02

「見っけ」


 次の週、言った通りに小泉先輩はやって来た。本棚の前にいる私を見つけて、横に立つ。


「カウンターにいないから、先週のはあしらわれたのかと思った」

「返ってきた本を戻してました」


 関わりたくないのが本音でも、だますまでしない。

 小泉先輩は本棚を眺めだす。本当に来た。私は混乱しているのを表に出さないようにして、片腕に抱えた本を棚に戻す続きをする。

 最後の1冊を背伸びして一番上の棚に戻そうとしたとき、横からのびてきた手が本を取りあげて隙間に押し込んだ。自分の身長は小泉先輩の肩ぐらいだと知った。


「ありがとうございます」

「さっきの化学の本、誰が借りたのかな」

「先生じゃなかったら、よっぽど化学が好きな生徒ですね」

「化学は1年で諦めた」

「私もです」

「いっしょ」


 本棚から私に視線を向けて口元を上げる。きれいな顔に見とれて、不自然にならないように視線を逸らして次の本を戻す場所を探した。


 図書室ではときどきイスを引く音と、開け放した窓の外からテニス部のかけ声とボールを打つ音が聞こえる。

 そこにまた、バイブレーションが割り込んだ。

 一瞬だけだったので今回は電話じゃないらしい。小泉先輩はスマホを取り出し画面を見る。青のスマホカバーはよく見るとグラデーションになっている。

 温度のない視線と合って、自分は部外者なのにひやりとした。


「放課後遊べないって言ったのに、聞き分け悪いんだ」


 足元の糸を見るとやるせない気持ちになり、面倒事は避けたいのに、またよけいなことを言っていた。


「彼女さん待ってるんじゃないですか?」

「彼女いないけど」

「この前1年の子といるの見かけました」

「彼女じゃなくて友だち」

「……友だちでも手を繋いだりするんですか」

「手を繋ぐだけじゃないけど」


 くっと息をのむ私に、「ひいた?」と首をかしげる。


「でも俺は、付き合わないってはじめから言ってる。『それでもいい?』って。クズって言われることもあるけど、うそつきよりマシだと思わない?」


 淡々と、感情をのせない声で、最後にゆるりと笑う。


「先輩を好きになる人は大変ですね」


 苦いものを噛んだみたいな気持ちで答えた。噂で聞いていたけれど、本当に女の子の前でも付き合わないと言っていた。


「小泉先輩が誰かを好きになったらどうするんですか?」

「どうしよう」


 自分のことなのに興味なさそうな言い方。それから、ふっと笑った。


「まるちゃんって変わってるね」

「その言葉、どんな気持ちで受け取ったらいいですか?」

「良い意味で」

 

 悪口だったとしても許してしまいそうな、無邪気な笑顔。


「ほんとだから、スンってならないで」

「なってないです」


 こうやって女子たちは毒牙どくがにかかるんだと、警戒心を強めた。


 本棚の裏側は動物や植物など、生物の本や図鑑が並んでいる。人がいるところをあまり見ないその場所で、先週小泉先輩は眠っていた。


「先週スケッチブック持ってましたけど、よく図書室で絵を描くんですか?」

「図鑑とか見たいものがあるときは。意外ってよく言われるけど、中学のときは美術部だった」

「先輩、絵上手ですよね」

「見たことある?」

「美術の授業で。色相や彩度の話で、赤い花畑の絵を見せてもらいました」

「見本にしたいって言われて渡したけど、本当に使われてたんだ。名前は内緒にするって言ったのに」

「名前は言ってなかったけど、近くで見たらサインがあったから」

「ああ、あの先生、サイン作らせて自分の作品に書かせるから」


 絵を褒めると意外にも恥ずかしそうにするから、「すてきな絵でした」ともう一度伝える。本当にそう感じたから。


「高校では美術部入らなかったんですか?」

「中学は部活強制だから仕方なかったけど、絵はひとりで気ままに描きたい」


(だからここには【トモダチ】を連れてこないんだ)


 小泉先輩が元美術部だったことより、初対面であだ名をつける人懐こさとは逆に、ひとりで絵を描きたいという方が意外に感じた。でも、【トモダチ】への思わせぶりな行動と足元に散らばる糸、ゆるい口調と冷たい眼差しのように、小泉先輩がかもし出すアンバランスの一部なのかもしれないと思い直す。


「まるちゃんは部活入ってないの?」

「はい」

「中学のときは?」

「陸上部でした。長距離」

「すごい。俺運動苦手」

「成績が良かったわけじゃないけど、走ることだけに集中して、他に何も考えない時間は結構好きでした」

「その気持ちはわかる気がする」


 すべての本を棚に戻し終えた後も、黙って本を眺め、おもしろそうなタイトルを見つけては手にとり、ぽつりぽつりと話した。

 小泉先輩は昔から虫が苦手で、小学生のとき同級生が大きなカブトムシを飼っていても全然うらやましいと思わなかったこと。花は好きで、植物園に遠足で行ったときに全部回りきれなくて、その後親にお願いして連れて行ってもらったこと。

 本を通して思考や日常を共有する。本棚の向こうには勉強している人がいるから声を抑えて、それが内緒話をしているようでこそばゆかった。 

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