07(1)

 ◇◇


 4月も終わりになればクラスメイトの顔と名前を覚えてきた。まだ初めて話す子には緊張してしまうけれど、入学当初のクラスのぎこちなさも少しずつほぐれてきた。


 そして、待ちに待った4月最後の土曜日になった。

 靴を履いて、全身鏡がついた靴箱の前に立つ。

 あごのラインに沿って内側にまとまった黒髪、目尻が下がった奥二重の目、つんととがった高い鼻。

 さすがに16年経てば見慣れたけれど、小さい頃は鏡に映る自分の姿に違和感があった。

 今鏡の自分は力を込めなくても口元が上がっている。


(久しぶりのプラネタリウムだ)






 待ち合わせである最寄り駅の前に亜子を見つけた。

 くすんだ水色のワンピース、いつもはおろしているロングヘアを今日は編みこんでまとめている。

 亜子は通り過ぎる人たちの視線を集めていた。本人も気付いているだろう。背筋を伸ばして顔を上げている。


「亜子おはよう」

「おはよう」

「先生の車は黒だっけ」

「そうだったと思う」


 あれかな、と亜子が言った後、黒の軽自動車がロータリーに滑り込んできて、私たちの前で止まった。


「おはよう。ふたりとも後ろに乗って」


 運転席の窓から言われて、亜子と後ろの席に乗り込んだ。


「道込んでないといいな」


 ななめ後ろから見れば恭平も私服だった。学校ではいつもスーツだから新鮮。


 途中渋滞もあったけれど、科学館が開館する時間までに到着できた。入口の前にはすでに列ができていて、自分たちが並んだ後からも、家族連れやカップルがやってくる。

 恭平が最初の上映の席をオンライン予約してくれていたので、展示室とプラネタリウムの電子チケットを入場口で見せる。それからエスカレーターで最上階に向かった。


 天文台の大きなドームの内部は、機械を中心に同心円状に座席が並んでいる。外側の囲われた部分は、学芸員が解説するスペース。


「知り合いが今日の午前の回を解説するから、取れてよかった」

「前言ってた天文サークルの人ですか?」

「大学よりもっと昔からの知り合い」


 開始前のアナウンスが入る。もう1度スマホの電源を切っているのを確認してかばんにしまった。

 照明が少しずつ落とされ、ドームに夜が訪れた。上空を見上げれば暗闇に数々の光が瞬いている。


『本日はお越しいただきありがとうございます』


 解説は男の人だ。低く柔らかい声が耳になじむ。

 導入は今日の夜空の動きで、三日月と春の星座が天頂へと昇る。

 月替わりに天文・宇宙のさまざまなテーマが取り上げられる。今月のテーマはおおぐま座の一部である北斗七星だった。


 柄杓の器の先端の星と次の星の間隔をのばした先にある北極星の見つけ方、柄のカーブを延長していくとうしかい座のアルクトゥルスからおとめ座のスピカに届く、大きなカーブの春の大曲線。北斗七星の他の見立てや伝承など知っている話もあったが、いろんな角度からやさしい言葉で解説され、上映時間めいっぱい楽しんだ。




 上映が終了して、人に押し出されるようにドームを出た。


「きれいだったね」

「うん。解説わかりやすかった」


 その後プラネタリウムと同じ階にある天文の展示室を見て回る。

 プラネタリウムの歴史のコーナーで、科学館のリニューアル前に使われていた大きなプラネタリウムを見上げていたときだった。


「恭平」


 上映で聞いた、低く柔らかい声。

 短髪で眼鏡をかけた男の人を見て、息をのんだ。


「連絡ありがとう」

さとしさんお疲れ。さっき解説していた学芸員さん。俺の幼なじみなんだ」


  恭平に紹介されて、「こんにちは」と私たちに挨拶した人のシャツの胸元に『長谷川』と印刷されたシルバーの名札があった。


(久しぶり、お兄ちゃん)


「恭平も先生なんだなあ」

「もう4年目だけど」


 感慨深げなお兄ちゃんに、恭平が照れくさそうにはにかむ。教壇で授業をする先生ではなく、弟みたいに見えた。もともと私には生意気なのに、お兄ちゃんには素直だった。「智兄ちゃん」と呼びつけじゃなかったし。


 お兄ちゃんはすっかりおじさんになったけれど、目尻を下げる笑顔がとても懐かしくて、鼻の奥がつんとする。

 ふたりが話している間、亜子に一言言ってトイレに駆け込んだ。個室に入ってこらえていた涙が一粒頬を伝った。


(今の私は涙腺が弱くて困る)


 前の私は感動する映画を見ても、卒業式に出ても、全く泣かなかったのに。強くこすらないようにハンカチでやさしく目元を押さえた。




 トイレから戻れば、お兄ちゃんは仕事に戻ったのかもう姿はなかった。


「具合悪い?」

「大丈夫です」


 完全に涙が引くまで待っていたせいで、出て来るのが遅くなり心配させてしまった。ただ寂しくなってしまっただけ。恭平と亜子の気遣う表情に何事もなかったように笑い返した。

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