黒のコーヒー
07(1)
文化祭1日目のステージ発表は、事前に聞いていたとおり慌ただしく、けれど、舞台袖の近くから見て楽しみにながらステージ班の役割を果たした。
そして一般公開日の今日、クラスの当番の時間まで郁と校内を周っている。
「バスケ部の先輩とタピオカドリンクのチケット交換したから寄っていい?」
「いいよ」
郁の先輩の教室は廊下側半分が飲食スペース、机で仕切られた窓側半分が調理スペースになっていた。タピオカドリンクは味が選べて、私はミルクティー、郁はイチゴミルクを注文した。
「郁」
「理緒先輩お疲れさまです」
「お疲れ。友だちも買ってくれてありがとう」
席が埋まっているため受取場所の近くに立って待っていると、郁の先輩がドリンクを運んで来てくれた。切れ長の目尻を下げて笑いかけられ、同性でもどきっとした。
ドリンクを受け取り先輩の教室を出た。廊下はここの生徒だけでなく、他校の学生や小学生など一般の人たちも行き交っている。私たちもそれぞれの教室の様子を見ながら先へと進む。
郁は元気そうにふるまっていても、糸のねじれに変わりなく、仲直りした話も聞かない。今年は4人で周るのさえ無しになりそうだ。
雑賀君はふたりの問題と言っていたけれど、自分に何かできないかと思う。他人のことまで気にする性格は、多分、赤い糸が見えるのが関係している。
糸は人の感情だ。糸を見ることができても、人の感情まではなかなか変えられない。自分にできることは少ない。それでも気付いてしまう分、自分のできる範囲を超えたところまでもっとできることはないかと
『責任感が強い』と通知表に何度か書かれたことがある。それが私の長所にも短所にもなっていた。
まだ校内を周りきれてないけれど、一旦11時の5分前にクラスのテントに戻った。火を使う模擬店は中央駐車場に固められ、様々な匂いと一部で煙が立っている。
10時からの当番の話によると、11時までは列ができるほどではなかったらしい。それでも、昼に近づくにつれて客が増えてきた。女子よりも男子が買っていくので、男子の需要はやっぱり男子の方がわかっているらしい。
私はエプロンをつけて、注文が入ればカレーをよそった。味見ほどしか食べていないのに、視覚と嗅覚でお腹がふくれたような気分だ。腕時計を気にしつつ仕事に専念した。
12時が近づき、次の当番の人たちが集まりだした。「売れた?」と高橋君が郁に話しかけている。ぎくしゃくしているけれど、仲直りしようとする気持ちが見えた。
雑賀君がエプロンを着けながら鍋をのぞく。
「結城も代わる。カレーなくなりそう?」
「あっちの鍋がルーを入れる手前」
「了解」
11時の当番の人たちはエプロンを脱いで、それぞれテントを出ていく。私も郁と出ようとテントを見回して、残った人数が少ないことに気付いた。
「あと当番誰だった?」雑賀君がシフト表を確認する。「木村たち4人がまだ来てない。朝いたよな?」
「今日は休みいなかったと思うけど。田中と結城、木村たち来るまで手伝ってもらえない?」
山田君にお願いされて、エプロンの紐をほどく手を止める。今はお客さんが並んでいて、半分の人数で回すには心もとない。
「私残る! 円は東先輩のバンド行ってきて」
郁はそう言ってくれたけれど、郁を置いてひとりで行くのも気が引ける。でも、迷っている間に時間は過ぎていく。
「遠慮なしで行って。小泉先輩と約束したんだろ」
雑賀君の言葉に押されて決心した。
「ごめん! 終わったらすぐ戻る」
人にぶつからないように注意しながら駐車場を駆け抜ける。
1階が武道場、2階が体育館という造りで、近くまで来ると東先輩の掠れた歌声が外まで聞こえてきた。急いで靴を脱いでも、武道場は入口にはみ出ている人がいるほど満員だった。演奏が見えないけれど、密集した中に入り込む勇気はなく、武道場の外のすのこの上に立ち尽くす。
間奏を挟み、もう一度サビを繰り返す。聞き覚えがあるから去年演奏した曲かもしれない。コピーした歌手も曲の名前も思い出せないまま、東先輩が静かに歌い上げて、音が止まった。
バラバラだった拍手がアンコールを求めて音が揃っても、「今年は1曲だけ」と東先輩の笑いを含んだ声が聞こえた。
うつむいて、自分がエプロンをつけたままだったことに気づく。司会が次の発表の紹介をはじめてすぐに武道場を出た。
テントでは郁がまだエプロンをつけて紙皿にごはんをよそっていた。お客さんの列はさっきよりも減っていた。
「郁ごめんね。まだ4人来てない?」
「全くどこ行ってんだか。バンド間に合った?」
「最後の方聞けたぐらい」
「えー。残念」
私が戻ってから間もなく、当番の女子たちがテントに来た。
「遅れてごめん! 部活の方が忙しくて」
高いトーンのせいか、ささくれた自分の心のせいか、謝罪が軽薄に聞こえた。そういう理由なら仕方ないと思いつつ、彼女たちの方を向けないまま紙皿の封を開ける。
「何で遅れたか、本当のこと言って」
雑賀君の声が聞こえたその一瞬、頭が鈍く痛んだ。
「バンド見てた」
複数の口から同じような言葉が滑りでた。お客さんの話し声以外、テントはしんと沈黙が落ちる。こめかみを押さえていた私も頭痛を忘れて
平然と答えた4人の顔がたちまち青ざめる。
「雑賀君ごめん!」
「俺だけじゃなくて、ほかの当番の人たちと、時間過ぎてもいてくれた人たちにも言うことだろ」
普段穏やかな人の無表情は怖かった。
彼女たちはみんなに謝ったけれど、ショックを引きずる自分は苦笑いを浮かべるしかなかった。
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