09

 エレベーターの大きな窓に水滴が流れ、外の景色をぼかしている。

 浮遊感を感じた後、開いた扉の先に、私のスクールバッグにもついているシロクマのポスターが目に映った。


 好きなバンドが新しいアルバムをリリースした。優斗君は初回限定版を予約したらしい。店頭には通常版と初回限定盤が積まれていた。CDの横にシロクマの手描きイラストが飾られていて、吹き出しにはがおすすめのコメントが書いてあった。


「果乃はアルバム集めてる?」

「私はベストアルバムだけ。恭くんが全部持ってて、借りて聞くうちに私も好きになった」

「ほんと、恭くんでできてるよな」


 優斗君の言う通り、私は恭くんのことばかり。

 恭くんの話で優斗君に嫌な思いをさせてないか、今さら思いいたる。恭くんに彼女ができると自分から彼女の話を聞いては胸を痛めていたというのに。


 もやもやしている私の横で、優斗君は新譜コーナーの隅に置かれた洋楽も眺めている。


「洋楽も聞くの?」

「すすめられてから聞くようになった」


 優斗君は本当に音楽が好きみたい。聞くジャンルも広いし、私の好きな曲はだいたい知っている。


「文化祭で演奏した2曲目、知り合いが作ったオリジナルって言ってたけど、かっこよかった」

「え!?」


 優斗君が勢いよく振り返ったので、こっちの方がびっくりした。


「来てた?」

「うん。藤君から聞いてなかったんだ」


 優斗君には内緒と言っていたっけ。この様子では演奏後も教えられなかったらしい。


 私もライブの感想を送ろうとしたけれど、模擬店のテントでクラスメイトと話す優斗君を思い出してはメッセージを打つ指が止まった。次会ったときに言えばいいやと、結局何も送らなかった。


「この前遊んだときに、バンドのことも教えてくれたら良かったのに」

「なんか恥ずかしいだろ」


 あんなに大勢の前で演奏しておいて、と思う。でも、私だけという特別感はまんざらでもない。


「先週はバンド練習で忙しかったの?」

「ルカの……ドラムのやつの家かカラオケで練習してた」

「ドラムの人の髪の色明るかった」

「あれ地毛。おばさんがアメリカ人で、目の色も明るい」

「優斗君の方ばかり見てたから、目の色まで気付かなかった」


 優斗君は呆気あっけにとられた顔になった。何か変なことを言ったかな……。


「お手洗い行ってくる」


 恥ずかしくなって、エレベーターの近くのトイレに逃げ込んだ。


(本当のことだけど、本人の前で言ってしまうなんて!)




 トイレから戻ると、優斗君は同じ制服を着た女の子と話していた。マッシュボブの髪型に見覚えがある。たしか藤君の隣でやきそばを焼いていた子だ。

 とっさに近くのCDの棚の後ろに隠れる。棚には子ども向けの歌や童謡が並んでいた。


「優斗君ひとり?」

「果乃と」

「ああ! 文化祭に来てくれたよね。同じ学年って聞いたけど大人っぽかった」

「このみが童顔なだけだろ」

「ひどい」

「このみも果乃が来てたの知ってたのか」

「やきそば買ってくれたとき私もいたから。でも藤君が優斗君には内緒って」

「あいつ……」


 ふたりは仲が良さそうだった。文化祭で優斗君が女の子と話すのを見た瞬間と似た感覚がして、ようやく気付く。


(優斗君がいつまでも待ってくれると、どうして当たり前に思ってたんだろう)


「このみお待たせ。優斗いたんだ」

「ルカはこのみしか視界に入れないよな」


 新しい声が加わり、棚から少し顔を出す。

 明るい茶色の髪、日本人離れした顔立ちの男の子が交ざった。あれがもうひとりのバンドメンバーのルカ君らしい。


「優斗君デートだって」

「付き合ったの?」


 核心のついた質問に、優斗君は何て答えるだろうとさらに耳をそば立てる。


「付き合ってない。……俺が好きなだけ」

「優斗君がデレた!」

「ツンデレ」

「もうどっか行って」


 意地悪言うくせに、自分がからかわれるのは苦手らしい。

 ふたりが行ってしまっても、顔の熱が引くまで戻れなかった。




「遅くなってごめん」

「大丈夫?」

「うん。でもどこか座りたい」


 エスカレーターの近くのベンチで、優斗君が買ったCDを見せてもらう。収録曲はドラマやアニメの主題歌になったものが多く、私も欲しくなってきた。


「さっきルカとこのみに会ったけど、このみも果乃が文化祭に来てたの知ってたんだな」


 盗み聞きしていましたとは言えず、知らないふりをする。


「このみちゃんって?」

「ルカの彼女。で、バンドの癒し要員」

「バンドのキャラクターみたいな?」

「そんな感じ。ドラムできるやつ探してたら、ルカが叩けるってこのみが教えてくれた。バンドの名前もこのみが考えたやつ」


 このみちゃんがルカ君の彼女と聞いてほっとした後、バンドメンバーみたいな存在と知ってうらやましいと思った。ただの友だちより、もっと大切な存在なんだ。

 嫉妬が胸に生まれて、良くないと振り払うように尋ねる。


「優斗君はいつからベース弾いてるの?」

「小学5年生から。兄貴が高校でギターはじめて、俺もベースいじりだした」

「お兄さんに教えてもらったんだ」

「藤のいとこと結婚した人が、その頃はまだ付き合ってなかったけど、俺の好きだったバンドのメンバーで、藤と兄貴も一緒に楽器教えてもらった。その人に初めて会った日、興奮しすぎて熱出た」


 本当にそのバンドが好きなんだろう。かわいいなと笑みがこぼれる。


「バンドはもう解散したけど、今でも曲を提供してて、文化祭の2曲目もその人が作ってくれた。3曲目もそのバンドの曲」

「2曲目も3曲目も好きな感じって思った。同じ人が作ったんだね」

「CD持ってるけど聞く?」

「聞きたい。あ、でも今日借りたのも歌詞カード見ながら聞きたいから、次遊ぶ日でも返せないかも」

「急がなくていい。なら今度持ってくる。どの曲もかっこいいんだ」


 優斗君が私に愛想をつかして、私じゃない誰かのことを好きになってしまったら、この笑顔もその人に向けられるのだろうか。

 ぬるま湯に浸かるような曖昧な関係は、いつ終わったっておかしくない。

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