第2話 不思議な子
わたしは、東京の多摩地区の病院で生まれた。
多摩地区は、東京都だけど、東西に横に長い東京の西の方。
テレビによくうつる、高いビルの立ち並ぶ23区とは、だいぶちがう。
特急の止まるような大きな駅には、駅ビルや駅前のロータリーもあるけれど、駅の反対側はすぐに住宅街になっていたりする。駅ビルの中にもお店はあるけれど、駅前からまっすぐに商店街が続いていたりすることも多い。
駅から少しはなれると、畑とか田んぼとかがふつうにある。
あと、駅の近くじゃなくて、国道ぞいに、駐車場つきの大きなショッピングセンターがあったりする。
多摩よりももっと西の奥多摩の方へ行くと、渓谷もあるし、鍾乳洞だってある。冬になると、雪で電車が止まることもある。
お母さんは多摩で生まれて、多摩で育った。
おじいちゃんとカナばあちゃんは、今でも、多摩地区に住んでいる。
お母さんは、お父さんと結婚して、お父さんの働いていた工場がある静岡県でくらすことになった。ぜんぜん知らないところで、初めは大変だったけれど、敦子おばさんが時々遊び半分で手伝いに来てくれて、とっても助かったんだって。
敦子おばさんは、同じ静岡県に住んでいるお母さんのいとこで、お母さんより二つ年下。子どものころ、敦子おばさんちはいろいろあって、小学生だった敦子おばさんは、しばらく日野のカナばあちゃんちで暮らしていたことがある。だから、お母さんにとって、敦子おばさんは、本当の妹みたいな人なんだって。
お父さんは元々千葉の人で、ITエンジニア。大学を卒業して、本当は都心の本社で働くつもりだったのに、静岡県の工場のIT部門で働くことになっちゃったんだって。お母さんとは大学生のときに知り合っていたから、しばらくは『遠距離恋愛』だったってお母さんが言ってた。
子どもができたと分かったとき、わたしが最初の子どもだったから、お母さんはお父さんとも相談して、静岡県じゃなくて、カナばあちゃんち、つまり実家のある多摩地区でわたしを産むことにしたのだそうだ。
わたしが生まれると、病院まで、ひいばあちゃんがわたしに会いに来た。
生まれたばかりのわたしを見て、ひいばあちゃんは、
「不思議な子じゃ。苦労するかもしれんな。」
と言ったんだって。
ひいばあちゃんの言った通り、わたしは小さい時、『不思議な子』だったみたいだ。
自分では、覚えていないけれど。
おじいちゃんは、いっしょにテーブルをかこんでご飯を食べるときは、コップ一杯のビールを飲むと、いつも言う。
「みんな、日奈子に助けられたんだからな。」
赤んぼうのわたしを連れて、お母さんが退院する日、おじいちゃんとカナばあちゃんが、車で病院までむかえに来た。
病院から前の国道に出て、しばらく走ったところで、後ろの席のチャイルドシートで、わたしが急に泣きだした。まるで顔が破れつしそうな勢いで泣いたのだそうだ。
「あれあれ日奈子、どうしましたかねえ?」
後ろの席で、お母さんがあわててわたしをあやし、おじいちゃんは車を道路のわきに止めた。
ところが、車が止まると、わたしはすぐに泣きやんだ。
「どうしたの?」
助手席からカナばあちゃんが、お母さんをふり返ったときには、わたしはもう、スースーねていたのだそうだ。
ガッシャーン
その時、前方から、大きな音が聞こえた。
「あんまりすごい音で、車の窓がしまっていたのに聞こえたんだ。」
と、おじいちゃんは言う。
おじいちゃんたちが前をふり返ると、前方の交差点で、二台の乗用車がしょうとつ事故を起こしていた。
青信号で進んでいった車に、真横から、赤信号を無視した車がつっこんだのだそうだ。
「ほんと、背すじが、すうっと冷たくなったわよ。」
この話になると、カナばあちゃんはいつもそう言う。
退院後もしばらくは、お母さんとわたしは、カナばあちゃんちにいた。
おじいちゃんの車で、わたしを病院に連れて行く日のこと。
車に乗って出かけようとすると、わたしがあまりにビービーなくので、出かけるのを見合わせて、病院に電話して、予約日と時間を変えてもらった。
それから、ひと月ほどして、交番のお巡りさんが、カナばあちゃんちをたずねてきた。
このあたりで空き巣をくりかえしていた男が、つかまったのだそうだ。
「おたくも、ねらっていたみたいなんです。
