第2話

 クラス分のノートの重さがずしりと両腕にかかる。ひとりで持てない量ではないから、円が手伝うと言ってくれたのを遠慮した。ノート提出の日に日直が当たるなんてついてない。

 3階の教室から先生の席がある1階の保健室まで、昼休みの階段を人にぶつからないようにゆっくりと下りる。


「手伝う」


 横から伸びてきた手に半分以上ノートを奪われた。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 素直に言えば、高橋は人好きのする笑顔を浮かべた。腕にかかる重さは軽くなったはずなのに、気持ちは重くなったみたい。


(優しくするなばか)


 好きになったら困るのは高橋のくせに。こうして気にかけてもらえてうれしいと思う自分は、もっとばかだ。


「お礼はチョコチップクッキーで」

「クッキー作ったばかりだからやだ」

「ほかに何作れんの?」

「パウンドケーキ、ガトーショコラとか」

「すごいな」


 高橋が感心した声を出す。


「からあげ真っ黒にしてたのに」

「その黒歴史は忘れて」


 出席番号が近いと同じ班になることが多く、高橋が言っているのは中学の、まだ包丁にも慣れていなかった頃の調理実習の話だ。今なら絶対そんな失敗しない。


「まあ、私がお菓子作りするって言うと、女子みたいって驚かれることもあるけどね」


 これはもう自虐じぎゃくネタだ。


「どうせ高橋も、そういえばこいつ女子だったとか思ってるんでしょう?」

「わかってるよ」


 間髪かんぱついれずに返ってきた声には、微塵みじんもからかいが含まれていなかった。

 顔を上げると、高橋も私を見ていた。


「わかるの遅かったけど、ちゃんとわかってる」


 思いもしなかった返事と表情に言葉を失っていると、「なんちゃって」と高橋が笑う。


「男はギャップに弱いから、ちょうどいいんじゃない?」

「それは、やっぱり私はお菓子作りするように見えないってこと?」

「ははっ」


 笑ってごまかされ、私もふてくされてごまかされたふりをした。あれ以上詳しく聞くのを止められたような気がしたから。


(あんな顔、高橋には似合わない)




 保健室にノートを届けた後、高橋はそのまま外に行くと言って、階段前で別れた。

 すっきりしない気持ちで教室に戻ると、円は自分の席で窓枠まどわくに腕をのせて外を見ていた。私もその後ろの席に着いてグラウンドを見下ろす。

 雲ひとつない秋晴れの下、男子たちがサッカーをしていた。その中ですぐに見つけてしまう。部活でもめいっぱいボールを蹴っているだろうに、ブレザーを脱いでボールを追いかける姿は楽しそう。


「高橋君、隣のクラスの子に告白されたって」


 私が高橋を見ていたのを知ってなのか、円が言った。一瞬息がまって、いでゆっくりと息を吐く。


「へえ」

「好きな人がいるって断ったらしいけど」

「へえ」

「本当は気になってるくせに」

「……私には関係ないし」


 告白されようと、好きな人がいようと、友だちにしかなれない私には関係のないこと。


「素直じゃないのはこの口?」

「いひゃい」


 突然振り返った円に両頬をつままれた。


「よくのびる」


 笑顔で言うけれど、手の力は容赦ようしゃない。手がはなされてからも頬がじんじんと痛んだ。絶対赤くなっている。


「意地っ張りだね」


 頬をさする私に、円が呆れた顔をする。だけどその声は優しいからいっそう心がぎゅっとなって、ゆがみそうになる顔を隠すために机にした。


「円にはお見通しか」

「もちろん」


 ばればれだったんだ。恥ずかしくて、ますます顔を上げられなくなった。

 窓から心地よい風が吹いて、自分の短い髪を揺らす。目を閉じるとさっきまで意識していなかった教室のざわめきが耳に届いた。


 友だち以上にみられないのは、私が女子らしいことをできないから。そんな短絡的たんらくてきな考えが、お菓子作りをはじめたきっかけだった。

 だけど、それで高橋が私を好きになってくれるわけではないと、ちゃんとわかっている。

 円に相談すればきっと応援してくれる。でも、もう高橋に好きだって言わない。言えない。


 告白してから、高橋は私を見るとちょっとだけ困った顔をするようになった。どう接すればいいかわからなかったんだと思う。その気持ちもわかるけれど、私は今までみたいに話せなくなる方が嫌だったから、何事も無かったように話しかけて、たまにふざけたりして、時間をかけて元通りにさせた。

 今の関係を壊して、また友だちとしてやり直す勇気は、もうない。

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