05

「ここに入るの初めて」

「私もです」


 書庫は、廊下の端にある図書室の手前にあった。私の後に入った小泉先輩が興味深そうに部屋の中を見回す。

 ひとつだけある窓も分厚いカーテンで閉じられ、電気をつけなければ真っ暗だ。換気扇が回っていてもほこりっぽくて、古い紙独特の臭いがする。自分よりも長い間生きているような本がここにはたくさんあった。

 先生から頼まれたのは、ダンボールに詰められた本を請求記号に注意して棚に並べる仕事だった。


「手伝ってもらって今さらですけど、小泉先輩は進路決まってますか?」

「夏休み前に専門学校受かった」


 教えてくれた専門学校は名前に「製菓」と入っていた。美術系ならわかるけれど、小泉先輩と製菓が結びつかなくて驚く。詳しく聞こうとする前に小泉先輩から質問された。


「まるちゃんのクラスは文化祭何する?」

「カレーです」

「カレーってはじめて聞くかも」

「男子がお腹溜まるのがいいって」

「ごはん系の模擬店って少ないもんな。俺のクラスはうどん」

「うどんも珍しいと思います」

「去年焼きそばで、2年連続の麺。クラスの麺大好きなやつが毎回ゴリ押してくるんだよね。文化祭実行委員になってくれるからいいんだけど」

「私も実行委員になってしまいました」

「お疲れー。何の班?」

「ステージ班です。リハーサルと本番に仕事があります」


 校門装飾や広報の班は文化祭当日に仕事がない代わりに、放課後に作業がある。私は部活に入っていなくても、雑賀君はサッカー部で今大会を勝ち上がっているので、放課後部活に出られるように班を選んだ。


「友だちが去年その班に入ってた。忙しくてゆっくり見れなかったって」

「会議でもそう聞きました。でも、舞台袖から見えるって。それに雑賀君……もうひとりの実行委員ができる人だから、忙しくても何とかなりそうって勝手に頼りにしてます」

「ふうん。歴史の本これで終わり」

「次は美術の本お願いします」


 ダンボールを抱えて右側、隅の本棚に移動する。


「バンドは今年も出ますか?」

「知ってたの?」

「去年の文化祭で見ました」


 小泉先輩は『Star Driver』というバンドを組んでいる。小泉先輩はギター、東先輩がベースボーカル、柏木かしき瑠佳るか先輩がドラムで、息の合った演奏と東先輩の歌声が印象に残っている。


「東先輩すごく歌上手ですよね」


 膝を曲げて、大型の画集を一番下の段に押し込んだ。


「俺は?」

「え?」


 横を向くと、肩が触れそうな距離に小泉先輩もしゃがんでいた。


「俺はどうだった?」

「ギターかっこよかったです!」


 近さに居たたまれなくて、ダンボールから雑に取り出した本を押し付ける。自分の顔の良さをわかっているのがあざとい。


「今年は何を演奏しますか?」

「曲は当日まで秘密。優斗もルカも受験であまり練習できなくて、前に演奏した曲から選んだ。今年は発表者が多いから1曲だけ」

「がんばってください」

「12時からだから。武道場。忘れないで」

「……はい」


 小泉先輩は満足そうな顔をして、受け取った本を正しい位置に戻す。

 こうやって時々子どもみたいにわがままを言うけれど、強引には通さない。一昨日も忙しくないタイミングで話しかけてきて、客が来たらカウンターを空けた。小泉先輩の言葉を借りるなら、聞き分けがよい。


「小泉先輩の知り合いに楽器習ったって、東先輩から聞きました」

「俺のいとこと結婚した人がロックバンド組んでたんだ。優斗がそのバンドの大ファンで、会った日熱出した」

「それも聞きました。東先輩がベースボーカルなのはその人に憧れたのと、小泉先輩がボーカルは嫌って言ったからって」

「優斗とは仲良しみたいでずるい」

「ずるくないです」

「俺には塩対応なのに。ルカも俺の扱いひどいんだよ」


 今日の東先輩たちとのやりとりをゆるい口調で話す。友だちの話はしても、私が話題に出さない限り、小泉先輩から【友だち】の話はしない。私の苦手な冷たい眼差しにはならない。


(今日は【友だち】から連絡がこなければいいのに)




 書庫の整理は思っていたより力仕事で時間がかかった。ひとりでしたら今日中に終わらなかっただろう。

 先生に作業を終えたことを報告しに行くと驚かれた。やっぱり数日かかる見立てだったらしい。


 鍵を持って書庫に戻ると、小泉先輩は古い画集を見ていた。


「もう閉める?」

「はい。あの、長い時間手伝ってくれて本当にありがとうございました」

「優斗たちに卒業前にレアな場所入ったって自慢しよう」


 恐縮しながらお礼を言うと、そう言って本を棚に戻す。小泉先輩は最後まで嫌な顔をせずに手伝ってくれた。


「それに、図書室だとまるちゃんと少ししか話せないけど、今日はひとりじめできた」


 自分は誰にもひとりじめさせないくせに。なんて、苛立ってもドキっとしても私の負け。「それは自慢にならないでしょうけど」と皮肉を返すぐらいしか反撃できなかった。


 先に書庫を出た小泉先輩は、私が鍵をかけ終えるまでも待ってくれていた。


「来週はバンドの練習あるから、次は再来週来る」


 彼女でも【友だち】でもない、ただの後輩に約束する。私に会いに来ているとでも言うように。

 小泉藤という人がわからない。わかるのは、この人を好きになったら泣くことになるということだけ。

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