でも、
『その日、そのうちは、車で出かけるのをやめたのであきらめた。』
と言っているんですが、何かぬすまれた物とかはありませんでしたか?」
と、言われたんだって。
おじいちゃんは、その後、玄関のカギを変えて、窓を二重鍵にした。警備会社のパンフレットを、たくさん集めて見ていたそうだ。
駅ビルや商店街の福引セールには、必ず、わたしを連れて行っていた。
順番の列にならんでいると、わたしが急にすわりこんで、だまったまま、動かなくなってしまう。
「すみません。お先にどうぞ。」
と、お母さんは順番をゆずる。
そして、わたしがふっと顔をあげてニッコリ笑うと、お母さんはわたしの手をひいて立ち上がらせ、
「すみませんでした。」
と列にもどる。
そして、ガラガラを回すと、
カラン、カラン、カラン
「大当たり~!」
三等の和菓子セットや、二等の駅ビルの商品券があたった。
でも、ひいばあちゃんから電話で、
「美希、あんた、日奈子の運を、そげなことに使いなさんな。運なんちゅうんはな、本当に必要な時に使えるように、とっとくもんじゃ。」
とおこられたのだそうだ。
それからは、福引は、お父さんが一人で行くことになった。
お父さんは、毎回、ポケットティッシュを持って帰って来た。
わたしは、よく落とし物もひろったそうだ。
静岡のうちに、カナばあちゃんが遊びに来ていたときのこと。近くの河の土手を、わたしとカナばあちゃんが散歩していると、わたしが急に走り出した。
「あっ、ちょっと日奈子、待ちなさい。」
止めるカナばあちゃんをふり切って、どんどん河原へ下りて行った。
そして、草むらの中から茶色い皮のお財布をひろいあげて、カナばあちゃんに見せた。
「あらまあ。」
まわりには他に人もおらず、カナばあちゃんはわたしをつれて、とにかく駅前へ行って、交番へとどけた。中には一万円札が十二枚も入っていた。
運転免許証も入っていたので、落とし主はすぐにみつかった。犬の散歩をしていて落としたとのことで、とてもていねいにお礼を言われたそうだ。
カナばあちゃんは、お礼はいらないと言って、わたしを連れて帰って来た。
「えっ、なんで? 十二万円も入ってたんでしょ。お礼、もらっとけばいいのに。」
と、お母さんがさわいでうるさかったと、カナばあちゃんから何度も聞かされた。
「でも、日奈子の一番すごい拾い物は、敦子のイヤリングよね。」
そうお母さんが言うと、
「ああ、そうそう、あったわね。」
カナばあちゃんもお茶を飲みながらうなずいていた。
わたしが保育園に入りたてのころのこと。
静岡県のうちから車で一時間くらいのところに、大きなショッピングモールができた。オープンから一カ月くらいたったころに、おじいちゃんとカナばあちゃんが遊びにきた。敦子おばさんもやってきた。それで、おじいちゃんの運転する車で、お母さんはわたしを連れて、敦子おばさんとカナばあちゃんといっしょに、ショッピングモールへと出かけた。
ショッピングモールに着くと、お母さんと敦子おばさんは大はしゃぎで、カナばあちゃんにわたしをあずけて、早速、あっちこっちと歩き回っていた。
おじいちゃんは、ひとりで、大きなおもちゃ屋さんにプラモデルを見に行ってしまった。
わたしは、カナばあちゃんと、三階のフードコートでジュースを飲んで、持ってきたおもちゃで遊んで待っていた。
「わたしはね、日奈子の子守でついて行っただけだったのよ。平日だったけど、すごい人だったわね。」
しばらくすると、お母さんと、泣きそうな顔をした敦子おばさんがもどってきた。
敦子おばさんが、まだ買ったばかりのイヤリングを落としたというのだ。
「まあ、どこで落としたの?」
「そんなの分からないわよっ!」
お母さんのほうが、イライラしていた。二人してモール中を歩き回っていたので、どこで落としたのか見当もつかない。
「ああ、もう。わたしって、いっつもこうなのよね。」
と、敦子おばあさんは、残ったかた方のイヤリングをはずして、テーブルの上に置いた。
お目当てのプラモデルを買ってもどってきたおじいちゃんが、
「まあ、ダメもとでさがしてみたら。」
と言い、おじいちゃんは、インフォメーションセンターへ、イヤリングの落とし物がとどいてないか確かめに行った。
「よし、敦子、さがすよっ!」
