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 そこへ、まだ保育園ぐらいの小さな女の子が通路を走ってきた。あっ、と思ったときには、ベタンと痛そうな音を立てて転んだ。

 恭くんはすぐに動いて、目に涙を溜めながら起き上った女の子に視線を合わせるようにしゃがむ。


「走ったら危ないから歩こうな」


 こくりとうなずいた女の子に、「いい子」と笑いかける。


「すみません!」


 後から追いかけてきたの人がこの子のお母さんらしい。何度も頭を下げて去っていく親子を恭くんと見送った。女の子がばいばいと手をふるので、私たちも振り返した。


「久しぶりに小さい子と話した」


 恭くんが微笑む。


「果乃も昔はあれぐらいだったのに、もう高校生なんだよな」


 父親のように感慨深く言うから、私も笑ってしまう。


「恭くんが大学行くのに家出るときぐずったよね」

「果乃のこと泣かせといて言うのもあれだけど、俺は兄弟がいないから、あんなふうに寂しがってくれてうれしかった」


 恭くんは約束通り、大学に行ってからも帰省したら必ず顔を見せに来てくれた。

 そんな小さな頃から恭くんは私を知っていて、私は恭くんを好きだった。私の世界は恭くんが中心だった。



 ○



 買い物も終えて、後は車に乗って帰るだけ。もうすぐデートが終わってしまう。


 恭くんに片思いするのは、今日で終わりにしようと決めていた。

 告白するかしないかはまだ決心がつかない。告白しても、やっぱり梓が言うように変えられるとは思えない。隣の家の子どもに告白されても困らせるだけかもしれない。

 だけど自分の気持ちを確認した今、10年分の片思いが相手に知ってもらうことなく終わってしまうのは切ない。


 CDが一巡して、往路おうろでも聞いた曲が流れた。優斗君たちが文化祭で演奏した曲だ。

 恭くんに告白しないのを、今までは年の差のせいにして、今では栞さんのせいにしている。


『俺ははじめから、恭くんを好きな果乃を好きになったから』


(優斗君は、恭くんばかりの私を好きだと言ってくれたのに)


「ねえ、恭くん」

「ん?」

「栞さんのどんなところを好きになったの?」


 そもそも栞さんを自分の家族や隣の家に紹介することになったのは、恭くんにお見合い話が上がったのがきっかけだった。

 恭くんは付き合っている人がいると答えたけれど、お見合いから逃げる嘘だと思った恭くんの両親は会わせてほしいと言ったらしい。全部恭くんのお母さんから聞いた。本当に彼女がいたうえ、10才年下だったことにとても驚いていた。


 恭くんに彼女ができる度に、彼女のどこが好きか聞いてきた。

 私の質問に恭くんは運転しながら考える。今まではすぐ答えていたのに、こっちが心配になるほど考える。

 そして、答えが見つからなかったのも今までになかった。


「どこだろう」

「それでいいの!?」

「ははっ。どこがとかどうしてっていうのは今でもよくわかってないけど……。隣にいたいと思ったんだ」


 それは私がずっと恭くんに抱いていた想い。ずっと恭くんと一緒にいたいと思っていた。


「でも、栞はこれからもたくさんの人と出会うのに、俺が大事な時間を奪ってるんじゃないかって思ったりもする」


「もう三十路だし」としょんぼり言う恭くんに、強く首を振る。


「恭くんはかっこいいし、優しいし、年は離れているけど栞さんは……」


 栞さんだけじゃない。私だって、ずっと。

 今しかないと思った。今言えなかったら、私の10年分の想いは相手に届かないまま消えてしまう。

 いつもより早い鼓動に押されるように、小さな頃は簡単に言えて、大人になったら言おうとしていた言葉を伝えた。



「私は、恭くんが好き」



 運転する恭くんの横顔が、すれ違う車のライトに反射してはっきりと見えた。


「果乃の気持ち、本当にうれしい」


 そこに浮かんだのは、優しい微笑。


「うれしい?」

「すごく」


 カチカチと車が曲がる合図を出す。恭くんは少しだけスピードを下げて、左へとハンドルを回した。


「果乃や祐輔が『恭くんはすごい』って慕ってくれるから、自分の親以上に、果乃たちにがっかりさせる大人にはならないって思ってきた」


 栞さんとは違ったものだけれど、恭くんにとっても私は特別な存在だと思ってもいいかな。


 赤信号になって車が停止する。昔よくしてくれたように、恭くんはハンドルを握っていた左手を私の頭の上に置いて、私の大好きな笑顔を向けてくれた。


「ありがとう」


(恭くんが私を妹のように大事にしてくれていたこと、わかっていたよ)


 その手と、笑顔と、言葉で、十分だった。

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