第2話 苦痛

俺は拾い上げた本を注意深く観察する。本の表紙は

青とも黒とも取れる独特な色合いで着色された革で綴じられている。しかし、それよりも一層目を引くのは、表紙のタイトル部分に描かれた奇妙な文字列だった。その文字は、古代文字といった様相をしたものであり、これまでに見てきたこともなかったから、読めるはずもなかった。


そのはずなのに、その文字を一瞥しただけで、まるで母国語かのように脳が読みを瞬時に理解する。その勢いのまま、


「よ、ヨグ=ソトースの…神託?」

と、口に出してしまった。


しかし、ヨグ=ソトースとは何なんだろうか。それに神託とはどういうことか。疑問が次々と浮かんでくる。もしかしたら、怪しい宗教の本か何かかもしれない。何にせよいかにも胡散臭く怪しい。


そう思うものの、タイトルを見たときから、この本が心を捉えて離さない。体中の毛が逆立ち、危険信号を発しているのに、そんな精神とは逆に、体は興味が尽きないといった様子で本をめくろうと手を動かしてしまう。




そこに書かれた内容は、おおよそ理解のできない知識の数々であった。まるでファンタジーのような、でも現実的であり、醜悪でありながらも魅力的な内容。しかし、共通しているのは、それがひどく神聖かつ冒涜的であることだ。一介な人間には過ぎたものであると精神は尚も警鐘を発し続けているのに、体はどんどんとその本の内容にのめり込んでしまう。


目が離せない。

初めて見る本なのに、まるで何度も読んだことがあるように本をどんどんと血走る目で読みこんでしまう。

知識の受け取りを拒否しようにも、絶えず流れてくる知識の濁流は、乾いたスポンジのような脳にたとえ断片であろうと逃がさないように吸収されていく。


「うぐ……ぐああああああぁぁぁぁ!!」

脳が焼けるように熱い。痛い。痛い。痛い。

少しでも油断すると意識を手放してしまいそうだ。

「ああああああぁぁぁぁ!!」

あまりの痛みに耐えきれず、膝から崩れ落ちるが、それでも痛みはやまずにひっきりなしに襲いかかってくる。





そうして、永遠にも思えた苦痛は、本を読み終わるとようやく消え去った。

「カハッ……ハヒュー…はぁ…はぁ」

なんとか立ち上がり、肩で息を吸う。

「はぁ…何だったんだ、これは。 急に霧で迷ってしまったかと思ったら、こんな苦痛を経験することになるとは… しかも、結局霧からは抜け出せ…ん?」


ようやく立ち直って周囲を見渡すと、しばらく先に光の差し込んだところがあった。今度こそ霧から抜けれるかもしれないとこんなことがあったから半信半疑ながらも一応本も持っていき、期待しながら歩いていく。


その光までは、目視で認識した距離よりも遠かったようで、しばらく歩いてもなかなか到達しない。

(くそっ、またこのパターンかよ)

イライラしていたからか、光に向かって走り出していく。ようやく光につく。俺は、手を伸ばす。そして…




ドカッ

「痛っ」

「くそっ……ん?もしかして、その声は…!」

「えっ?って、時雨!」


どうやらぶつかった相手は咲人だったようだ。ようやく再会できた喜びから、つい声を張り上げていると、周囲からの視線を感じた。そして気がつくが、どうやら霧も晴れていてショッピングモールの通路のど真ん中でいた。視線が鋭い。ご、ごめんって。


「えっと、おほん。 とりあえず再開できてよかったよ、時雨」

「ああ、まったくだ。 ただ、大知は?」

「そう!そうなんだよ! いつの間にか霧の中にいて、二人の姿も見えなくなってさ。 それで…」

「ちょっと待て! もしかしてお前も霧の中に飲まれて…」

ドカンッ!

再び、しかも先ほどより大きな衝撃が走る。ふと目を見やると、どうやら咲人もそうらしい。


「うわぁっ!今度は何?」

「またかよ。 ただ、もしかして」

「ああ、よかった」

「え?…あっ!咲人に時雨!よかった、会いたかったよ〜! ところで、大丈夫?」

「いや、お前のせいじゃい」

「ふっ」


いつものような大知の天然と咲人のツッコミに、思わず笑みがこぼれる。

「あ~…まあ、とにかく再会できてよかったよ、大知」

「ほんと〜によかったよ〜 なんかねぇ。」

「ちょっと待て。ここは俺が二人に質問する」

大知が言おうとしていることを引き止めつつ二人に質問する。


「もしかして、お前たち二人も急に霧に巻き込まれて一人はぐれてしまったのか?」

「あー、やっぱりそうだったかあ」

「え?二人も迷子になってたの?」

「ああ。そしてこっちのほうが本題だが…お前たちも謎の本を拾ったのか?」

「本っていうと、これのことか?」

「僕も持ってるよ。はい」

と言って二人も本を出す。確かに、同じような厚さや材質の本だ。ただ、


「同じ本ってわけじゃないのか。表紙の色と変な文字みたいなやつが違うな」

「ほんとだ〜」

「確かに違うな」

微妙に違っていた。具体的には、咲人の本は燃えるような鮮やかな赤色の表紙を、大知の本はやや暗い深緑色の表紙を持っていた。

そして文字は……同じような文字のはずなのだが、自分の本のときのように自然に読むことができない。


「これなんて書いてあるんだ?咲人の方から教えてくれないか?」

「あー、分かった。最後はお前の本に書いてあることも教えてくれよ」

「大丈夫だ」

「オッケー。えーと、俺の本には『ハスターの魔法』って書いてあるな」

「なるほど、大知は?」

「僕のにはつあと、じゃなくてちとぉ、でもなくて、えっと、『ツァトゥグァの提言』って書いてあるよ」

「分かった。俺は『ヨグ=ソトースの神託』って書いてあった」

それぞれが自分の本のタイトルの文字列を見て読み上げる。


「やっぱり書いてあることも違うか。そして、自分の本の文字は読めるって感じかな」

「多分そうだね、俺もお前らの本のタイトルは読めない」

「僕も」


一通り情報を出し切る。ヨグ=ソトース、ハスターにツァトゥグァ……この三つについては、また調べるべきだろう。


「とりあえず、こんな事があったわけだけど…この後はどうする?思ったより時間も経っていなかったし」

ずいぶん長い間霧を彷徨ったり痛みに襲われていたような気がしたが、どうやら十分しか経っていなかったようだ。


「うーん……この本について色々気になるよなぁ。なんか調べたりってできるのかね」

「クレープ食べに行こうよ〜」

「え?」

咲人が悩んでいると、大知が言った。見ると、体がウズウズしている。


「あんな事があったのに、それを無視してクレープ?…っていつもの俺なら言ってたかもしれないけど、今日の俺は賛成だぜ」

「なんと、珍しい」

思わず声に出てしまう。

「確かに気になることはモリモリだけどさ。せっかくの日曜日をこんなことで潰すってのも、もったいないと思いまして」

「まあ…それもそうだな」

「じゃあ今すぐ行こうよ〜!」

と言うや否や大知はすでに駆け出し始めていた。

「ちょっ、待てってー!」

咲人もあとを追いかけていく。


少なくとも、今考えても仕方ないか。先延ばしとも言われるかもしれないけど、ひとまずはね。

「てか、お前ら二人速いな!俺一人置いてくな!」

少し考えているうちにずいぶん距離が離されてしまった。俺も二人の後を急いで追いかけていった。

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