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高校に入学して1ヶ月、新品で少し硬い生地のブレザーも体に馴染み、校内の地図も覚えた頃。
友だちになった郁と、郁と中学から同じ高橋君と話していた休み時間に、違うクラスだった彼が教室に来た。
「将真、電子辞書貸して」
「俊が忘れ物とか珍しい。貸すから今日の部室の掃除当番代わってな」
「電池切れた。そういや田中の電子辞書って俺のと同じだよね。やっぱ田中に貸してもらおうかな。いい?」
「いいよー」
「もう持ってきたし、俺が貸す」
「ありがとう」
高橋君から電子辞書を受け取ったあと、彼は
「雑賀俊っていいます。将真たちと同じ中学」
「結城です」
「『ユウキ』って、名字? 名前?」
「名字。結城円です」
「よろしく」
黒縁眼鏡をかけて、制服をきちんと着こなして、見た目からして優等生という感じ。でも、とっつきにくい雰囲気は全然ない。
雑賀君が来るまでしていた話題を、雑賀君にも聞いてみた。
「雑賀君は、修学旅行北海道と沖縄どっちがいい?」
「昨日アンケート取ったやつ? 北海道にした」
「一緒! 円と私は北海道にしたけど、高橋は沖縄にしたんだって」
「水族館行ってジンベイザメ見たい」
「私は動物園行きたい」
高橋君と郁の間には赤い糸が結ばれている。でも、糸が見える能力がなくても、両片思いだとすぐにわかっただろう。「仲良い」と周りから冷やかされても、ふたりは友だちだと言い張っているけれども 。
肩を軽く2回叩かれるてそちらを見ると、雑賀君はふたりをこっそり指差し、「バカップル」と私にだけ聞こえる音量で言って、目を細めて笑った。
次に雑賀君に会ったのは、翌週の体育祭だった。
グラウンドに近い自動販売機に追加の飲み物を買いに行ったとき、雑賀君が後から自動販売機に来た。
「結城、長距離速かったな」
「中学のとき陸上部だったの。現役には全然敵わなかったけれど。雑賀君はさっき部活リレー出てたよね。3位おめでとう」
「野球部に勝ったら今日部活なしだったけど、負けたから外周になった」
「まだ走るの?」
「ひどいよなあ」
雑賀君も飲み物を買って、どちらともなく一緒にグラウンドへと歩く。
名前を知っている程度の顔見知りなので、話題は共通の知り合いになる。
「郁と高橋君って、あれでなんで付き合ってないの?」
「ははっ。将真に言ってやって。中学のときに田中のことふったから、今更告白できないとか言ってるの」
「そうだったんだ。郁から何も聞いてないけど、郁はまだ高橋君のこと好きだよね?」
「そう。とっととくっつけばいいのにって思う」
「私もそう思う」
「これからあいつらの無自覚のいちゃいちゃに胸焼けしたら、結城に愚痴っていい?」
「ふふっ。いいよ。私も聞いてもらおうかな」
「今スマホ持ってないから、田中に結城の連絡先聞いていい?」
「うん」
グラウンドが見渡せる場所に出た。今は障害物競争が行われていて、あちこちで歓声が上がる。
意識を目の前の体育祭に引き戻される。それぐらいおしゃべりに夢中になってた。
雑賀君はこの後の選抜リレーに出場するため入場門へ、私はクラスのテントへと逆の方向に別れた。
もっと話してみたいと思った。雑賀君の声はよく通り心地よいから、メッセージのやりとりよりもできたら直接。
何かが始まる予感に浮き足立って、後ろを振り返る。
(今好きな人はいるのかな?)
目を閉じ、もう一度目を開けて、その背中の左手を見つめる。
相手から思われる赤から白のグラデーションの糸とは異なる、途中で赤から白に切り替わった糸が小指に結ばれていた。
○
強い風が音を立てて吹くとともに、ガタンと窓が揺れた。思わず右へと顔を上げると、窓の手前、雑賀君の横顔が映る。冬の日差しみたいな人、とふと思う。
「これから後ろは副詞だから、先にこっちを訳して」
正面では郁と高橋君が机を並べて座る。郁の説明を聞いて、
「やっとわかった」
「私も」
私もあやふやなところだったので、一緒に説明を聞いていた。英語独特の構文も前より理解できた気がした。
「よかった。私も教えながら気づくことある」
「人に教えるのも結構勉強になるから」
郁に同意した雑賀君はどの教科でも教える側に回ることが多い。
放課後、明後日からの期末テストに向けて、いつものメンバーで机を合わせて勉強会をしていた。一区切りついて会話が続いた流れで、自然と休憩する感じになる。
高橋君が思い出したように、サッカー部の先輩が専門学校に合格したという話を雑賀君にした。
「そこ、夏休みに将真がオープンキャンパスに行ったところだっけ」
「うん」
「高橋君はもう進路決めたの?」
「理学療法士の資格取りたいから専門学校」
高橋君は大きな怪我をしたことがあって、担当の理学療法士がかっこよかったと話していたのを思い出した。
「そこにしたんだ。私もオープンキャンパス行ったけど、まだ決まらない」
「郁は学部で迷ってるんだっけ?」
「教育学部じゃないと教員免許を取るのに余分に授業受けなくちゃいけなくて、でも語学の学部や大学は留学の制度が整ってるところが多い。一度留学もしてみたいんだ」
郁は教員を目指している。科目は得意の英語を考えていて、あとは志望校を決めるだけ。
「結城と俊はどうすんの?」
「私は親がいいって言ったから進学の予定だけど、まだ決まってない」
「俺も進学ということだけ」
雑賀君も決まってないのが意外だった。自分はまだ先が見えないせいで、今進路の話をするのはきつい。同じ姿勢でいたのも疲れ、気分転換しようと立ち上がる。
「飲み物買いに行ってくる。ついでに買ってくるけど」
「大丈夫」
「俺も」
「一緒に行く」
雑賀だけが立ち上がった。
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