第2話 ヒトリニギヤカ

 歴史にその名を刻む。

 誰もが一度は意識したことがあるだろう。


 それが、個人の名とは限らない。国であったり集団であったり。

 本人の名前よりも、作り上げた物の方が有名な場合もある。むしろ多いかも知れない。

 歴史を変える発明、形のない概念や式、日常生活に欠かせない商品、絵や詩などの創作物。


 自らが消えてからなお、その名を残すことの意味。

 それは、やっぱり残された者のため、なのだろう。


 △

 

 なんて。

 そんな大それた話じゃーないが、危うく俺も歴史に名を残すところだった。

 地方紙の小さな一角と電子の海に、どちらかと言えば『汚名』として。


「死ぬかと思った……」


 俺は今、落とし穴にハマっていた。

 

 『人生の』とか『うまい話には』と言った比喩的な話ではなく、物理的に下に落っこちるアレ。

 バラエティでしか見ない、昨今では危ないからってバラエティでも見なくなった文字通りの落とし穴である。


 事故現場は、人里離れた山奥の廃トンネルの中。

 積もった土砂の山の上、大の字に寝そべって差し込む陽の光を浴びていた。


 別に落ち着いてる訳では無い。ただただ驚きのあまり体が固まっているだけだ。

 落ちた時に背中を打ちつけて、息も数秒止まっていただろう。

 心臓がバクバクと、むせ込みながら取り入れた酸素を急ピッチで全身に送っている。

 

 目に映る物はトンネルの天井。コンクリートの一部がすっぽりと抜け落ちており、開いた大きな穴から遥か遠き青い空が見える。

 大きくのぞいた穴からは、光のはしごが差し込んでくるが、救いの天使は舞い降りてこない。


「生きてる……」

 ちょっと呼吸も止まったりしたけど、お迎えにはまだ早いようだ。



 少しずつ落ち着きを取り戻してくると、降り注ぐ太陽の温かさに気がつく。

「ふふっ……日光浴なんてのも、久しぶりか」

 

 光に向かって両手をぐっと伸ばし、大きく深呼吸。

 

「すぅ……」新鮮で爽やかな空気が胸いっぱいに「う、ふぅっ! ぐっふぉっ」

 陽の光と一緒に降り注ぐ土埃を豪快に吸引し、再び咽せ返った。

 

 手で顔の土を振り払いながら体を捻ると、その勢いで背にしていた斜面からズルリと滑り落ちる。

 横回転しながら坂を転がり落ちた後、顔面にぬちょりという冷たくぬかるんだ感触が続いた。


 腕立て伏せのように、両手をついてゆっくり体を起こす。

 床に溜まった泥の中へ、熱烈なキッスをお見舞していた。

 首をブンブンと降りながら、ぶふふっぶふっ、口についた情熱の証を吹き飛ばす。

「ぶぶふっ……」

 顔と、唇の泥を手の甲で拭う。

 おまけと言わんばかりに、上から振ってきた小枝が頭にコツンと跳ねて、むなしく床に転がった。


「ぶぶ……っふっ……ぶふっ」

 泥を吹き飛ばすのに吐き出した息は、そのまま失笑へと変わっていく。

 こんなの、もう笑うしか無い。


「ふふっ、楽しくなってきたじゃあないか」


 そんな感じで、浜梨奏向アラサーの、旅の初日が幕を開ける。

 仰ぎ見る空は、嫌味なほどに青くハレ渡っていた。

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