08(2)
――空と海の2色の青。
照りつける日差しを水面が反射して、きらきらと輝いている。小さな波が来て、体が浮き輪ごと少し上がって、下がった。顔にかかった水がしょっぱくて濡れた手で顔をぬぐっていると、お兄ちゃんが水の中から顔を出して浮き輪をつかんだ。
『父さんと母さんがあそこにいる』
私に教えて、浮き輪をつかんでない方の手を浜辺へと振る。白い砂浜にはお父さんが手を振っていた。海パンにのるぽっこりお腹は「ビール腹」と言っていた。その隣にはお母さんがいた。水着を着た人たちの中で、普段の服は逆に浮いていた。泳げなくても、海で食べるかき氷は好きと言っていた。
波に揺られるように、ゆっくりと意識が浮上した。星の図鑑を見ながらうたた寝したらしい。ページは北斗七星を開いていた。
さっきの夢は小学生のとき家族旅行で訪れた海だ。
前世の夢を見たのは久しぶりだった。この前お兄ちゃんに会ったからだろう。
無性に寂しくなり、スマホだけ持って音を立てないように階段を下りる。リビングからはテレビの音が聞こえる。両親に気付かれないよう、静かに靴を履いて家を出た。
村田栞としてゼロから生きるには、長谷川栞の記憶が鮮明過ぎた。
宙ぶらりんな私が「こちら」を受け入れるまで長い時間がかかった。今は能天気に過ごしていても、たまに孤独感に襲われる。特に前世の夢を見たときは。
そんな日はこっそり家を抜け出して夜を歩く。自分も街の風景も変わってしまっても、星は変わらずに夜空で輝いている。
今夜はうしかい座のアルクトゥルス、おとめ座のスピカ、しし座のデネボラを結んだ春の三角形を見つけた。
両親に気づかれる前に帰らないといけないので、コンビニに着いてすばやくアイスを選び、スマホ決済の画面を開きながらレジに出す。
「130円です」
バーコードを表示した画面を差し出し、顔をあげる。目の前にコンビニの制服を着た秦君がいた。
「隣の席の村田です」
「知ってる」
「知ってたのか」
隣になったとはいえ、話したことがないから認識されていないと思っていた。
秦君は慣れた手つきでお釣りとレシートと商品を返して、低い声で言った。
「もうすぐ終わるから、中で待ってろ」
前世も合わせて人生初の呼び出し。ロマンチックの
「バイトのこと学校に言うなよ」
命令形なのに何も怖くないのは、待たせた分家まで送ってくれている最中だから。歩きの私に合わせて秦君も自転車を引いて歩いている。
秦君がなぜ口止めするかというと、私たちの高校は平日のアルバイトを基本禁止にしているからだ。
「おうちの人は秦君のバイトのこと知ってるの?」
「母親は学校の方優先しろってあまりいい顔しないけど、校則知らねえから」
「放課後すぐ教室出ていくのもバイトがあるからだったんだ」
「バイト行く前に家事とか買い物したいから」
私の中でどんどん秦君の印象が変わる。亜子が言ったように人を知らないまま判断してはいけない。
(不良どころか家事男子だったなんて)
「家の手伝いにバイトってえらい」
「俺の家片親だし、下にふたりいるし。俺が待たせたとはいえ、親に帰るの遅くなるって連絡したか?」
「してない。コンビニに行くのも言ってない」
「心配するだろ」
「心配させないように言ってない」
「は?」
これまでの会話からぼんやりと秦君の家庭事情と、帰りが遅いと心配するような親に育てられたのがわかった。
街灯の下を通るとその横顔がはっきりと見えた。今は教室の席に座るつまらなさそうな顔ではない。
「高校はつまらない?」
「来たくて選んだ高校でもないし、卒業したら就職するから、勉強とかに時間かけるぐらいなら働きたい」
(秦君も今、望まなかった時間の中にいるのかな)
秦君を待っている間、マンガを立ち読みしながら真面目に働く姿を眺めていた。口止めされなくても、アルバイトのことを学校に、後で怒られることになっても告げ口するつもりはないけれど。
窓が開いているのか、左側の家からテレビの音と子どもの親を呼ぶ声が聞こえる。
2回目の幼少期、私は「親になった人たち」に身の回りの世話をされるのが嫌で殻にこもり、早く大きくなりたいとばかり思って過ごした。
「バイトをがんばる秦君をえらいと思う。同時に、おうちの人も学校を優先するように言ってるんだし、学校にいる時間は学校でしかできないことにも目を向けてもいいんじゃないかとも思う。先を急いで、今が過ぎるのをただ待つだけでは、秦君の高校生活に何が残るだろう」
前世の記憶に孤独になることもある。けれど、今がつらくなったとき、家族や友だちと過ごしたあの頃の記憶が今を支えてくれもする。それは、現世で積みあげた記憶も同じ。楽しかったことでも、つらくてもふんばったことでも。
「思い出は、これからの自分の
前世の夢を見て感傷的になっていたとしても、ほぼ初対面で話す内容じゃない。踏み込み過ぎたときまり悪くなっていたら、秦君が吹きだした。
「おまえ、高校生っぽくねえな」
くつくつと肩を震わせるその表情は、初めて見る笑顔だった。
「今しかできないことって、たとえば?」
「うーん。ベタなのは部活とか」
秦君はまだどの部活にも入っていない。運動部は土日もあるし帰りが遅くなるから、アルバイトや家事ができなくなる。
(緩くて、自由な部活)
恭平の話を思い出した。
「あ、私の家ここ。送ってくれてありがとう」
「待たせたのはこっちだから」
「あのさ」
自転車にまたがりペダルを漕ごうとした背中に声をかける。
「私は天文部に入っているんだ。部員は亜子と……同じクラスの
秦君は私を見てから、視線を空へと向ける。つられて見上げれば星が輝いていた。
「考えておく」
視線を戻すと秦君は自転車を漕ぎだしていた。
街灯と自転車のライトを頼りにして、夜の暗がりへと進む背中を角を曲がるまで見送った。
○
秦君とコンビニで遭遇した翌日。
かばんに入れていた教科書を机の中に移していると、隣でイスを引く音がした。
「秦君おはよう」
「はよ」
あいさつする目標は達成した。有言実行だ。
「天文部って週何回?」
教科書へ落としかけた視線を勢いよく横に戻す。
「水曜日だけだけど、用事があれば休んでも構わない」
「星座とかあんまり知らないんだけど」
「これから覚えていけばいいのだよ」
「じゃあ――」
朝のホームルームが終わってすぐ、教室を出て行こうとした恭平を捕まえた。
「秦君が天文部に入るそうです」
「村田が勧誘したの?」
驚いた顔で私と、その背後に立つ秦君を見る。
「なんか、
「ははっ。部長お手柄。数学の授業のとき入部届け持ってくる」
秦君が入ってくれてうれしい。恭平が喜んでくれてもうひとつうれしい。
廊下に面した窓の外は、五月晴れが広がっていた。
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