はその集団を抜け出したいと願っているのだろうか?


 僕はそのことを考えながら、地球の集団から抜け出した釣りウキを眺めていた。

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