08

 切れ長の目、胸元まで流れる髪。昇降口の柱にもたれて誰かを探している女子が、郁のバスケットボール部の先輩だと思い出した。


「まるちゃん」


 目が合って、それが自分にかけられた言葉だと気付く。


「結城円といいます」

「まるって名前じゃなかったんだ」

「えっと、先輩は」

真辺まなべ理緒りお


 真辺先輩が柱から体を起こす。背が高くてすらりとしていて、きれいな人だとまた思った。


「文化祭で郁とうちのクラスに来てくれたよね」

「はい。郁に用事ですか?」

「ううん。結城さんに。この後予定ある?」

「帰るだけです」

「ちょっと話さない?」


 あだ名から、文化祭で真辺先輩が小泉先輩といたことを一繋ぎで思い出して、用事は小泉先輩のことだとわかった。


 緊張しても怖くはなかった。真辺先輩から感じられるのは、以前小泉先輩たちがカラオケに来たときに【トモダチ】から向けられた品定めする視線ではなかったこと、そして、私の方も真辺先輩に興味が芽生えたからだった。




 高校の最寄駅に近いファストフード店は混んでいた。自分と同じ高校の制服や、同じ駅を使う女子校の制服の学生が多い。

 私たちはドリンクだけ注文して、階段に近い2人席に向かい合って座った。


「結城さんは、藤と仲良い?」

「話すようになったのは先月からで、仲良いってほどでもないです」

「藤が聞いたら拗ねそう」


 真辺先輩は追及せず、あっさりと納得した。


「藤から結城さんの話をたまに聞くけど、恋人ごっこをする友だちとは違うみたいだから」


『恋人ごっこをする友だち』という表現が、おかしいようでぴったりだと思った。


「恋人ごっこをする友だちって、その、彼女にするようなことはするんですよね?」

「それでも友だちなの。藤が彼女作らないって聞いたことない?」

「知っていても、納得はできないというか、よくわからなくて」

「私も藤から聞いたとき何それって思った。でも、わからなくても、それでもいいって思ったんだよね」


 自分より1学年上なだけなのに、そうつぶやいた真辺先輩が大人っぽく見えた。

 真辺先輩の小指からのびる赤い糸はちぢれてはいるものの、桃色に薄まって小泉先輩の小指に繋がっている。

 他の踏みつぶされた糸とは違う、他の【友だち】とは違う存在。それがこの人についてきた理由だった。


「普段は優しいし、付き合ってるみたいに大事にしてくれる。それに、なんか放っておけないっていうか、そのうち自分が藤を変えられるんじゃないかって、期待しそうになる」


 真辺先輩の言いたいことは、私もうまく説明できないけれど、なんとなくわかる。あの容姿だけでなく雰囲気にも、母性本能をくすぐるというか、女子を惹きつけるところがある。


「だけど、他の子のことで責めたり、束縛したりすると嫌がるから。藤の中で一線があって、それを越えたらそこで終わり」

「小泉先輩って何様ですか」

「自分がモテる自覚なかったら、こういうことできないよね」


 真辺先輩はそこで困ったように眉を下げる。


「藤に1回も付き合ったことないのか聞いたら、初めて付き合った年上の彼女に二股されたって言ってた。しかも藤の方が浮気相手。恋愛感情をこじらせるぐらい好きだったのかな」


 バンド演奏をちゃんと見られなくて謝ったときの表情を思い出す。小泉先輩が約束に敏感なのは裏切られた経験のせいなのか。


「それでも、人を傷つけていい理由にはならないと思います」


 約束がなくても、そばにいられることを許されたら期待してしまう。勘違いしてしまう。

 踏みにじられて汚れた糸たち。それらを全部かき集めて、小泉先輩に投げつけてやりたい。


「そういうこと、藤にも言ったりする?」

「そういうこと?」

「藤が叱られたってうれしそうに言うの。マゾかよって思ったけど……。難しいんだよね。踏み込み過ぎると拒絶されるから、私は言えない」

「私は全然そういう対象じゃないというか、ほぼ通りすがりの人みたいなものだから、琴線きんせんに触れないのだと思います」

「知り合い以下なんだ」

「はい。小泉先輩って面倒な人ですね」

「すごく面倒」


 例え面倒でも、真辺先輩は嫌われたくなくて踏み込めないほど想っている。


「仲良い友だちにはやめた方がいいって言われるけど、結城さんもそう思う?」

「うーん……。真辺先輩だけを大事にする人と付き合った方がいいのにとは思います。でも、他人から言われても、それが正論でも、自分が納得しないと感情は変えられないと思うから」

「藤にそういう気持ちないの?」

「私は、傷ついてまで人を好きになりたくないです」


 膝に置いた左手を見下ろす。淡い赤の糸と桃色の糸が目に映る。

 真辺先輩は反論も同意もせず、そっか、とただ一言返した。




 夕陽を受けて雲が橙に染まる。太陽から離れるにつれて空は藍色へとグラデーションになっていた。


「今日はいきなり誘ってごめん」

「楽しかったです。またお話してください」


 東先輩と小泉先輩の話、バスケットボール部での郁の話など、自分の知っている人の知らない話をしてもらった。私も郁と高橋君のことを話した。

 返事の代わりに真辺先輩が口元で笑う。郁が懐くのもわかる気がした。


 真辺先輩の家は郁と同じで私の家とは逆方向だった。改札を通ってから私たちはそれぞれのホームへと別れた。


「りぃ先輩!」


 声がした方へ振り向く。高校の男子の制服であるブレザーを着た背の高い男子が急いで改札を通り抜け、真辺先輩に駆け寄った。


「お久しぶりです」

「一昨日会ったじゃん」

「移動教室だったから話せなかったし。一緒に帰っていいですか?」

「なんでこの時間にここにいるの。部活は?」

「えっと、休み」

「大会勝ち上がってるのに休みにするわけないから。さぼってないで練習しろ」

「じゃあ自主練付き合ってください」

「部活行けって言ってんの」

「明日はちゃんと出るから」


 真辺先輩の方が根負けして、ふたりは肩を並べて歩き出した。真辺先輩も女子では背が高い方だけど、後輩の子はずっと高い。


 ふたりの間に桃から赤へと染まる糸が見えた。

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