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 今週は掃除当番から外れたので、放課後になってすぐに図書室に向かった。自分が一番乗りだと思ったのに、6人がけのテーブルの上にスケッチブックと青のスマホカバーを見つけた。


 耳をすませば奥の本棚の方から話声が聞こえてくる。

 小泉先輩は図書室に【友だち】だけでなく、東先輩も含め友だちを連れて来たことも、私が知る限りはない。口にして約束したわけではないけれど、ふたりで会うのが暗黙の了解だと思っていた。


 奥の本棚から小泉先輩と、文化祭で一緒に当番をした谷口先輩が現れた。【友だち】とはまた違う、親しげな空気がふたりの間にはあった。

 谷口先輩からのびた赤い糸の先が、小泉先輩の足元に落ちている。

 無意識に能力を使った罪悪感と、自分の小指からのびた糸の行方に怖気づいて、慌ててぎゅっと目を閉じた。


「結城さん、大丈夫?」


 谷口先輩が気遣って声をかけてくれる。再び目を開いて、糸を見えなくした。


「コンタクトが痛くて。もう大丈夫です」


 小泉先輩は私と谷口先輩を見比べて目を丸くした。


「いつの間に仲良くなったの?」

「文化祭の古本市で一緒に当番をしました」

「このみちゃんはルカくんに取られるし、蛍ちゃんは家庭部の当番だし、ここに避難してた」

「俺も図書館に来ておけば良かった」


 谷口先輩はそこでなぜか私の方を見た。唇を引き結んでいるけれど、目が三日月型になっている。

 もし【友だち】と誤解されているなら訂正したい。でも、聞かれてもないのにただの先輩後輩の関係だと弁解するのも、逆に意識しているようで嫌だ。


「志穂ちゃん、本ありがとう」

「どういたしまして」


 谷口先輩は定位置のキャレル席に着いて、勉強を再開した。


「良さそうな本探してもらった。借りていい?」


 手に持っていたのは花図鑑だった。小泉先輩と谷口先輩は本来の意味の友だちだった。

 私はカウンターに入り、小泉先輩の貸出の対応をした。帰り際に本を借りていく人への貸出手続きが切れたところで、カゴに返されていた本の返却手続きをした。


 今日は他に仕事を頼まれていないので、すぐ手持ちぶさたになった。

 風が強く、時折窓が音を立てて揺れる。窓から見える木々は鮮やかな赤や黄色の葉をつけていた。

 カウンターから図書室内を見渡す。小泉先輩は6人掛けテーブル席の端に座り、花図鑑を見ながらスケッチブックに描いている。

 何を描いているんだろうと思い、返ってきた本を抱えて立ち上がる。本棚に戻した帰りにテーブルに近づくと、線の輪郭がはっきり見える前に、小泉先輩は私に気付いてさりげなくスケッチブックを閉じた。そして、周りの人の邪魔にならないように小声で尋ねる。


「この前理緒と遊んだって?」

「はい」

「自慢してきた。俺もまるちゃんと遊びたい」

「カラオケで会った日みたいに小泉先輩の【友だち】ににらまれたくないので厳しいです」

「遊びたい遊びたい」


 それでも承諾しないでいると、私のブレザーの袖をつまみ、上目遣いで見る。


「ダメ?」


 高校3年生とは思えないお願いの仕方。【友だち】といるときの危うげな雰囲気とのギャップが大きくて調子が狂う。

 今日は聞き分けの良い子じゃなくて、駄々っ子だ。でも、もし私がもう一度否定の言葉を言えば、残念、とでも言って、あっさりとこの手を放すのだろう。そんな様子がくっきり想像できた。

 そんな聞き分けの良さも、今断ったらもう二度と誘われないような気まぐれさも、この私の歯がゆい感情さえ小泉先輩の思い通りかもしれなくても、色んなことがなんだか悔しくなってしまったら、仕方ないから、というポーズで答えるしか残されていなかった。


「わかりました」

「いつにする? 土日はバイトだっけ」

「来週の日曜日は入ってないです」

「じゃあその日で」


 うれしそうな表情を見て、暇つぶしだとわかっているのに、私は他の人たちと違うんじゃないかと自惚うぬぼれそうになる。


「どこか行きたいところある?」

「知り合いに会わなさそうなところがいいです」

「そのあたりぶれないよね」


 これでも譲歩している方だ。しょんぼりする前に自分の行動を見直してほしい。


「なら俺が行くところ決めてもいい?」

「はい」

「決めたら送るから、連絡先教えて」

「あ、はい」


 小泉先輩は椅子に座って、私は立っているから、頭を見下ろす格好になる。このアングルも初めて話した日以来で、スマホを操作する横顔を見てきれいな顔だと改めて思う。

 連絡先を登録したことで、知り合い以下から変わってしまった気がした。データとして存在が残ってしまうことに、今すぐ消したくなるような抵抗を覚える。


「図書委員の仕事はまだある?」

「今はないです」

「座って話そう」


 どこに座るのが正解だろう、と一瞬悩み、小泉先輩の正面に座ってみる。


「何を描いてたんですか?」」


 前から気になっていたスケッチブックの中身。色鉛筆を拾った際も膝に伏せられていて絵は見えなかった。


「花とかだけど……。スケッチブックの中見せるの苦手なんだよね」

「あ、すみません」

「ふはっ。まるちゃんの方が謝るんだ」

「だって私も、スマホの中に変なものは入っていなくても、写真とか、全部を人に見せたくないです」

「変なものってどんなの?」

「からかってます?」

「じゃあ、どんな写真を撮るの?」


 すぐに思いつかなくて、スマホのフォルダを開き、スクロールしながら写真を確認する。


「最近だと文化祭で友だちと撮って、和菓子屋さんの落雁らくがんとか、郁のお菓子とか……。あ、郁は友だちで、お菓子作りが得意で、よく学校に持ってきてくれるんです」

「お菓子好きなんだ」

「はい。あと、花や風景とか。SNSにアップしないけど、すてきだなって思ったものは後で見返してもそう思うから」

「そういうのいいね」


 その声が柔らかくて響くから、思わずスマホから顔を上げる。小泉先輩はうつむき加減に指に挟んだ赤の色鉛筆をくるりと回した。

【友だち】を甘やかして、冷たく突き放して、友だちと楽しそうにいて、ひとり静かに絵を描いて、わがままを言って、けれど、本当の心は見せなくて。

 小泉藤という人間をまだまだつかめそうになかった。

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