第5話 柊さん
柊さんに初めて会ったのは、四年生の冬休みに、ひとりで、ひいばあちゃんのところへ行った時だった。
柊さんは、わたしのお母さんよりも年上で、カナばあちゃんに近いくらいじゃないかと思う。いつも小さな濃い緑色の丸っこい自動車を自分で運転して、ひいばあちゃんちにやって来た。ちょうど、となりの高橋さんが、ひいばあちゃんが駅前のスーパーで買ったしょう油やお米なんかを車で運んで来てくれていて、
「日奈子ちゃん、柊さんはね、有名な作家さんなんだぞ。」
と教えてくれた。高橋さんは、柊さんの乗っている車をうらやましそうに見ていた。
「これ、ドイツの有名なクラシックカーなんだよ。いいよな、これ。」
柊さんは、背筋がピンとのびてすらっと背が高く、いつも、すっきりとしたまっすぐな声で話す。初めて会ったときは、ハイネックのモスグリーンのセーターに、ロングコートをさらりと着ていた。
柊さんは、何を着てもかっこよく見える。
初めて会ったときから、わたしのあこがれの人になった。
だから、その日、ひいばあちゃんに、
「今日は、柊さんも泊って行くけえ、夕ご飯は三人でじゃな。」
と言われて、なんだかうれしくて、ドキドキした。
柊さんは、知り合いの画家さんにさそわれて、分野の工芸センターで開かれていた、絵や陶器の展示会を見に来たのだそうだ。柊さんは作家さんだけど、趣味で絵を描いていて、展覧会で何度も入選している。
「それでね、そこにかざってあった清子さんの墨絵を見て、『あっ、わたし、この人に会わなくちゃいけない。』って思ったの。それで、清子さんの家を教えてもらって、車を運転して、すぐに清子さんに会いに来たのよ。今考えたら、すごくめいわくな人よね。」
柊さんがたずねてきて、めいわくだって思う人なんかいないと思う。
ひいばあちゃんと柊さんと高橋さんが、お茶を飲みながら話をしている間、わたしは庭でブランコをこいでいた。いっしょに話を聞きたかったけれど、柊さんといっしょのテーブルにすわるのが、ちょっとはずかしかった。
ボーン、ボーン、ボーン、ボーン
ひいばあちゃんちの中から、柱時計の音が聞こえた。
山の冬の夜は早い。
夕ぐれだと思っているうちに、あっという間に暗くなり、星が見え始める。
今にも空からこぼれ落ちそうなくらい、たくさんの星が見えてくる。星のうかぶ空は、どこまでもどこまでも透明で、ずっとずっと遠くまで続いているようで、でも手をのばせば、星に指先がとどきそうな気がした。
カラ、カラカラカラ
ひいばあちゃんちの玄関の引き戸が開く音がして、
「いや、すっかりおじゃましちゃって。」
と高橋さんが出てきた。
「それじゃあ、あさって、また来ます。」
と言って、自分の車で帰って行った。
しばらくして、
カラ、カラカラカラ
また、玄関の引き戸が開く音がした。
今度は、コートを着た柊さんが出てきた。
足音をしのばせながら、そうっとこっちへ近づいてきて、
「ねえ、わたしもブランコに乗ってもいいかしら。」
と、小さな声で言った。
まるで、見つかったらしかられると思っているかのように。
わたしがうなずいて、ブランコをおりようとすると、
「いいのいいの。となりで、いいから。」
と言われた。
(えっ!)
どぎまぎして口ごもっていると、柊さんがとなりにすわろうとするので、わたしは少しおしりをずらした。
柊さんはブランコにすわると、ゆっくりと小さくゆらし、空の星を見上げて言った。
「ここは本当にいい所よね。最高の場所だわ。わたし、日奈子ちゃんのひいおばあさんに会えて、本当によかったわ。」
「日奈子、もう、うちの中に入りんちぇ。カゼひくで。」
と、うちの中からひいばあちゃんの声がした。
「はーい。」
と、わたしと柊さんでいっしょに返事をした。
ふたりで顔を見合わせて、ふたりでクスクス笑った。
寒い寒いと手をすりあわせながら、いっしょにひいばあちゃんちの中にもどった。
うちの中は、柱のお札がふんわりと光っていて、あたたかかった。
台所の柱時計が、コチ、コチ、コチと、時をきざんでいた。
夕ご飯を食べているとき、柊さんが、
「清子さんの絵は、なんていうか、見ているだけでほっとするんですよね。でも、それでいて、とってもきびしい絵なんです。見ていると、見たくなかった自分をみつけてしまうんです。」
と言うと、ひいばあちゃんは、
「なんも、わたしの絵なんか、ただの遊びじゃけん。」
と、立ち上がって、お茶を入れに行ってしまった。
わたしは、ひいばあちゃんが照れているのを初めて見た。
夕ご飯の後、柊さんとひいばあちゃんは、台所のテーブルでお茶を飲みながら、夜おそくまで話しをした。
わたしもいっしょにテーブルにすわって話を聞いていた。
ひいばあちゃんも柊さんも、わたしに『あっちで遊んで来なさい。』とか、『先にねてなさい。』とは言わなかった。
ふたりの話は、小学生のわたしには良く分からないことも多かった。とくに、ひいばあちゃんの言う『時空』の話になると、わたしには、ちんぷんかんぷんだった。
「過去にもどれたら、過去を変えられるんじゃないんですか?」
柊さんにそう聞かれ、ひいばあちゃんは、お茶をすうっと飲んでから、ゆっくりと話し始めた。
「時間をさかのぼって、過去に何があったかを知ることはできるかもしれんと思っちょります。じゃけんど、過去を変えようとしても、『時空』はゆるさんと思います。」
