08(1)

 ◇◇


 ゴールデンウィーク明けは1限目から体育だった。

 男子は教室、女子は体育館の更衣室で着替える。体操服を入れた手提てさげかばんをふたつ抱えて廊下で亜子を待っていると、教室の前のドアから恭平が男子と出てきた。背の高いクラスメイトは、はたかえでという。


「部活決まった?」

「……まだ」

「見学したい部活があれば、顧問の先生に伝えておくけど」

「特にないです」

「部活紹介でも説明があったけど、うちの高校は1年は全員入部なんだ。今週中までには決めて」

「わかりました」


 感情のこもらない返事をして秦君は教室に戻った。  

 恭平はその背中を見送ってからこちらへと歩き出して、ばちりと目が合ってしまった。その気はなくても結果的に盗み聞きをしたことになる。私はちょっぴり罪悪感があったけれど、恭平はいつもの調子で話しかけてきた。


「部活関係で書いてほしいものがあるから、昼休み職員室来てくれる?」

「はい!」

「よい返事」


 私の勢いに笑って恭平は階段を下りて行った。

 暖簾のれんに腕押しのようなやりとりを見た後だったから、ちゃんと恭平の話をわかったというアピールをしてしまった。私は今でも恭平に元気がないと甘やかしたくなるらしい。


 亜子がトイレから出てきた。亜子の手提げかばんを返し、一緒に体育館に向かう。


「亜子は秦君と話したことある?」

「ない。どうして?」

「まだ部活入ってないみたい。あんまり誰かといるのも見かけない」


 席が隣なのに、自分も秦君と話したことがない。私に限らず他のクラスメイトも同じで、入学して1ヶ月経つというのにクラスにあまり馴染む様子がない。

 180センチを超える長身、彫が深い顔で鋭い目付き。不愛想なのも相まって近づきがたい雰囲気を出している。

 秦君は学校が終わるとすぐに教室を出ていく。秦君が夜にひとり自転車で走っているのを見かけたと、教室で男子が大きな声で話していて、夜遊び説がこっそり流れている。


「秦君はこのあたりの中学校じゃないみたい」

「知らなかった。亜子は情報通だな」


 アンテナが折れているような私はいつも亜子に教えてもらってばかり。


「秦君のことをよく知らないから、勝手なイメージが作られてると思う。2回ぐらい、多分弟と歩いてるところ見かけたけど、面倒見のいいお兄ちゃんって感じだった」

「実際に話してみないとわからないことってことか。席隣だし、挨拶からしてみようか」


 見かけや噂で判断してはいけない。そう思い直すと、亜子は楽しそうに笑った。




 お弁当を食べてからひとりで職員室に行くと、恭平もお弁当を食べているところだった。しかも手作り。


「先生って結婚してるんですか?」


 私の第一声に恭平は咳き込んだ。両隣の席の先生が笑い声を立てた。


「母が作ったものだよ」


 恭平は実家から通っているらしい。高校と恭平の家は2駅分で、私の今の家からよりも近い。

 おばさんとおじさんも元気かなと懐かしくなりながら、弁当箱に入っていた野菜炒めの残りに目を留める。


(ピーマン食べれるようになったんだ)


 昔は肉詰めのピーマンをはがしてハンバーグだけ食べていたのに。それでおばさんに怒られていたのに。大人になったな。


「苦手な食べ物ってありますか?」

「きのこ類」

「ふっ」

「食感が苦手で。出されたら食べるけど」

「おお、大人の対応ですね」

「年齢だけは大人ですから」


 嫌いな食べ物、褒められるとちょっとドヤ顔になるところは変わってない。成長した部分を見つけるのも楽しいけれど、変わってないところを見つけるとうれしくなる。


「ここに村田の名前を書いて」


 部活登録の用紙には部員の名前、つまり亜子と私の名前がすでに印刷されている。一番下に部長と顧問の名前を書く部分があって、『顧問』の隣には恭平の名前が手書きで書いてあった。

 ボールペンを受け取るとき、腕の動きに合わせるように煙の匂いがした。


「タバコ」

「臭う?」


(吸うんだ)


 もう二十歳を過ぎているのだ。改めて実感しながら少し距離をあける。


「遠い」


 両手で顔を覆って嘘泣きしだすから、左の席の香川先生に「泣かしたー」とからかわれる。


「タバコの臭い苦手です」

「そうか……」


 顔から手を離した恭平は少し考えて、よし、とうなずいた。


「禁煙しようかな」

「近づかなければいいだけなので気にしないでください」

「なにそれ寂しい」


 また嘘泣きしだしたのは放置して、『部長』の隣に自分の名前を記入した。昔は『長谷川』と書きかけることもあったけれど、もうミスをすることもない。


「簡単に禁煙ってできるんですか?」

「考え事するときぐらいで、もともと吸う方じゃないから」


 ぽろっと本音がこぼれた。言葉を返すより、ブレザーのポケットからアメをつかみ、ひとつ選んで渡した。少しでも恭平の息抜きになればと思いながら。


「タバコ吸いたくなったらどうぞ」

「オレンジうれしい」


 袋を眺める姿に頬が緩む。だから袋入りのアメを買うと最初にオレンジが無くなった。


「いつもポケットにアメ入れてるのか」

「頭を使うと甘いものが欲しくて。アメなら小さいし溶けないから」

「あのさ、天文部に新しい人誘ってもいい?」

「はい」


 そっちから聞いておいて、私が返事すれば恭平は驚いたように目を丸くして、笑いだした。


「誰とか気にならない?」

「だって部活は私のものじゃないし。なら誰ですか?」

「うちのクラスの秦」

「了解です。亜子にも言っておきます」

「うん。ありがとう。アメも」


 なにがツボだったのかわからないけれど、楽しそうだったからまあいいか。

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