第4話 ひいばあちゃん
多摩にもどってきてから、お母さんは陸人をつれて、時々、車で、ひいばあちゃんちに通っていた。もちろん、わたしもいっしょについて行った。
初めてひいばあちゃんちに行った日に、わたしはひいばあちゃんのブランコに出会った。
初めて、ひいばあちゃんのブランコに乗った。
春にブランコにのると、風に乗って、どこからかサクラの花びらが飛んできた。
風の中に、菜の花の香りがみつかった。
「ひいばあちゃんちに行って、ひいばあちゃんに、『よし、陸人は、だいじょうぶじゃな。』って言われると、安心するのよね。」
お母さんが、帰りの車の中でそう言っていた。
お母さんは多摩に引っこしてから、運転免許を取った。
「こっちだと、買い物に行くのにも、車があった方がずっと便利なのよ。」
と言って。でも、自分の車は買っていなかった。お父さんが使わない時に、うちの車を使うか、必要な時には、おじいちゃんのを借りていた。
「ひいばあちゃんちだって、車だとわりと近いのよ。二時間かからないもの。ひいおじいちゃんが、あそこに引っこすことに決めたのは、それが理由の一つかもしれないわね。」
ゴールデンウィークは、お父さんやお母さんがいそがしくて、車では行けなかったので、わたしはひとりで電車に乗って、ひいばあちゃんちに行った。
ひとりで、ひいばあちゃんちに泊まった。
陸人は、地元で、友だちとサッカーをしているほうがいいと言って、ついて来なかった。
「ああ、陸人は、そのほうがええじゃろ。」
と、ひいばあちゃんも言っていた。
電車で行っても二時間かからずに、ひいばあちゃんちの最寄りの駅の『分野(わけの)』に着く。
一時間に一本くらいしかない駅からのバスに乗って、川ぞいの道を二十分くらい上って行くと、ひいばあちゃんちの近くのバス停に着く。そこからさらに山道を十五分くらい歩いて上ると、やっとひいばあちゃんちが見えてくる。
でも、たいていは、おとなりの高橋さんの車に乗せてもらって、ひいばあちゃんが駅までむかえに来てくれていた。
おとなりと言っても、ひいばあちゃんちから高橋さんちまで歩くと、十五分くらいはかかるのだけれど。
学校があって、ひいばあちゃんちに行けないときには、メールのやりとりもした。わたしたちが多摩に引っこしてから、ひいばあちゃんはスマホを買ったのだそうだ。
メールなんかの使い方も、それから覚えたのだと言っていた。
「ぼけんように、指を使わんといけんのじゃ。」
肩がこるからと、あまり長い文章は送って来なかったけれど。
「あの歳でスマホをおぼえるって、それって、すごいことだよ。」
「ひいばあちゃん、日奈子のことが大好きなのよ。」
カナばあちゃんとお母さんにそう言われると、ちょっと、うれしかった。
わたしも、ひいばあちゃんが大好きだったから。
ひいばあちゃんちのある分野の辺りは、ひいばあちゃんたちが引っこして来てからしばらくすると、お皿や茶碗を作ったり、絵を描いたり、草木染をしたりする人がたくさん住むようになったんだって。
今では『工芸村』とよばれていて、ちょっと有名になってきている。
いつの間にか分野には、『工芸センター』もできた。駅からバスが出ていて、お皿や、ガラスの一輪ざしや、小さいタペストリーを作る体験ができる。わたしも一度、高橋さんの車で連れて行ってもらったことがある。
おとなりの高橋さんも、お茶わんや、お皿を作っている。
カナばあちゃんが言うには、
「有名なのよ、高橋郁太郎さんて。お皿が、新宿のデパートに置いてあるわよ。」
なのだそうだ。
ひいばあちゃんは、ご近所の方たちと本当に仲良くしていた。ひいばあちゃんちにいると、しょっちゅう、いろんな人がたずねてきた。野菜を持ってくる人もいたし、小さな子をつれて遊びに来る人もいた。ひいばあちゃんちで、ただお茶を飲んで、話をして帰る人もいた。屋根から雨がもったり、雪をおろさなくちゃいけなかったりすると、電話でお願いしなくても、近所の誰かがやって来て手伝ってくれていた。
「いやあ、こっちこそ。いつも清子さんには、アキラもよくしていただいているので。」
高橋さんは、にこにこ笑いながらそう言っていた。
アキラくんは、高橋さんのうちの子で、陸人より一つ年上だ。
清子さんというのが、ひいばあちゃんの名前だ。
ひいばあちゃんちに行くと、わたしはいつも、ひいばあちゃんのブランコに乗った。
ブランコに乗って、ずっとブランコをゆらしていた。
「ブランコに乗ると、遠くへ行けるじゃろ。」
いっしょにブランコに乗っているときに、ひいばあちゃんが言った。
「ブランコで、遠くに行ける?」
「そうじゃ。ブランコに乗ると、好きなところへ行けるじゃろ? むかしむかしにも、未来の国にも行ける。遠くの知らない不思議な国にだって行ける。そこでなら、好きな自分になってええんじゃ。お姫様にだって、魔法使いにだってなれる。いやんことも、みんな忘れられるけん。」