「ジクウ?」
わたしが言葉をはさむと、ひいばあちゃんはメモ用紙を持って来て、漢字で『時空』と大きく書いて見せてくれた。
「『時空』っちゅうんは、『時間』と『空間』のことじゃ。『時間』と『空間』は、ほんまは一つなんじゃ。過去へもどったもんは、ほんまじゃったら、その時間と空間にはおらんかったはずのもんじゃ。じゃから、『時空』にしてみたら、体の中に入ったばい菌みたいなもんなんじゃ。」
説明してもらってもよく分からなかったけれど、ひいばあちゃんが、小学生のわたしにもちゃんと説明してくれていることがうれしかった。
ココアを飲みながら台所の窓の外を見ると、ちらちらと雪がまっていた。
コチ、コチ、コチ
柱時計が、時を刻み続けていた。
「『時空』はな、生きとるんじゃ。」
ひいばあちゃんはわたしに言ったのだけれど、柊さんのほうがびっくりしていた。
「生きているんですか?」
「ええ、生きとるんです。わたしらが生きとるっちゅうんとは、ちいとちがうんじゃけんど、それでも生きとるんですよ。生きとるけん、体の中にはいったばい菌は取りのぞこうとしよります。もし過去へまぎれこんだもんがおったら、『時空』は消そうとするじゃろうと思います。人が、傷口から体ん中に入ったばい菌を、取りのぞこうとするんとおんなじです。じゃから、もしまちがって過去へまよいこんでしもうたら、なるべく早う、『時空』に消される前に、今にもどって来んといかんのです。」
「過去を変えようとしたら、死んでしまうっていうことですか?」
「いや、消されるんじゃないかと思っとります。最初から、おらんかったように。」
「最初からいない?」
「生まれてきたことも、無かったことになるんじゃろうと思います。ほいじゃけん、死ぬっちゅうこともないです。」
「なんだか、こわい話ですね。」
柊さんがふうっと大きく息をついて、湯呑を両手で持った。
「万が一、だれかが過去にもどって過去を変えたりしよったら、そりゃあ『時空』にしてみたら、えらいケガをしたみたいなもんですけん。『時空』はできるだけ早う、ケガの手当てをしよると思います。人も動物も、植物じゃって、ケガしたら治そうとするんとおんなじです。」
「じゃあ、タイムマシンで過去にもどれたとしても、過去を変えたりはできないんですね。」
「タイムマシンですか?
まあ、そげなことは、考えん方がええと思います。
もし万が一にでも、たとえ過去の何かを変えることができたとしても、『時空』は、できるだけそれ以外のところは変わらんようにしよりますけん。過去の何かを変えることで、そこから先の未来を自分の都合のいいように変えるっちゅうようなことは、簡単にはできんのじゃないかと思っちょります。」
話がむつかしくなって、よく分からなくて、わたしはいつの間にかうとうとしてしまっていた。
目を覚ますと、もう朝で、布団の中だった。
朝ご飯がすむと、柊さんは、
「残念なんですけど、仕事があって、今日はこれで。」
「またいつでも、来てつかあさい。」
「はい、ぜひ。」
と、かわいい濃い緑色の自動車で帰って行った。
その後、ひいばあちゃんとブランコに乗っているときに、ひいばあちゃんが言った。
「不思議なもんじゃな。この年になって、ちゃんと話ができる人に会うなんてなあ。」
「ひいばあちゃん、過去って変えられないの?」
すると、ひいばあちゃんはわたしをじっと見て言った。
「日奈子は、過去を変えたいんか?」
そう改めて言われると、変えたくなるような過去なんか無いような気もした。
たしかに、いやなことはたくさんあった。
でも、こうして今、ひいばあちゃんとブランコに乗っていられるんだから、それでいいんだと思った。
「ええか日奈子、過去を変えたかったら、未来を変えんちゃい。」
「ええ? 未来を変えるの?」
「そうじゃ。未来は決まっとらんけん、あんたが努力すれば、なんぼでも変えられる。」
「でも、過去は変えられないんでしょ?」
「たとえばじゃ、もし今日、あんたのテストの点が悪くてクラスのみんなに笑われたとしょうか。ほんじゃったら、あんたは今日から一生懸命勉強して、次のテストでええ点を取ったらええんじゃ。ええ学校に合格したらええんじゃ。そしたら、クラスのみんなに笑われたことは、いやな思い出にはならん。あんたがええ学校に入るきっかけを作った、ええ思い出になる。今日学校で足をひっかけられたり、後ろから背中を押されてころんだりして泣いてしもうても、明日からあんたが体をきたえて強うなったら、それは悪い思い出にはならん。あんたが変わるきっかけを作ったええ思い出になる。あんたがこれから一生懸命に生きとったら、あんたの過去は、どんどんええ思い出に変わっていくんじゃ。
そいでん、もしあんたがなまけて未来をだめにしたら、あんたの過去は、ずっといやな思い出のままになるんじゃ。」
わたしは、ふ~んって、うなずいておいた。
ひいばあちゃんの言いたいことは、なんとなく分かるような気もした。
けれど、本当は、
(でも、わたしがクラスのみんなに無視されたことは、いつまでも変わらないよ。)
とも思っていた。
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