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 小泉先輩に会ったら、ちゃんと後輩の顔で昨日のことを謝ろう。そんな心構えをしていたものの、見かけることもついになかった。


 放課後。3年生の下駄箱の前で柏木かしき先輩と麻生先輩がいた。目立つブロンドの髪を眺めて通り過ぎようとしたとき、柏木先輩と目が合う。日本では見慣れない碧眼に見つめられて緊張する。


「まるこちゃんストップ」

「え」

「まるこじゃなくて、まるちゃんだよね」

「あ、はい」


 思わず肯定してしまうほど、このあだ名にもなじんでしまった。

 ふたりに話しかけられるのははじめだった。突然のことに混乱していると、麻生先輩がにこっと笑った。親しみやすくてかわいい人だと思う。東先輩の話によると柏木先輩が溺愛しているらしい。


「藤が風邪ひいた。まるちゃん、お見舞い行かない?」

「そんな突然悪いよ。私が行く」

「今風邪うつったらだめ」

「マスクあるし、長居しない」


 3年生にとって受験シーズンだ。柏木先輩はスリッパなのに、麻生先輩だけ靴に履き替えている。ひとりでお見舞いに行く予定だったらしい。


「藤から鬱陶しいメッセージ来て」


 柏木先輩はスマホを操作して、私に画面を見せた。


[桃ゼリー食べたい]

[卵酒飲みたい]

[ひまひまー]


(たしかにちょっと鬱陶しい)


「返信したけど既読付かない。優斗も俺も寝てるだけって言っても、今日おじさんが家にいないからこのみが心配してて。熱と咳だけみたいだし、生きてるか確認したらすぐ帰っていいから」


 この後は帰るだけ。昨日約束をすっぽかした負い目もあった。


「私がお見舞いに行ってもいいんでしょうか?」


 先輩たちふたりはきょとんとする。


「大人しく寝ないかもしれない?」

「藤君がうれしいかなって思うけど、無理はしなくていいからね」

「うれしい、ですか?」

「うん」


 麻生先輩の笑顔に後押しされて、「行きます」と答えていた。




 あくびが出そうになって口元を手で覆う。昨日は色々と考え過ぎて夜更けまで眠れなかった。

 不毛な片思いが実る見込みもないくせに、またとない幸運を逃した気がしてならなかった。


 告白を断った理由を、例の糸も関係あるかと雑賀君に聞かれた瞬間は首を振った。けれど、長く付き合うほど、私は記憶を消した女の子のことが気になるかもしれなかった。

 雑賀君を選ばなかった正当な理由を無理矢理探してみても、結局問題は私の方にある。

 元カレと別れたときみたいに、自分より大切な人がいるのをわかっていてすがるのを惨めに感じる。たとえ私が相手を好きでも、努力せずに別れる楽な方を選んでしまいそうだ。


(まともに恋愛ができそうにない)


 白のマフラーに顔をうずめて、桃ゼリー、スポーツドリンク、レトルトのおかゆを入れた袋を揺らしながら小泉先輩の家に向かう。住まいは福泉堂の裏にあるらしい。

 福泉堂は臨時休業で閉まっていて、教えられた通り店の裏に回れば玄関があった。チャイムを鳴らしても家の中に反応はない。寝ているかもしれない。

 もう1度メッセージを送って返事がなければ帰ろう。文章を打つ途中で家の中から物音がして、引戸が開いた。


 小泉先輩はスウェットを着ていて、熱が高いのか顔がほてっている。


「メッセージさっき見た」


 学校を出る前にも送っていたけれど、結局突撃訪問の形になってしまったらしい。謝りながら、ビニール袋を渡す。


「突然ごめんなさい。これ、お見舞いです」

「全然。ありがとー」


 小泉先輩の顔を見て、お見舞いセットも渡して、頼まれたことは達成した。


「じゃあ、お大事にしてください」

「もう帰るの?」


 しょげた声とお腹の鳴る音が重なった。


「今日ごはん食べましたか?」

「なにも。朝は食欲なかったし、作るのだるいし」

「おうちの人はいつ帰ってきますか?」

「明日。葬儀で遠くに行ってて」


 今自分が帰ったら、小泉先輩は食べずに済ませそうだ。これ以上は踏み込み過ぎだとブレーキをかける前に咳が聞こえた。寒いところで立ち話するのも良くない。気持ちがお節介の方に傾く。


「卵酒は作れないけど、卵粥なら作りましょうか?」

「やった」

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