今なら、ひいばあちゃんは、本で物語を読むのと同じで、空想の中でっていうことを言っていたのだと分かる。
でも、小学四年生のわたしは、
(ブランコは、ずっと同じ場所にあるんだけどな。)
と思っていた。
夏にブランコに乗ると、遠く見下ろす田んぼの方から、風がふき上がってきて、草のにおいを運んできた。ゆれるブランコから見上げる青く高い空には、白い雲がもりもりとふくれあがって、わたしにおおいかぶさってくるようだった。
夏の空にふくれあがる白い雲は、みるみる空をおおいつくして、黒く変わっていった。
昼なのに、世の中が暗くなり、闇につつまれていく。
空がピカッと光り、
ドドドドド、ドドドドド
ガラガラガラ、ドドビッシャーン
と、谷間に大きな音がひびきわたる。
急に雨がザーッとふってきて、わたしはひいばあちゃんちへにげこんだ。
山の向こうの黒い空を二つに切りさくように、白い光の線、雷が落ちる。
ガラガラガラ、ドドビッシャーン
でも、ひいばあちゃんちの中にいれば、こわくはなかった。
ひいばあちゃんちは、お札で守られていたから。
ひいばあちゃんちの柱には、いろんなお札がはってあった。お札には、むつかしい文字や、丸や四角、三角を組み合わせた複雑な図形が書かれていた。
台所の柱には、大きな柱時計がかかっていて、それにも文字や記号が書いてあるお札がはってあった。ひいばあちゃんちにいると、時々、柱時計が、ボーン、ボーンと鳴った。ひいばあちゃんちの中が静かな時は、
コツ、コツ、コツ
と、柱時計が静かに時を刻んでいるのが聞こえた。
「このお札って、ひいばあちゃんちを守ってるんでしょ?」
そうたずねると、ひいばあちゃんは首を横にふった。
「ただの気休めじゃ。ひいばあちゃんの作るお札なんか、なんもききゃあせん。作るもんに力があったら、役に立つんかもしれんけどな。そんなことは、もうなかろうて。」
そうひいばあちゃんは言ったけれど、わたしは、お札はちゃんときいていると思っていた。
「でも、これ、光ってるよ。」
ひいばあちゃんは、ゆっくりとわたしの方を向いて、わたしを見つめて言った。
「日奈子は、お札が光って見えるんか?」
わたしは、大きくうなずいた。
ひいばあちゃんも、わたしを見てうなずいてくれた。
それだけで、肩から、すうっと力がぬけたような気がした。
「ええか日奈子、お札が光って見えることは、ほかの人には話したらいけん。お父さんやお母さんにも、ないしょにしときんちぇ。」
「どうして?」
わたしの声が、ふるえていた。
そんな声を出すつもりなんかなかったのに。
「なんで言っちゃいけないの? なんでダメなの?」
声が、大きくなっていた。むねの奥にかくしてあったものが、声といっしょに口から出てしまっていた。もう、自分でもおさえられなかった。
「なんでわたしは、みんなとちがうの? みんなと、ちがっちゃいけないの?」
ひいばあちゃんが、わたしをぎゅうっとだきしめてくれた。
「なんも悪いことなんかない。日奈子は、悪うない。ひいばあちゃんは、よう知っとるけん。」
ボロボロ涙がこぼれた。止められなかった。
「ひいばあちゃんは、分かるの?」
「ああ、分かる。ひいばあちゃんは、分かっちょる。」
「ひいばあちゃんにも、光って見えるの?」
ひいばあちゃんは、わたしをじっと見て、大きく何度もうなずいた。
「そいじゃけん、日奈子は、ひとりぼっちじゃない。」
わたしは涙をぬぐって、うなずいた。
「じゃけどな、日奈子が悪うなかっても、人っちゅうんはな、自分とちがうもんは、分からんのじゃ。よう理解でけんのじゃ。そんで、自分とちがうもんを、こわがるんじゃ。
そいじゃけん、日奈子が悪うなかっても、かくしとかないけんことはある。
悪うなかっても、うまくやっていかんといけんことはあるんじゃ。
わかるか、日奈子?」
分からなかったけれど、わたしは、うなずいた。
うなずくしか、できることが無かったから。
「お父さんとお母さんにも、だまっとくんじゃ。日奈子のお父さんとお母さんはな、お札は、光っては見えんのじゃ。ふつうの人なんじゃ。じゃけん、あんたがほかの子とちがうんは、いやがるけんな、お札のことは、だまっときんちぇ。」
「お父さんとお母さん、わたしのこと、きらいになるの?」
「あほなこと言いなさんな。そげんことは、ありゃあせん。日奈子のお父さんも、お母さんも、日奈子のことが大好きじゃ。」
ひいばあちゃんは、わたしを見てにっこりと笑った。
「ひいばあちゃんも、日奈子が、大好きじゃ。」
わたしは、ひいばあちゃんにぎゅっとだきついた。
「日奈子、いろんなことが見えても、分かっても、あんまり人には言いなさんな。言うても、ほかの人には変な目でみられるだけじゃ。言うても、ほかの人にはわからんけん。
