09

 スタンドの入口を抜ければ、目の前に芝のグラウンドが広がる。

 青のユニフォームのチームと、赤と黒の縦縞のユニフォームのチームが、それぞれサッカーゴールの近くでパス回しをしている。青いユニフォーム側に高橋君と雑賀君を見つけた。


 観客席の間にある階段を下りずに、郁は通路のすぐ下の席を選んだ。


「前で見なくていいの?」

「後ろがいい」


 一昨日、郁から土曜日にサッカーの試合の応援に付いてきてほしいと頼まれた。

 今日は準々決勝。スタンドの前の方には保護者だけでなく、私たちのように制服で応援に来た高校生たちのかたまりがある。


「相手は強いの?」

「優勝候補だって」


 対戦相手の高校は野球など他の部活も強い。中学の同級生でも部活をがんばりたい人がここに進学した。


 ホイッスルが鳴り、両チームともベンチに戻る。


「サッカーの応援に来るのは初めて?」

「うん。バスケの大会で彼氏の応援に来たグループを見ると、休みの日によく来るなあって思ったけど……。こんなに勇気がいるんだって見る目変わった」


 さっきから落ち着かないのは、照れくささと緊張が原因らしい。


「郁の性格的にハードル高いか。今回はどうしたの?」

「今日高橋の誕生日で、プレゼント何がいいか聞いたら、大会に応援に来てほしいって言われた」

「かわいい」

「そんなこと言われたの初めてでさ。返事に詰まったら、試合前にメッセージ送ってって言い直したけど、それで喜んでくれるなら行こうって思って。円が来てくれてよかったー」


 選手たちがフィールドに散らばる。高橋君は相手のゴールに近い場所、雑賀君は中央のサークル付近にいる。

 再びホイッスルが鳴り、試合が開始した。




 センターラインのあたりで雑賀君にボールが渡り、ディフェンスが近づいてくる。雑賀君は右を見ていたと思ったら、左にロングパスを出した。


「頭の後ろにも目があるみたい」

「視野が広いんだろうね。私も試合でああいうフェイントできるようになりたい」

「高橋君と雑賀君ってサッカー長いのかな」

「小学生からはじめたって聞いた」

「ひとつのことをずっと続けるってすごいなあ」

「雑賀君はずっとではないらしくて。6年のとき学校に来なかった時期があって、その間クラブもやめたって、高橋から聞いた」


 飄々として、周りをよく見て、失敗や挫折とは無縁な人だと思っていた。雑賀君の意外な一面に驚く。


「学校を休んだ理由は何だったの?」

「声が出なくなっておばあちゃんの家にいたって話。サッカーの合宿中から調子悪くなったって噂も聞いたことある」

「そうだったんだ」

「私は中学で雑賀君と同じクラスになったことがなくて、どちらかというと無口なイメージだった。今みたいに話すようになったのも高校入ってからなんだ。この話、雑賀君は人から聞かれても平気な顔で答えてたけど、高橋は違ったから、ふたりの前では言わない方がいいかも」

「わかった」


 いつも明るい高橋君まで態度が変わるような出来事は、本音を言えば気になった。でも、つらいことを思い出させてまで掘り返すほどではない。


「雑賀君って今彼女いないけど、中学のときはいた?」

「私は聞いたことない。不登校だった話が広まってたから様子見てた感じ。そのうちモテだしたけど」


 質問をした時点で覚悟はしたけれど、予想通り郁が目を輝かせた。


「円も雑賀君のこと好き?」

「私もって……」

「雑賀君にもはぐらかされるけど、円のこと好きだと思う。文化祭の実行委員になったのも、当番遅れた子たちに怒ったのも、どちらも円が関わってるし」

「実行委員になった理由はそれっぽいこと言われたけど、私がいなくても遅れた子たちには怒ったんじゃない?」

「高橋も驚いてた。いつもなら嘘だとわかっても心の中で相手を見放すだけって。それっぽいってことって、円が実行委員になったから雑賀君もなったって?」

「でも告白とか、はっきりした言葉はない」


 正直言うと、音楽室の前で告白されるかと思った。

 あの後、雑賀君はいつもの調子で謎解きを次々と推理した。何も起こらなかったことにほっとして、少しがっかりした。


 もしも1人誰かの心の中をのぞけるなら、私は雑賀君に対して力を使いたい。

 雑賀君の小指には彼に片思いする糸、私と繋がっている糸、そして、高校で出会ったときから途中で赤から白に切り替わった糸が結ばれている。




 前半30分を過ぎた頃だった。

 ゴールに近い場所で隣のクラスの男子が1人抜いて、ボールを強く蹴った。その対角線上に高橋君が走る。落ち着いてボールをさばき、蹴ったボールはゴールキーパーの手が届かないネットに飛び込んだ。


 初ゴールにスタンドが湧く。

 高橋君はチームメイトにもみくちゃにされた後、ふっとスタンドに目をやる。こちらを見て、満面の笑みを浮かべた。

 笑顔で高橋君をみつめていた郁が、はっと私を振り返る。


「によによしない!」

「かわいー」




 試合は1点を先制してからどちらも点が入らず、前半は1対0でこちらがリードした。

 勝てるかもしれないという期待がこちら側のスタンドに漂っていた。けれど、後半15分、相手チームがゴールを決めた。そして試合終了まで残り10分、再び相手チームが点を入れて、私たちの高校は負けた。


 観客たちが帰りだして、入れ替わるように新しい観客がスタンドに入ってきた。2試合目がこの後控えている。

 行こう、と郁がベンチから立ち上がった。


「高橋君待たなくていいの?」

「ミーティングあるから。メッセージだけ送っておく」

「誕生日おめでとうって伝えておいて」

「了解」


 グラウンドまで電車で来たので、再び駅に向かって歩く。

 郁のリュックが膨らんでいるのは、午後からの部活の着替えが入っているから。私も一旦家に帰るには微妙な時間なので、このままアルバイト先に向かうことにする。


「昨日真辺先輩と話したんだけど、真辺先輩を『りぃ先輩』って呼ぶ男の子知ってる?」

みなとかな。理緒先輩の犬」

「ああ。飼い主に懐く大型犬みたいだった」

「バスケのセンスはあるのに、先輩たちなめたり練習さぼったりする問題児。理緒先輩の言うことは聞くんだけど」

「へえー」

「円って理緒先輩と接点あった? 小泉先輩といいびっくりする」

「真辺先輩は小泉先輩つながり。真辺先輩ってかっこいいね」

「でしょう。憧れる」


 郁の態度や文化祭の様子を見ても、仲の良い先輩後輩なんだろうと思う。


(私は小泉先輩を思い出すと少しだけ苦くなる)


 小指にかすかな圧迫感があった。

 うつむいて見ると、桃色の彩度が高くなっていた。

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