第6話 パスカット
五年生になって、わたしは地元の女子のミニバスケットボールのクラブに入った。
お母さんと、カナばあちゃんにすすめられたのだ。
多摩に引っこしてから、陸人は、もう元気いっぱいのワンパク小僧になって、サッカーばかりしていた。わたしはというと、あまり友だちもいなくて、勉強もそんなにはできず、ひいばあちゃんちに行く以外にやりたいこともなかった。
きっとわたしにも、何か得意なことがあればと思ったのだと思う。
そんな風に始めて、あまり運動が得意でもなかったので、とうぜん試合のときは、いつもベンチにいた。
でもある日、もうボロボロに負けていた練習試合の後半になって、試合に出してもらったときに、
(あっ、ここにボールが来る。)
と思って飛び出したら、そこに相手チームのパスが飛んできた。
まるで見方からパスを受けとるように、相手チームからボールを受け取っていた。
相手チームだけじゃなくて、味方のチームもコーチも、
「えっ?」
とびっくりしていた。
いっしゅん体育館の空気がかたまったようになった。
なによりボールを受け取ったわたしが、一番びっくりしていた。
「日奈子、パスッ!」
六年生の平松センパイに言われて、あわててセンパイにボールをパスした。自分じゃドリブルもシュートもうまくできないから。
その日、わたしは初めて、『自分はパスカットが得意だ。』と分かったのだ。
うまく説明はできないけれど、パスがどこにいくのかが、とつぜん分かる。
でも、たぶんほかの人だって、パスをカットする時は、そんなふうに思っていると思う。
ただ、パスカットの回数が、ほかの人よりは多かった。
パスカットに飛び出すタイミングが分かり始めると、もっとパスカットができるようになった。正直言うと、自分でもびっくりするくらい、相手のパスをカットしてしまうときもあった。
でも、平松センパイやコーチから、
「日奈子、ナイスカット!」
と言われると、ものすごくうれしかった。
わたしの力が、役に立っているんだと初めて思えた。
わたしたちのミニバスのチームでは、一人だけ、平松センパイがめちゃくちゃうまかった。わたしとはちがう小学校の六年生で、どちらかというと背は小さいほうだけれど、ドリブルがうまくて、するするっと相手チームの間を通りぬけて、ふわっとランニングシュートを決めて来た。
相手のディフェンスがはなれると、遠くからスパッとロングシュートを決めた。
ときどき知らない大人の人が、わたしたちが練習をしている体育館に来て、わたしたちのコーチと何か話をして帰って行くことがあった。
コーチは何も言わなかったけれど、
「あれって、私立中学の、バスケの強豪校の監督だよ。」
とチームメイトの子が言っていた。
もちろん、平松センパイを見に来ていたのだと思う。
もう一人、同じく六年生で、ひょろりと背が高くて175センチくらいある岡田センパイがいた。平松センパイのようにめちゃくちゃバスケがうまいわけじゃなかったけれど、運動は得意で、手足が長くて、走るのが速くてジャンプも高かったから、リバンドは負けなかった。
平松センパイと岡田センパイで点が取れるので、その年、わたしたちの女子ミニバスケットチームは、そこそこ強かった。
そこにわたしが入って、相手のパスをどんどんカットするようになると、チームはなんだか急に強くなった。
あれよあれよと勝ち進み、とうとう市の大会で準優勝してしまい、東京都の大会に出場することになった。チームの仲間も喜んでいたけど、お父さんお母さんたちの方がもっとワーワーさわいでいたように思う。
そんな時、ひいばあちゃんからメールがとどいた。
きっと、カナばあちゃんから話を聞いたのだ。
わたしは、ひいばあちゃんも喜んでいるんだと思った。
でもメールには、
「日奈子、あんまり力を使ったらいけんで。」
と書いてあった。
わたしはあわてて、
「力なんか使ってないよ。」
とメールを書いた。
でも、送信しなかった。
自分では、みんなと同じようにミニバスをやっているだけだと思っていた。特別なことをやっているのではないと思っていた。
いや、思いこもうとしていた。
でも、本当は、心のすみで気がついていたと思う。相手のパスが、次の次の次にどこへ行くか分かるなんて、よく考えればちょっとおかしい。
でも、今さらやめるなんてできなかった。
「ひいばあちゃんに言われたから、パスカットはもうできません。」
なんて言えない。
コーチも、チームのみんなも、お父さんやお母さんたちも、
「都大会で優勝しちゃったら、どうします?」
「全国大会ってなったら、お金かかるわよね。」
「そうですけど、全国なんて、一生に一度でしょ。」
なんて、半分じょうだんで、半分本気で、ニコニコ笑いながら言っていた。
平松センパイは、ぜんぜん目が本気で、
「都大会、いけるよ。勝てるよ。」
と言っていた。
冬休みは、都大会に向けて練習することになった。
だから、ひいばあちゃんちには行かなかった。
おじいちゃんとカナばあちゃんは、いつもの通りひいばあちゃんちで年をこした。
元旦に、ひいばあちゃんちから電話がかかってきたけれど、わたしは疲れた、ねむいと言って電話に出なかった。
「都大会が終わったら、みんなで、ひいばあちゃんに会いに行くから。楽しみにしてて。」
と、お母さんがスマホで言っているのを、コタツでねころんで聞いていた。
ひいばあちゃんに何か言われるのが、こわかった。
抽選で、一回戦の相手が、優勝候補のチームになってしまった。
でも、わたしたちは勝つ気で練習していた。