日奈子、お札が光ることも、いろんなことも、ほかの人には言わんて、ひいばあちゃんに約束しんさい。」
ひいばあちゃんにまっすぐに見つめられて、
「約束じゃで。」
そう言われて、わたしはうなずいて、ひいばあちゃんに約束した。
ひいばあちゃんが、わたしをぎゅっとだきしめてくれた。
だから、お札が光ることは、ひいばあちゃん以外の誰にも言わなかった。
ほかの、いろんなことも、言わないようにした。
人の後ろに黒いかげが見えたり、まわりに光が見えたりしても、言わないようにした。朝、傘を持って行った方がいいと思っても、晴れていたら傘は持って行かなかった。学校が終わったら雨にぬれて走って帰った。
ひいばあちゃんが好きだったから。
大好きなひいばあちゃんと約束したから。
でも、わたしなんかより、ひいばあちゃんのほうが、もっと不思議な人だった。
ひいばあちゃんちのテーブルで、お茶を飲みに来ていた近所の青井のおばさんに、お手玉の遊び方を教えてもらっていた時だった。
台所の柱時計が、ボーン、ボーン、ボーンと三回鳴った。
「朝子さん、そろそろ帰りんちぇ。」
お茶を飲んでいたひいばあちゃんが、そう言った。
「どうして?」
青井のおばさんがそうたずねると、
「まあ、今日は早う帰った方がええ。」
とそれだけ言って、ひいばあちゃんは立ち上がり、エプロンをつけて台所の方へ行ってしまった。やかんに水をいれて、火にかけた。
青井のおばさんは、
「そうねえ。それじゃあ、帰りますかね。
日奈子ちゃん、またね。」
と重い腰をあげて、車で帰って行った。
「ねえ、今のおばさん、病気?」
わたしがそうたずねると、
「日奈子、なんか見えたんか?」
ひいばあちゃんが、流しのほうを向いたまま聞き返してきた。
「なんだか、まわりが黒っぽかった。」
「なんな、日奈子には未来が見えるんか?」
「ううん、見えない。」
わたしは、首を横にふった。
わたしには、未来なんか見えはしなかった。
ただ人のまわりが、黒っぽく見えたりすることがあって、それはよくないことだと分かってはいた。ただ、小学四年生のわたしには、それをどう言葉で説明したらいいのかは分かっていなかった。
ひいばあちゃんは、わたしとひいばあちゃんのお茶と、青井のおばさんにもらったキュウリと大根のお漬物の入ったお皿をお盆にのせて、テーブルにもどって来た。
わたしの話を聞きながら、ひいばあちゃんは大きな湯呑でお茶を飲んでいた。
「ほうか。そんなんも見えとるんか。あんな、日奈子、病気なんは、朝子さんのだんなさんの方じゃ。」
「そうなの? その人の病気大変なの? 死んじゃうの?」
「おや、もう湯のみがからじゃ。」
ひいばあちゃんは湯のみを持って、流しのほうへ行った。わたしは、お漬物をもぐもぐ食べながら、後についていった。
「さあなあ。ようわからん。未来は決まっとらんけん。」
「未来が決まってないんなら、あのおばさんのだんなさんを助けてあげられないの?」
「日奈子、人の生き死にを変えるような大それたことは、しちゃあいけん。そんなことすれば、必ず報いを受けるけん。わたしらにできることっちゅうたら、後に残ったもんが、後悔せんようにすることぐらいじゃけん。」
その時は、ひいばあちゃんが何を言っているのか、よく分からなかった。
おかわりのお茶の水をやかんに入れて、また火にかけると、ひいばあちゃんは、わたしの方をふり向いて言った。
「ひいばあちゃんはな、未来は見えんけど、過去は見える。」
「ほんと?」
「ああ、見える。日奈子がいたずらしたんも、ちゃんと見える。お母さんにないしょで、クッキー食べたんもちゃんと見えた。」
わたしは、ドキッとした。
わたしは、お母さんにないしょでクッキーを食べていた。
「なんじゃ、ほんまに食べたんかいな。じょうだんじゃがな。ひいばあちゃんには、未来も過去も見えやせんけん。」
そう言って、ひいばあちゃんがゲラゲラ笑った。
本当は、ひいばあちゃんは、過去が見えていたのかもしれない。
ひょっとすると、未来も見えていたのかもしれない。
わたしが学校でいじめられてうちに帰り、ひとりで留守番をしていたりすると、
「日奈子、今度はいつくるんじゃ?」
と、メールが来たことがあった。
悲しいことがあった後、ひいばあちゃんちに行くと、必ず大好きな豆大福が買ってあった。
柊(ひいらぎ)さんは、
「清子さんには、とても強い力があると思うわ。
わたしなんかには、ちゃんとは分からないけれど。」
と言っていた。
柊さんは、ひいばあちゃんの友だちだ。
「お札が光って見えること、柊さんには、秘密にせんでええからな。」
ひいばあちゃんがそう言った、ただひとりの人だ。
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