いつも最初は調子のいいお母さんと、敦子おばさんと、カナばあちゃんとわたしの四人は、お母さんたちが回ったお店を順番にたどって行った。
モールの通路をうろうろと下を向いて歩き、お店の人に、落とし物のイヤリングがないかたずねて回った。
「次はどこ行ったんだっけ?」
「ええっと、そうだ、エスカレーターで一階へ行ったんだ。」
五、六店、一階のお店を回ってから、モールの一階の、カジュアルブランドのファストファッションの店の前に来た。
「ここって、何着か試着したよね。」
「でも、買わなかったから。」
敦子おばさんが入りにくそうにしていると、わたしが、ぱっとそのお店の中に入り、どんどん店の奥へと走って行った。
「あっ、こら、日奈子!」
お母さんや、カナばあちゃんや、敦子おばさんは、人がじゃまでなかなか店の奥へ進めず、とうとうわたしを見うしなったそうだ。
イヤリングではなく、わたしをさがすことになってしまった。
ようやく試着コーナーの前でわたしを見つけると、
「はい。」
と、わたしがイヤリングを差し出した。
「あっ、あった!」
敦子おばさんは、うれしいのと、びっくりしたのとで、泣き出してしまった。
帰りの車の後ろの席で、敦子おばさんは、
「ほんと、日奈子ちゃん、ありがとう。」
お母さんと敦子おばさんにはさまれて、ちょこんとすわっているわたしの頭をなでていた。
おじいちゃんは、
「日奈子はね、不思議な子なんですよ。」
と、うれしそうにバックミラーを見ながら言っていた。
助手席のカナばあちゃんは、運転席の後ろのお母さんと、顔を見合わせてだまっていた。
でも、小学校に通うようになると、わたしは『不思議な子』ではいられなくなった。
小学校に入学したての一年生の一学期のころ、わたしは、それまでと同じように、『ふつう』にわたしのままでいた。
前の夜、ぱらぱらと教科書をめくっていて、
(あっ、ここ覚えとかなくちゃ。)
と思って勉強したところが、たまたま次の日のテストに出たりした。
最初は、担任の竹山先生は、
「この問題、よくできましたね。」
と言ってほめてくれた。
でも、同じことが二回、三回と続くと、竹山先生のわたしを見る目つきが変わった。
漢字の書き取りで、やさしい問題があんまりできてないのに、一番むつかしい漢字だけ毎回ちゃんと書けてるっていうのは、竹山先生からすると、おかしなことだったみたいだ。
竹山先生は、じっとわたしを見て、無言で答案を返すようになった。
気が付くと、テスト中に、こっちをじっと見ていたりした。
担任の先生がそういう感じだと、クラスの友だちも、わたしに話しかけなくなった。
わたしはだんだんと、学校ではしゃべらなくなっていった。
うちでは、いっぱいしゃべっていたけれど。
(どうしたらいいんだろう。)
お母さんに話そうとしたけれど、うまく説明できなかった。勉強したところが、テストに出たっていう、あまりにも当たり前で『ふつう』のことだったから。
でも、あるテストのときに、前の夜に勉強して答えが分かっていても、むつかしそうな問題の答えを書かないで、答案用紙を出した。
すると、竹山先生は、答案をかえす時に、わたしをじっとにらんだりしなくなった。
そうすると、クラスのみんなも、またわたしと話すようになった。
わたしは、わたしにとっての『ふつう』が、みんなの『ふつう』とはちがうっていうことに、やっと気が付いた。
だから、わたしは『ふつう』にしないようにするようになった。
でも、体育のときだけは別だった。
わたしは、運動が得意じゃなかった。
でも、だから、よかったのだ。
ドッチボールのときに、
(あっ、ボールが来る。)
って思ってから、本当にボールが飛んでくる。
でも、うまくよけられなくてボールにあたってしまった。
体育のときは、わたしは『ふつう』にしていても、変な目では見られなかった。がんばっても、うまくできなかったから。
わたしは『ふつう』のままでいられた。
だから、走るのがそんなに早くなかったから、走るのも好きだった。
日曜日に、お父さんといっしょに、近くの河の土手を走ったりもした。
走っていると、いやなことをわすれられた。
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