overture【3】


 加えて、呑気で陽気な彼らの気性も――直前に挙げた気質とは相反しているように感じられるかもしれないが――ひとつ、理由として挙げられるだろう。

 

 愚者の町は日照時間が長く、海に面している。


 また、愚者の町の近海は潮目であり、漁業を行うには最高のロケーションだ。そのため、町が興って以来、民は飢え知らずだった。

  

 そういった風土が人々の楽天的でのびのびとした気質を育んでいったのであろう。


 ――――海から招かれざる客が来たって、彼らがそれを理由に生活活動を中断することはないのだ。


 


「みてみて、おとーさん! でーっかいイカさんきた!!」


 浜辺を目指して歩く親子連れ――の幼子のほうが感嘆の声を上げる。長靴を履いた足も御機嫌に跳ねて、レインコートの裾に泥のワンポイントが刻まれた。


「……おお! こりゃ大きいな……! 伝説に聞く『』か?」


 その子に合わせて身を屈めた父親は、片手でひさしを作り、前方の巨大海洋生物を仰いだ。


 なんの前触れもなしに海からせり出してきたその生物は、彼が今までに食してきたどのイカよりも大きかった。

 

 現在は水面に浮かぶために動かしているその腕と足が、いつ人々に伸ばされるかは――――誰にもわからない。

 

「ぼく、もっとちかくでみたい!」

 

 超巨大イカの目がぎょろりと動いた。本日のメインディッシュを探しているのかもしれない。

 

 しかし、幼子は初めて目にした巨大海洋生物に興味津々といった様子で、父親の手を振り切って、今にも駆け出してしまいそうだ。


「うんうん。近くで見たいよなあ。わかるぞ。おとーさんも見たい。でも、大きい波が来ると危ないから、今日は海じゃなくて他のところで遊ぼうな」


 父親であるその男は我が子の手を強く握り、それとなく別の道へと誘導した。

 

 


 ――――そう。クラーケンが来たって、大抵の人は逃げも隠れもしない。


 さすがに近付くことはないし、危険を顧みず立ち向かっていく蛮勇な者もそうそういない――はずなのだが、この町には魚介類を食的な意味で愛する、おかしクレイジーな男がいた。

 

「やっと会えた……! マイ・スウィート・ハニー……!!!」 


 男は両腕いっぱいに抱えた楽譜を抱き締め、自慢の美声を町中に響き渡らせた。

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アブダクション・アディクション!? 片喰 一歌 @p-ch

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