ところが、年が明けると、大変なことになった。
岡田センパイが、練習に来なくなったのだ。
最初は、『風邪でも引いたのかな。』くらいで思っていたけど、どうもコーチや、お父さんやお母さんたちの様子がへんだった。
「平松、何か聞いてないか?」
そうコーチに聞かれた平松センパイも、何も聞いてないみたいだった。
結局、分かったのは、岡田センパイのうちは、急に引っこしてしまったということだった。わたしは、引っこしたというよりも、とつぜん消えてしまったという感じがしていた。でも、小学生のわたしには、それ以上のことは分からなかった。
岡田センパイがいないと、リバウンドが取れない。
チームのメンバーにも、お父さんやお母さんたちにも、もうダメだなっていう空気が流れていた。
でも、平松センパイの心は折れなかった。
「だいじょうぶ。日奈子がパスカットしてくれれば、全部わたしが決めてくるから。シュートはずさなければ、リバンドが取れなくたってだいじょうぶでしょ? みんなで力を合わせれば、ぜったいいけるよ。」
都大会の一回戦の日、岡田センパイがぬけて、わたしは初めてスターティングメンバーに選ばれた。わたしは、平松センパイみたいに、ずっと試合に出続けていられるほどのスタミナがなかったから、それまでは、とちゅうで交代して試合に出ていた。
試合が始まると、当然相手チームは、平松センパイをひつこくマークしてきた。
だけど平松センパイは、わたしがパスをカットしたボールを受けとると、だれにもパスせず、得意のドリブルでディフェンスをかわして、シュートを決めて来た。
「日奈子、ナイスカット。」
そう、平松センパイに言われると、うれしかった。
(ぜったいに勝つんだ。)
と思った。
平松センパイのかつやくで、前半を四点差で折り返した。
「いける、いけるよ。」
平松センパイは、肩で息をしながら、みんなに言った。
コーチもベンチも応援席も、『ひょっとしたら、いけるんじゃないか。』っていう空気になっていた。
ところが後半になると、わたしが、うまくいかなくなった。
相手のパスをカットすると、わたしは相手チームの二人に囲まれてしまった。
初めてのスターティングメンバーで、わたしは、つかれて息があがって、だんだん足も動かなくなってきていた。
それでも、なんとかパスをカットした。
でもその後、無理にドリブルで動こうとしたり、平松センパイにパスをわたそうとすると、相手チームにボールを取り返されてしまった。平松センパイ以外のチームのメンバーにパスを出そうとすると、今度は三人に囲まれた。
平松センパイも、それを分かっていて、わたしがパスカットすると、すぐにかけよってきて、手わたしでボールを受けとろうとした。
でも、それも相手チームにすぐに読まれてしまう。
(どうしよう。どうしたらいいの。)
わたしはあせった。
でも、あせればあせるほど、相手のパスがカットできなくなった。
どんなに目を見開いても、相手のパスがどこへ行くのか、ぜんぜん分からなくなってしまった。
(なんで? どうして急に?)
はあはあ息を切らしながらそう思っても、もっとあせるばかりで、どうしようもなかった。
タイムアウトのときに、
「相手は、全員でパスを回してるから、パスカットはむつかしいと思うけど、日奈子、がんばって。わたし、ぜったい決めて来るから。」
と、平松センパイに言われた。
でも、
(がんばらなきゃ。がんばらなくちゃ。)
と思うほど、何もできなくなった。
わたしは、自分で、自分の力をしぼり出したりできなかった。
つかれはてて、パスカットに行こうとして、足がもつれて、ころんでしまった。
後半のとちゅうで、わたしはベンチに下がった。
パスカットができなければ、わたしは他のメンバーよりもずっと下手だ。
ベンチで、センパイたちを応援しながら、心の中のもやもやが止まらなかった。
(ひいばあちゃんが、あんなメール送って来るからだ。それで、パスカットできなくなったんだ。)
本当は、ひいばあちゃんのせいなんかじゃないと、自分でも分かっていた。メールが来てからも、試合の前半も、ちゃんとパスカットできていたのだから。
でも、このままだと試合に負けてしまう。
それを、だれかのせいにしたかっただけだ。
どんなに平松センパイががんばっても、バスケはチームで戦うスポーツで、ひとりで戦うスポーツではない。
ひとりじゃ、勝てない。
結局、後半引きはなされて、大差で負けた。
わたしたちのチームの都大会が終わった。
都大会が終わっても、わたしはひいばあちゃんに会いに行かなかった。
お父さんの仕事がいそがしかったり、陸人が風邪をひいてねこんだり、それがお母さんにうつったり、土日に大雪で道が止まってしまったり、がけくずれで道路が通れなくなったり。
いろんなことがあって、ひいばあちゃんちには行けなかった。
でも、行こうと努力もしなかった。
わたしは、ひいばあちゃんに電話もしなかったのだ。
「そげなことにつこうたけん、日奈子の力は、もう、のうなってしもうたんじゃ。」
そう言われるのがこわかった。
『こんな力なんか、なければいい』と、何度も思ったのに。本当はひいばあちゃんのせいじゃないのに、ひいばあちゃんのせいにしていた自分もいやだった。そういういやな自分をみとめたくなかった。
ひいばあちゃんと話したかったけれど、話したくなかった。
結局、わたしはひいばあちゃんには会わずにいた。
そのかわり、わたしは柊さんに会った。
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