メビウスの輪

森野苳

本編

第1話

 3限目の終わるチャイムが鳴った。机とイスの足が床にこすれる音、話し声、たちまち教室がさわがしくなる。

 次の授業の教科書とノートを準備した後、かばんから透明のタッパーを取り出し、前の席に声をかける。


まどか、おやつ食べない?」


 お弁当の後に出すつもりだったけれど、体育があったせいでお腹がすいた。タッパーのふたを開けると、円の表情が明るくなった。


「いい匂い。紅茶のクッキー?」

「今回はカモミールティーの茶葉ちゃばを使ってみた」

「いただきます」


 円が1枚つまむ。味見はしていても、人に食べてもらう瞬間はいつも緊張する。


「おいしい。お店で売ってたら買うよ」


 満足そうな表情にほっとして、私もクッキーを口に入れた。

 2年前からはじめたお菓子作りも、今では特技と言えるほどになった。

 おしゃべりしながら食べていたら、突然頭に軽い衝撃を受けた。痛くはなかったけれど、驚いて肩が揺れる。


「日誌」


 にらむと高橋はにやりと笑う。中学から同じで、高校生になった現在もよく話す男友だちだ。


「今朝は無いって言ってなかった?」

「ロッカーにあった」

「気付かなければよかったのに」


 日誌を提出しなかったペナルティとして、今日も高橋が日直をするはずだった。

 差し出された日誌を受け取り、まだ何も書かれていないところまでページをめくる。


「私に渡す前に、先生に――」


 視線をあげれば顔が予想外に近くにあり、さっきよりも大きく心臓がねる。


「ん?」


 高橋の手にはクッキーがあった。あっと言う間もなく、口に入ってサクッといい音を立てる。


「先生に見せた?」

「見せた見せた。これうまいね」

いくの手作り」


 あえて黙っていたのに円が言ってしまう。高橋は意外とでもいうように目を丸くした。


「田中、お菓子作れたの?」

「まあ、ちょっと」

「俺もらったことないんだけど」

「なんで高橋にあげないといけないの」


 いつもの調子で答えてしまい、すぐに苦い気持ちになる。


(今のはかわいくない)


「今度作って」


 高橋は気にしてないみたいで無邪気に笑い、ちゃっかりもう1枚つまんで向こうの友だちの輪に加わった。


「仲良いね」


 によによ。正面の笑顔が居心地悪い。


「誰にでもあんな感じじゃん」

「そうだけどさ」


 人見知りしない、人によって態度を変えない高橋は、男子にも女子にも友だちが多い。私が特別というわけじゃない。それでも円は納得してないみたい。


「似た者同士でお似合いなのに」

「ないない」


 笑い飛ばすと、円は何か言いたげな顔をする。予鈴が鳴ったことで話は中断され、渋々といった感じで前を向いた。


(ないない)


 教科書を開きながら、心の中でもう一度つぶやく。

 円は高校から同じになったから知らないけれど、私はとっくに高橋にふられている。



 中学2年生の秋、放課後高橋に告白した。


 心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思うぐらいこっちは緊張しているのに、もう写したからとノートを返してくるほど高橋はいつもの調子だった。

 今思えば、誰もいない教室に呼び出しというベタなシチュエーションであの態度なのだから、高橋にとって私は全くの恋愛対象外だとわかるのに。そのときの私はそのことに気づく余裕が無かった。


『高橋が好き』


 やっとの思いで伝えた。

 驚いたように目を見開いた高橋の答えは、たった一言だった。


『田中のこと、そういうふうに見れない』


 ――焦ったんだ。

 周りに付き合う子が増えてきたから。高橋の背が急に伸びてかっこいいと言われだしたから。みんなから女子で私が高橋と一番仲がいいと言われたから。私自身もそう思うところがあったから。

 友だちと彼女は別なのだと、今ではわかるのに。


(それでもあの返事はひどい)


「……田中」

「はい!」


 記憶の中の高橋をなじっていたら、自分の名前が聞こえて反射的に返事した。


「いい返事だな。テスト取りにおいで」


 今はテストを返す時間だった。

 取りに前に出ると、先にテストを受け取った高橋に「寝てた?」とからかわれ、「寝てない」とそっぽ向く。


 告白から気まずい時期もあったけれど、今では元通り。

 今ではもう、過去の話。

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