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第14話

「いいのか? アレ」


「アレって、何のことと?」


マグカップを鼻先に近づけてコーヒーのアロマを吸い込みながら、ハルが目を細める。


「あの年下のかわいさに落ちるかもしれないぞ? あのあざといテは、俺もヨメに使たことあるからわかる」


「リョウがいいならいいだろ。そんな心配しなくても、あいつは嫌なら逃げるから大丈夫だよ」


楽しみにしていたエナジードリンクをシンクに流されたユキヤは、仕方なく梅昆布茶を淹れながらはぁぁぁ、と盛大な溜息をつく。


「九年。九年あったら赤ん坊は小学三年生になり、犬猫はじいちゃんばあちゃんになるんだぞ? お前ら、っていうかお前! 一体何なんだよ?!」


「何の話だよ?」


「くーっ! いつもすっとぼけやがって。まぁいいさ。今年は最後に目にものを見せてやるぜ」


梅昆布茶をかきまぜたティースプーンをハルのコーヒーのカップに入れると、ユキヤは肩を怒らせて休憩室から出て行った。



「なんだよ? ドリンク捨てたの俺じゃないし。八つ当たりか?」


ハルは肩をすくめる。


ユキヤの言いたいことはわかる。


わかるが、あえて知らないふりをしている。彼とは高校の時からずっと一緒にいるのでかれこれ十四、五年の仲だ。人生の半分は一緒にいる。


リョウとは九年。ユキヤの次に長い仲だ。


十八歳、新入生だった。生協の前でタチの悪い遊び系のナンパサークルにしつこく勧誘されて泣きそうなところを助けてやった。


あれから九年。まさかハル自身も、そんなに長い縁になるとは、あの時は夢にも思わなかった。


たまたま通りかかって、たまたま助けた女の子。


しかも、たまたま二回も助けてしまって、九年。



ハルは窓辺までコーヒーのカップを片手にゆっくりと歩み寄った。


もしもあのままリョウを彼女にしていたら?


きっと、他の女たちみたいに短い付き合いで終わったかもしれない。そうしなかったのもたまたまだと思うけど、どうしてかと改めて訊かれれば、どうしてなのか自分でもよくわからない。


都合のいい時に利用しあう関係。


別れが来ない、共犯者的な。


あまりにも心地よくて、あまりにももどかしい。


変えてみるのもいいかもしれないと思ったことは何度もある。でもそのたびに、もしもリョウとの関係が終わってしまったらと考えて、つい思いとどまってきた。


「……あいつは、逃げるから」


誰もいない休憩室で、つい心の声が漏れる。




そう。


リョウは逃げるかもしれない。この九年間、誰に対してもそうしてきたように。


それはちょっと、耐えがたいと思う。


だからハルは何があっても、いまのままの状態を壊したくないと思う。


リョウが、逃げないように。



ずっとそばに、いるように。

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