19(2)
小泉先輩の家は平屋で、玄関をあがると長い廊下があり、その左右に部屋がある間取りだった。左側の居間を通り抜けて奥の台所に案内され、小泉先輩に鍋や使っていいものを準備してもらう。
「お粥ができたら部屋に呼びに行きますね」
「寝るの飽きた。ここにいる」
(柏木先輩、正解)
「寒くないようにしてください」
「上着取って来る」
青のパーカーを着て戻ってきて、小泉先輩は居間のテレビをつけた。台所との間の引き戸を開けているので、夕方のニュースと、時々咳が聞こえてくる。
食欲があるので、粥は今日の夜と明日の朝も食べられる分を作った。
食器を出してもらおうと後ろを振り返ると、小泉先輩はこたつのテーブルにひじをついてこちらを見ていた。目が合って、きれいな顔が笑みをつくる。
「食器出してもらっていいですか?」
「うん」
出してもらった茶碗に粥をよそって持っていってもらい、後からマグカップとお茶を沸かしたやかんを運んだ。
小泉先輩は「いただきます」と食べはじめる。私は向かい側に座った。
「病院行きましたか?」
「病院苦手」
「薬は?」
返事はない。ごはんを食べてないうえに薬ものんでなかったらしい。
「お薬買ってきます」
「多分、食器戸棚にある」
咳をしながら台所の食器棚をごそごそと探す。結局見つからなかったみたいで、「親に後で聞く」ということで譲歩した。
「熱は?」
「38度5分」
「結構ありますね。インフルエンザかも」
「風邪だと思う」
かたくなに病院に行こうとしない。明日になっても熱が下がらなかったら、親が病院に連れて行くだろう。
粥を食べ終えても「まだ起きてる」と駄々をこねる大きな子どもを、今度は有無も言わさず部屋に押し込み、大きな保冷剤をタオルで包んで簡単な氷枕を作った。
居間の向かい側、小泉先輩の部屋の前に立ち、ドア越しに声をかける。
「氷枕持ってきました」
「入ってもいいよー」
ゆっくり引戸を開けると、スタンドに立てたギターがまず目に入った。その右側のベッドで小泉先輩は横になっている。氷枕を受け取ると頭を乗せて、「冷たい」と目を細める。
ごはんも食べたし、薬の場所もそのうちわかる。あと必要なのはぐっすり眠ること。
「帰りますね」
「えー。寝るまでいてよ。寝ないけど」
「寝てください。小泉先輩が眠ったら、鍵開けたまま帰れないじゃないですか」
「リュックとって」
床に置いてあったリュックを渡せば、咳をしながらポケットから鍵を取り出した。
「閉めた後ポストに入れてくれたらいいから」
諦めて、小泉先輩の言うままにベッドのそばに膝を抱えて座る。
「昨日、約束してたのに先帰ってごめんなさい」
「けほっ。俺が女子といたから遠慮したんでしょう。勝手について来ただけだから」
もぞりと布団の中で身じろぎして、顔をこちらに向けるように寝返りをうつ。
「まるちゃんの友だちで眼鏡の男が『雑賀君』だっけ」
脈絡のない質問に不思議に思いながら、はい、と答える。
「まるちゃんの用事は」そこで一旦止めて、言い直す。「赤い糸は、あいつと繋がってるの?」
不意打ちに言葉が詰まった。正直に答えるべきか迷っているうちに、そうなんだ、とひとり納得する。
「仲良さそうだったもんね」
小泉先輩は身体を起こして布団から出る。
「水取ってくる」
「取って来ましょうか?」
「大丈夫」
言われる前に、ちゃんとパーカーを着て部屋を出ていった。
一人残された部屋で今の質問の意図を考える。そういえば昨日、雑賀君は小泉先輩とあまり穏やかでない会話をしたらしい。内容は隠されたけれど、やっぱり聞いた方がいいかもしれない。
スマホのロックを外すとクリスマスマーケットのツリーの写真が出る。希望と永遠の生命の象徴。冬休みに読んだ本の中で、クリスマスツリーの由来が豆知識として語られていた。
この日からまだ1ヶ月も経っていないのに、状況が大きく変わったものだ。
昨日告白を断ったばかりなのに、雑賀君に小泉先輩のことでわざわざ連絡するのも躊躇われる。明日、雑賀君に聞こう。思い直してスマホをしまおうとして、後ろから伸びてきた手に奪われた。
「切っちゃった」
テーブルに置かれたスマホの画面は真っ暗。私の頭も思考停止する。
「けほっ」
小泉先輩はベッドに座り、背中を丸めて咳を続ける。肺から出すような重い咳が苦しそうで、とにかく考えるより先にその隣に座って背中をさする。
ようやく咳が落ち着いて体が起こされる。目が合うより先に自分より大きな手のひらが私の肩に触れ、そのまま後ろに押し倒された。マットレスの反動で1回体が跳ねる。
小泉先輩は咳をしながら囲うようにまたがり、背筋がぞっとするような冷たくきれいな笑みを浮かべ、私の肩へと頭をかがめる。視界に映るのは青の布地。首に落とされた唇に肌が粟立った。
「このまま続けたら、明日あいつにどんな顔して会う?」
小泉先輩は頭を上げ、呆然として声を失ったままの自分を無表情で見下ろす。
「置いていかないって言った」
手は熱いのに、目は
それでいて、今にも泣いてしまいそうな子どものようだった。
息を吐いて、強張っていた体の力を抜く。腕を伸ばして、柔らかい髪に指を通す。理解できないように
空中に浮遊するように目を覚ました。部屋は薄暗く、高い位置にある窓からレースのカーテン越しに藍色の空が見える。
隣で眠る人を見て、まどろみから覚醒する。ゆっくりと起き上がると下腹部に重い痛みを感じた。床に脱ぎ捨てられた衣服、ベッドのそばにゴミ箱が見えて、さっきの行為を思い出し、のぼせて顔が熱くなる。
物音を立てないように注意して、
(よく眠れますように)
玄関の鍵は忘れずにかけてポストに入れた。
マフラーを部屋に忘れたことに気づいたのは、道路に出て冷たい風が首元をなでてからだった。
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