20(1)

 翌日から私は熱を出して寝込んだ。

 病院に行けば、インフルエンザではなく風邪だと診断された。本当に風邪だった、と医者の前で笑いそうになった。


[ごめん]


 あれから小泉先輩から最初に届いたメッセージは謝罪だった。返信はしなかった。その後届いたものは既読さえ付けず、電話にも出なかった。


 土曜日に熱が下がっても、月曜日も少し咳が残っていたので大事を取って休んだ。図書委員の当番をさぼる言い訳がほしかったというのもあった。


[今日小泉先輩が円に会いに来て、風邪で休みって伝えた。郁ちゃんって呼ばれてびっくりしたよ」


 学校では昼休みの時間帯に郁からメッセージが届いた。小泉先輩に郁の話をしていたこと、明日は登校すると返信した。



 ○



 5日ぶりに登校した。郁にノートを借りて、時間ができれば休んでいた授業の分を写していた。

 今日は授業中以外、ずっと神経を張りつめていた。いつも以上にくたびれたけれど、昼休みは職員室に行くと嘘をついて、小泉先輩から逃げることができた。

 会わないなんて簡単だ。糸がのびる方向に行かない。糸が短くなってきたら本人が来る前に場所を離れる。


「さっき小泉先輩来てたよ」


 安全な距離を見計らってから教室に戻ると、郁が教えてくれた。


「そっか」

「小泉先輩は円に会いたそうだけど、円は会いたくない?」


 郁の言い方は小泉先輩を避けたのを責めるものではなく、私を心配しているのが伝わった。だから私も正直に答えた。


「今はまだ会えない」

「わかった。次来たら追い返すね」


 きっと私と小泉先輩の関係が気になっているはずだ。私が小泉先輩のことを話さないから、これまで深く聞かれなかった。なんでもないことのように笑うのは郁の優しさだ。


「小泉先輩の噂を聞いたときは、そんな人もいるんだって思うだけだった」


 自分の小さな声に、郁は真面目な顔になって耳を傾ける。


「小泉先輩が描いた絵を見てから、どうして誠実じゃないことができるんだろうって、苦手になった。苦手って、意識してた」


 何度ほどいても桃色の糸がいつの間にか結ばれるから、自然とほどけるのを待つことにした。これ以上色づかないように、無関心であろうとした。

 自分の糸が足元に踏まれていても、まだ平常心で見ていられた。他の人たちのように想いを募らせて赤くなった糸を踏まれる方が傷つくから。私の想いはまだ薄いから。

 糸が現れたこと自体が意識しているあかしなのに。


「自分の思い通りになるのをわかっててわがままになるし、なのに時々こっちの反応を試してくるし、やっぱりよくわからなくて、わかりたいと思うようになって。今でも小泉先輩がやってることも、それを受け入れる女子の気持ちも共感できない。私はあの子たちみたいに割りきれないし、そうなりたくなかった。他の人と同じは嫌だった。……でも結局同じになった」


 その結果、小泉先輩を避けている。

 以前郁も小泉先輩の付き合い方を理解できないというように話していた。失望されても仕方ないと思って話したけれど、郁は代わりに私を許すように微笑んだ。


「話してくれてありがとう」



 ○



 次の日の昼休みも小泉先輩から逃げたけれど、今日はその必要がなかった。昼休みの終わる予鈴が鳴るまで、郁の席で手作りのチョコチップクッキーを食べた。


「ごちそうさま。おいしかったー」

「どういたしまして。小泉先輩、今日は来なかったね」

「もう飽きたんだと思う」

「昨日、円に会わせませんって言ったのが効いたのかな」


 驚いて郁を見るといたずらが成功したみたいに笑っていた。肝が据わった友だちに私も笑いながら「ありがとう」と伝えた。




 放課後、念のため神経を張りつめたまま階段を下りていれば、糸が短くなるばかりなことに気付いた。


(昇降口にいる)


 自分の糸だけ触るとその先の相手と周辺の景色が見えるようになった。レベルがひとつ上がった、なんて少し複雑な気分。

 小泉先輩がいなくなるまでどこで時間をつぶそう。図書室や自分の教室では見つかるかもしれない。まずは離れなくちゃ。人の流れに逆らって肩身を狭くしながら階段を上っていたら、真辺先輩が前から下りてくる。その横にはバスケットボール部の1年生の男子もいた。

 真辺先輩と目が合い、「こんにちは」と私から挨拶した。


「さっき優斗と話してたの聞いたけど、藤が昇降口で結城さんを待ってるみたい」


 思わず苦笑いを漏らすと、整った眉がひそめられる。


「けんか? もしかして私みたいにこじれた?」

「拗れる前に逃げました。あ、逃げている途中ですね」


 真辺先輩は背の高い後輩を振り返る。


南風原はえばら、部活終わるの待ってる」

「マジっすか!?」


 はっきりした二重の目が輝く。彼にしっぽが生えていたらぶんぶん振っているに違いない。


「部活やる気出た!」

「いつも出して」

「ちゃんと待っててくださいね。結城さんありがとうございます!」


 なぜか私にお礼を言って、ご機嫌に階段を下りていった。


「男バスの後輩に、あいつの首に縄付けてでも部活に連れてきてくださいって頼まれたの。それで、話ぐらいなら聞くよ?」


 優しい言葉に鼻の奥がツンとする。

 真辺先輩は小泉先輩と別れてからも、学校ですれ違えば挨拶してくれたり、ファストフード店で南風原君と付き合ったと報告してくれたりと、私を気にかけてくれる。小泉先輩に振り回されてばかりだけれど、真辺先輩と知り合うきっかけだったことは、素直にお礼を言える数少ない出来事かもしれない。

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