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 最後の展示室は、その画家と交流があったり影響を受けたりした別の画家たちの作品が飾られていた。

 その展示室と出口への通路に飾られた最後の絵は、女性の肖像画だった。

 薄い青のワンピースというシンプルな服装、目がくっきりと大きい美人が真っ直ぐに画家を見つめ、優しく微笑んでいる。

 絵の脇にあった解説には、画家の「最愛の妻」と書かれていた。


「最愛の妻だって」

「ラブラブだったのねえ」


 私たちの前を歩いていた母親ぐらいの年齢の女性2人が、この絵を見てそんな会話を交わしていた。

 2人が出口を出た後、小泉先輩が小声で言った。


「この人は画家の3人目の妻。『最愛の妻』なんてフレーズ、1人目と2人目の奥さんが見たら気持ちのいいものじゃないだろうけど」

「元奥さんたちは画家よりもずっと良い人と出会って、この絵を鼻で笑ってるかもですよ?」

「俺に元カノを引きずってるのか聞いた人と同じに思えないことを言う」


 小泉先輩は鼻で笑い、「でも、大事に描いたのが伝わるから、俺はこの絵結構好き」と言った。




 企画展の出て、せっかくなので2階の常設展も見ていくことにした。

 常設展は企画展よりも人が少なく、それぞれが自分の思いのままに過ごしている。私たちも感想を言いあったり、黙って眺めたり、ゆっくりと時間をかけて絵を見て周った。静かな時間が居心地よかった。


「よく美術館に来ますか?」

「興味のある企画展のときは」


 館内を進む足に迷いがなく、何度も来ているのだと想像できた。


「今回も最初はひとりで来るつもりだった。美術館ならあまり高校生が来ないと思ったけど、まるちゃんの好みじゃなかったらつまんないかもって心配だった」

「楽しいです」


 小泉先輩にはそっけない反応をしながら、本当は今日を楽しみにしていた。


 自分の能力を初めて家族以外に話した日、結局あの後小泉先輩も図書室についてきた。


『絵は興味ある?』


 閉館時間になり、窓とカーテンを閉めるのを手伝ってもらっていたときにそう聞かれた。


『選択授業で美術を選ぶくらいは』

『日曜日美術館でもいい?』

『はい』

『今好きな画家の企画展やってるんだ』


 もともと絵や写真など美しいものを見るのが好きだった。それから、その日の出来事や友だちの話はするけれど、何が好きだとか、あまり自分の内側を話さない小泉先輩に少し近づけたような気がした。




 常設展も見終えて、最後にアートショップに寄った。

 壁際に美術館所蔵の作品や企画展の作品のポストカードが並んでいる。小泉先輩がそのうちの1枚を手に取り、しばらく眺めてからボックスに戻した。


「まだ時間大丈夫?」

「大丈夫です」

「ここのカフェおしゃれだよ」

「行ってみたいです」


 アートショップの隣にカフェが併設されている。私も美術館のホームページで見て気になっていたのだ。

 実際に入ると、黒で統一されたテーブルとイス、白の壁に庭園を臨む大きな窓があり、店内には控えめにジャズが流れていた。

 小泉先輩は気負わず席に案内されるけれど、学生が溜まるファストフードの店に慣れた私は上品な雰囲気に気後れしながら席に着いた。

 店員さんが持ってきたメニュー表を、小泉先輩は私が読める向きに置き直した。


「このカフェもよく来るんですか?」

「ひとりでは入らないから、俺も久しぶり。小さい頃はここに連れてきてもらうと、カフェでケーキ食べるまでがセットだった」


 メニューにはデザートのケーキとパフェの写真、ドリンクの種類が並んでいる。

 飲み物はホットコーヒーにする。再び前のページに戻ってケーキを迷う。一口サイズの5種類のケーキが食べられるプレートはいろどりもかわいい。


「ケーキは頼みますか?」

「昨日いとこがホールケーキ買ってくれたから、今日はいいや」

「誰かの誕生日だったんですか?」

「俺の」

「え?」

「18才になりましたー」

「おめでとうございます」

「ありがとう」


 ケーキプレートを頼むか迷って、私は食べるのが遅いから待たせてしまうのを気にして今回はやめることにした。

 コーヒー2つ注文を済ませてからお手洗いに席を立った。トイレはカフェの入口近くにあり、席に戻る前にアートショップに立ち寄った。


 カフェに戻ると自分たちのテーブルにコーヒーが置かれていた。小泉先輩は窓から外を眺めている。整えられた庭園では草花が気持ちよさそうに風にそよいでいる。


「お待たせしました」

「お帰り」

「あらためて、お誕生日おめでとうございます」


 アートショップの白の袋を差し出す。小泉先輩はびっくりしながら受け取った。


「え、ありがとう。開けていい?」

「はい」


 中身を取り出し、その目が丸くなる。

 クリスマスの時期によく目にするポインセチア。その水彩画のポストカードを贈った。

 小泉先輩がアートショップで手に取り、展示でも一番長く眺めていた、花のスケッチのシリーズの1枚。


「さっき買おうか迷ったからうれしい。なんか気遣わせちゃってごめん」

「私が渡したかっただけです」


 そう言うと、小泉先輩は喜んでいるような困ったような複雑な笑顔を浮かべた。


(迷惑だったかな)


 だけど今日のプランを考えてもらったし、書庫の整理を手伝ってもらったし、私だって何かお返ししたかった。小泉先輩の誕生日を祝いたかった。


「美術で赤い花畑を描いてたし、赤い花が好きなんですか?」

「このポインセチアみたいな絵を描きたかった。赤って戦隊もののリーダーとか、強い、派手ってイメージだけど、この水彩画の赤は柔らかくてきれいだから。ポインセチアの赤い部分が花じゃないって知ってた?」

「花だと思ってました」

「俺も。図鑑見てびっくりした」


 ポストカードを私も見えるようにテーブルの中央に置く。


「赤い部分はほうっていう葉が変化したもので、花はこの黄色のつぶつぶの部分。葉や茎には毒があるんだって」

「知らなかった」


 小泉先輩はポストカードを丁寧に袋に入れて、もう一度ありがとうと言った。


「まるちゃんの誕生日はいつ?」

「10月31日です」

「終わってるじゃん! 言ってくれたらよかったのに」

「月曜日じゃなかったし、言うタイミングも特になかったので」

「お返しは来年かー」

「小泉先輩は高校卒業してるじゃないですか」


 私は小泉先輩にとって卒業までの暇つぶし。来年には繋がりがなくなっている。


「じゃあ今欲しいものある?」

「欲しいもの……」


 アクセサリーや文房具、これまで友だちからもらった誕生日プレゼントを思い浮かべる。それらでもうれしいけれど、小泉先輩からもらえるという最初で最後の機会で頼むのは惜しい気がする。


 慎重に考えて、以前聞いた高橋君と郁のやりとりを思い出した。


「ものじゃなくてもいいですか?」

「なになに?」


 興味津々の顔が、欲しいものを伝えると苦くなっていく。


「無理なら別のもの考えます」

「そんなのでいいのって感じだけど……」


 強くうなずくと小泉先輩は小さく笑った。


「いつにする?」


 今日の小泉先輩はいつもみたいにテンションが高くない。新しい面を見る度に小泉先輩の人柄がわからないような気持ちになる。

 カップの取手を持って黒いコーヒーをのぞく。底は見えず、水面に自分の輪郭が映った。

 わからないならわかりたいと思ってしまった。

 明日香さんの言っていた意味をようやく理解する。

 あれだけ避けていたのに、いつの間にか、理屈ではどうしようもない感情が胸の中にあふれていた。

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