青のパーカー

18(1)

 3学期が始まって最初の月曜日。放課後の図書室には3年生の姿が2学期よりも増えていた。

 試験まで残りわずかな時間を勉強につぎ込むような張り詰めた空気の中で、窓に近いテーブルに植物図鑑を広げ、組んだ腕に頭をのせて眠る人は目立つ。疲れているのかな。返ってきた本を棚に戻すのを途中で止めて、テーブルに近づき小さな声で呼びかける。


「小泉先輩」


 体勢はそのままで頭だけゆっくりと上がり、けほっと咳をする。


「風邪ですか?」

「うーん」


 目が潤んでいる。眠たいのも熱のせいではと心配になる。


「今日は帰った方がいいんじゃないですか?」

「でも、もうすぐ学校来なくなるし。月曜日は、放課後まであるのはあと1回だけだし」


 年が明けてから寒い日が続いている。これ以上風邪が悪化しないように帰った方がいい。わかっているのに、私からはそれ以上帰宅をすすめることができない。

 3年生の登校は1月まで、2月から自宅学習になる。こうして顔を合わせて話すことも、学校で姿を見かけることさえなくなってしまう。


 小泉先輩がのそりと体も起こし、植物図鑑を閉じた。


「他の人の迷惑になりたくないし、今日は帰る。図鑑の返却期限過ぎたけど、また借りてもいい?」

「手続きしますね」


 カウンターで利用者カードを出してもらい、パソコンで延長の手続きをする。新しい返却日を書いたしおりを図鑑に挟んで、正面に差し出した。


「明日も月曜日だったらいいのに」


 頭上からふる、甘えた声に顔を上げられなくなる。

 この人はなぜ、3学期になっても月曜日に図書室に来るんだろう。私に会いに来るんだろう。


(私に何色の思いを持っているんだろう)


 本をつかむ手から慌てて視線を逸らす。今小泉先輩の指を見たら、無意識でも能力を使って糸を見てしまう。ああでも、指に結ばれずカウンターをつたって足元に落ちているかもしれない。そんな自虐的な考えも頭をかすめる。


「私も返し忘れた本があるので、明日、放課後持ってきます」

「じゃあ俺も明日までに治して来る」

「お大事にしてください」


 喉にせり上がってくる衝動をこらえて、声をしぼりだした。



 ○



 朝の集会で体育館に整列したとき、3年生の列の前方にマスクをしている小泉先輩を見かけた。

 クリスマス・イブに雑賀君に気持ちを伝えて、冬休みに気持ちを整理できたと思っていたのに。 近くにいても遠くにいても、視界に入ると胸が苦しくなる。小泉先輩が卒業したら繋がりは途絶える。その日を望む気持ちと拒む気持ちが絡まっていた。




 掃除が長引いていつもより遅れて図書室に到着した。当番以外で放課後に来るのは初めてだ。

 入口のそばのカウンターに、今日は谷口先輩が座っていた。火曜日の放課後が当番だからだ。


「こんにちは」

「あ、こんにちは……」


 参考書から顔を上げた谷口先輩は私を見て、大げさに言うとこの世の終わりみたいな顔をした。谷口先輩は大人しいけれど、結構表情豊かだと、話すようになって知った。


「藤君と待ち合わせ?」


 消え入りそうな声に嫌な予感がする。それでも、現実を見るために図書室をゆっくりと見渡す。

 奥のテーブルに小泉先輩が座り、そのすぐ近くに女子が立って話しかけている。スタイルがよくて、横顔でもかわいいのがわかる子だった。

 月曜日に見かけなかっただけで、私が思い込んでいただけで、今までも【友だち】を図書室に連れてきたのかもしれない。


(図書室で過ごす時間が特別だと思っていたのは、私だけだったんだ)


「結城さん」

「帰ります。さようなら」


 カウンターから谷口先輩に呼び止められたけれど、なんとか笑みを作って、逃げるように図書室を出た。




(本返すの忘れてた)


 冬休みに借りていた本は、さらに返却期限を過ぎてしまった。そのうち督促状が届くかもしれない。

 図書室のある3棟から人気のない渡り廊下を歩いていると、前から雑賀君が現れた。ブレザーの制服に私が贈ったネックウォーマーを着けて。

 向こうも私に気づき、端正な顔をしかめる。


「何があった?」


 心配されるぐらい私はひどい顔をしているらしい。でも、雑賀君には小泉先輩のことを話せない。まだ告白の返事もしていないのに、頼っちゃいけない。


「なんでもない」


 今までも小泉先輩には【友だち】がいたし、私たちはただの先輩と後輩だ。何も変わっていない。

 私の糸がより色づいただけ。


 黒縁眼鏡の奥の視線が、私からその肩越しへと移る。


「またあの人のことか」


 長い指が私の指をそっと触れる。意識をその手に、目の前の人に向けさせられる。

 雑賀君は私と視線を合わし、目を細めて笑った。


「後ろを振り返らずに、教室で待ってて」






 私以外誰もいない教室。鳥肌が立つのは教室の暖房が切れているせいじゃない。

 さっきまであれほど小泉先輩から逃げたい気持ちだったのに、今は雑賀君を待たなくちゃと、いつ来るかもわからないまま帰らずに自分の席に着いている。こんなの普通じゃない。頭は警告を発しているのに、体は違う人のもののように動かない。


「ごめん、お待たせ」


 雑賀君が後ろのドアから姿を現した。穏やかな声に初めて恐怖を感じた。


「顧問の先生に用事だったけど、話長くて」

「私に何したの?」

「何って?」

「雑賀君が、私に教室に行くように言ってから頭が痛くなって、うまく言えないけど、誰かに動かされるみたいに教室にいた」


 小泉先輩と女の子がいるところを見たショックも、その他の思考も消えて、教室へと足を動かしていた。

 こちらへ近づく足音が止まる。雑賀君は信じられないものを見たように目を見張っていた。


「暗示が完全にかからなかったんだ……」

「暗示?」

「俺は、相手に暗示をかける力がある」


 驚きよりも納得の方が大きかった。思い当たることがあったからだ。


「文化祭で当番を遅刻した人たちにも、暗示をかけた?」


 雑賀君が遅れた理由を問いただして、彼女たちはためらいもなく自白した。あのとき今日と同じように違和感があった。当てられたんだろう。


「かけた。でも、今の話信じたの?」


 私が素直に受けとめて、雑賀君の方が動揺している。彼の珍しい表情を見て、さっきまで強ばっていた肩の力が抜けた。


「私も同じ。私は赤い糸が見える。運命の赤い糸じゃなくて、想う人へと繋がる糸だけど」

「自分以外で特殊な能力がある人に会うのは初めてだ」

「私のおばさんも赤い糸が見えるけど、この能力以外の人に会うのは私も初めて」

「驚いたけど、田中と将真がけんかしたとき、仲直りするって言い切った理由は納得した。じゃあ、俺の気持ちももっと前から見えてた?」

「……うん」


 雑賀君は照れたり恥ずかしがったり、黙っていた私を責める態度さえまったく見せず、ただ「すごいな」と微笑んだ。

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