第5話 光さす方へ
「……蝶?」
所在なく揺れる、青い光。
入口の隙間から侵入してきたひとつの光が、ひらひらと、俺の脇を抜けトンネルの奥へと飛んでいく。
振りかぶったスコップをそのままに、見とれてしまっていた。
振り返ると、そこにはなにも無い。
「見間違え……か?」
思わずそう呟くほどに、美しく、青く輝いて視えた。
モルフォ蝶とかシジミとかミヤマスズメとか、そんな感じの奴だ。
博物館やネットくらいでは見る事も合ったが、俺が知らないだけで、案外山の中とかには普通に居るもんなのか。
「それとも疲れてるんか……」
落下の衝撃も有るが、遠出の際はウキウキで深夜に家を出るため、出発してから既に5時間近い。
ここから出たら、朝風呂やってるスパ銭でも見つけて仮眠をとろう。
さすがに幻覚を見るほど疲れてはないと思うのだが。
「それとも、変なガスとか溜まってたりして」
山間部の閉鎖空間だ。あり得る話。
変な匂いがしないかと再度鼻を利かせて見るが、香るのは微かなカビサビの味わい深さくらいだ。
「そういや思ったより、変な匂いとかしないよな」
そう呟いた自分の言葉に、後ろを振り返る。
振り向いた先には、蝶々も、もちろんメリーさんも羊もいない。だが、微かに感じる違和感。
ライトを向けて注視する。
視えるのは土砂の山と閉ざされた道。
……。 分からない。
ライトを消して、目を凝らす。
遠く暗闇の先が、わずかに……薄明るくなっている。そんな気がする。
「……逆側から、出れる?」
ごくり、と唾を飲み込むと、ちょっとだけ鉄の味がした。
一瞬二刻の逡巡ののち、手にした剣を立てかけて再びその手に明かりを灯す。
ハンディライトを握りしめると、新たな寄り道へ、一歩を踏み出した。
白昼夢に誘われて、泥まみれですり傷を負いながら、立ち入り禁止のトンネルを探索する。まるで子供の頃の冒険じゃないか。
いいや、むしろ大人にとっての方が、得がたい至宝の冒険譚かもしれない。
こうなるともう、壊すのは気が引けるだの擦り傷が増えるだの、そんなものは言い訳だ。
心の中の少年が目を輝かせて手を引いてくる、さっきまでとは違う理由で心臓が高鳴っていく。
まぁこのクソガキくん、何回閉じ込めても、気がつけば扉を壊して脱走してるんですけど。
手に持ったままの懐中時計の蓋に、しまらない口元が反射して見えた。仕方がないじゃない、だって男の子だもの。
止められないのなら、せめて脱走させないように鎖で繋いでおこう。迅る気を抑えながら二人で歩を進めていった。
物事の始まりなんて、偶然や小さなきっかけの重なりだ。
今俺がここにいる事、トンネルの上に登った事、この村に来たのも、ささいな偶然やきっかけの重なり。
何か格好良いセリフで纏めようとしたが、迂闊に思いついた『偶然のミルフィーユ』と言う単語に脳内を支配されてしまい、それ以上考えるのは諦めた。
◇
コツコツと、静寂に響く靴の音。
ズレて聞こえる音の反響は、自分以外の何かが居るような奇妙な緊張を生む。
トンネルの奥では、俺が降臨した場所よりもさらに大規模な崩落が起きていた。
大量に流れ込んだ土砂や
「近くまでくると、これはまた一段と……」
床を鳴らす靴音は、諦めて一足先に引き返していく。
普段なら、絶対に近づかないような場所だ。危機感もスマホと一緒に落としてきたかも知れない。
それでも歩みを止めないのは、もうここまで来るとハッキリと確認できる光源の存在だ。
夜に方向感覚を失い、ふらふらと街灯へ吸い寄せられる虫に親近感を覚える。
虫の進化は凄まじく、誘蛾灯に引き寄せられなかった個体が多く生き残って行った結果、人工の光へと吸い寄せられられない個体が増加しているのだとか。
俺達なんて、いつまで経っても眩しくて光り輝くものに騙されてばっかりさ。
そんな些末な悩みを悔い改めてる間に、終点はすぐそこだ。
どん詰まりのその手前、通路の左半分を隠すように土砂の山ができている。薄明かりはその裏からこぼれ出していた。
足元に注意を払いながら、横に回り込もうとした時に「キュッ」と不意に響いた先客の声に、心臓につられて体が少し跳ね上がった。
「とり……いやネズミか」
そう。残りの問題は、この光の差し込む隙間が、どれくらいの大きさか、だ。
さすがにネズミ一匹通すだけって事は無いだろうけど、人が通れるくらいの穴が開いているだろうか。
もし無理にでも広げる必要が有るのなら、さすがに大人しく引き返そう。
ひらけごま、ひらけ岩戸。
角を曲がり、その先へ光を向けた。
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