09

 ◇◇


 帰りのホームルームに副担任の先生が現れた。そういえば朝、恭平が午後から出張でいないと話していたと思い出す。

 今日は亜子が華道部のある日で、帰りはひとり。


(久しぶりに家を見に行こうか)




 切符を買っていつもと反対のホームの電車に乗った。下校する生徒で混んでロングシートに座れず、ドアの横についている手すりをつかんで後ろに流れていく景色を眺める。

 アナウンスが降りる駅の名前を告げ、ドアが開いたのと同時にプラットホームに降りる。駅から徒歩25分の住宅街に、恭平の家と前世の私が住んでいた家がある。


 生まれ変わってから初めて前世の家を訪れたのは、小学校に入学したばかりの平日だった。

 それまで外出といえばいつも親が一緒でひとりになれるタイミングがなく、どんなに来たくても来ることがかなわなかった。


 小学校が終わってから、ランドセルを背負ったままひとり電車に乗った。

 見覚えのある銀行やスーパーに電車の中では期待をふくらませたものの、6年ぶりに駅に降りて呆然とする。駅前にコンビニ、田んぼだった場所にアパートが建ち、道路が舗装されて広くなり、街は知らない顔をしていた。


 子どもの足では少し遠いので、駅から出ているバスに乗った。窓に張り付いてバスに揺られ、懐かしい難読なんどくの名前の最寄りバス停で降り、あたりを見回しながら道を歩き、ようやく見慣れた木造の家を見たときはほっとした。

 家の前の駐車場に知らない水色の軽自動車が止まっていても、家は電気が消えていて窓も閉まっている。人のいる気配がなかった。


 ここまで来たのだから遠くからでもいいから家族を一目見たかった。家の周りをぶらぶら歩き、イチョウ公園で時間を潰した。

 何度目かに再び家に向かっていたら、シルバーのワゴン車が横を過ぎて行った。私が高校生になってから買ったお父さんの車だ。


 曲がり角まで走って塀から家をうかがう。

 助手席から出てきたのは自分とあまり年の変わらない女の子だった。後部座席のドアからお母さんの後に小さな男の子が降りる。ふたりとも私も通っていた幼稚園の制服を着ていた。お父さんが買い物かごを提げて車の後ろから現れた。


 懐かしい顔と初めて見る顔。女の子がお父さんに何かを言ってみんなが笑う。


(元気そうだ。よかった)


『あなた、どこか痛いの?』


 犬の散歩をしていた近所のおばさんにハンカチを差し出されるほど、そのとき私は涙をぼろぼろと流していた。


 ずっと会いたかった。家族を忘れたことはなかった。

 私のことでいつまでも悲しんでほしくない。笑っていてほしい。そう望んでいたのは本当だった。なのに、そんな姿を見たら、置いて行かれたようで悲しいなんて。

 過去に拘っていたのは、私の方だった。




 今日は庭の物干し竿に布団が干されて、1階のカーテンは開いていた。

 一目見て、そのまま通り過ぎる。

 こうして訪れても、家族の顔が見られる日はほとんどない。家を眺めて、何もせず帰る。不審者みたいだと自分でも思うけれど、夢でも幻想でもない、長谷川栞がいた証を見られるだけで十分だ。


 隣の家は中に誰もいないようだった。手入れされた小さな花壇には花が咲いている。恭平の家だ。

 これからは恭平と鉢合わせないように気をつけないといけない。村田栞と関係のない場所にいたら怪しまれるし、ストーカーだと思われたら心外だ。お兄ちゃんにも恭平の生徒として顔が割れたので要注意だ。


 ほんの数分だけの滞在で再び駅に戻る。今の私の、村田栞の家に帰るのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る