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第9話

私は物心ついたころから、人と何かを争うことが苦手だった。


それを知っていた父や祖父母は、何かをくれるときはいつも、兄と私に全く同じものをひとつづつくれた。色や形や大きさが少しも違わないものを。


兄も私がモノで他人と争えないことを知っている。だからいつも、何かを大勢の中で争うときは、私の分までこっそり取ってくれる。


運動会やマラソン大会はあまり周りを見ずに参加する。なんとなく書いた標語や描いた絵が賞を取ると、まるで悪いことをしたかのように委縮した。そういう時は、代わりに兄がまるで本人かのように自慢してくれた。


バーゲンも絶対に無理。「先着〇名様まで」とかいうのも、無理。ピーク時に購買のパンを買うのも、ラッシュアワーの電車やバスに見知らぬ人たちとぎゅうぎゅうに押し合って乗るのも無理。


ましてや……恋愛でライバルがいて、感情を奪い合うなんて……絶対に無理。




「問い詰めなよ‼ その権利大ありじゃないか‼」



月曜日のランチタイム。


会社の近所のタイ料理のレストラン。テーブルに身を乗り出して翔ちゃんはひそひそ声でぎゃーぎゃーわめく。お昼時、結構周りに人はたくさんいるけれど、がやがやうるさいのと席が端っこなのとで会話が聞こえる心配はない。


「あのひと、嘘はついてないと思う。ただ、きっと何か理由があって、詳しく言いたくないんじゃないかな……」


「何言ってるんだ‼ 朔、そこは怒り狂わないと! もし僕がうちのにそんなマーキングされたら、したやつ必ず見つけ出して、髪の毛をすべてむしり取ってやるのに!」


「翔ちゃん、すごいこと言うね……でも私、そんな歯形で存在感示すような強いひとになんて、太刀打ちできないよ。しかも駿也は、彼女わたしにプロポーズしたって伝えて、そのひとはおめでとうって言ったらしいのに。それでも大陸を越えて海を越えて、数時間差で追ってきちゃうんだよ? ライオンみたいな人だったら、ほんとにどうする?」


「だから問い詰めるんだよ。奴はきみが好きできみと結婚したがってる。そんな時に、ほかの女ががつがつ来てるんだよ。きっと奴にはきっぱり拒めない何かがあるんだよ。元カノだとか、ちょっと遊んでみた相手とか。それかその女の家族を、誤って殺しちゃったとか弱みを握られてるとか……」


「ドラマみたいな話に脚色しないように。でもまぁ、なんか負い目があるっているのはいい線かもしれない……」


「気になるんだったら、もう本人に訊きなよ……」


はぁー、と翔ちゃんは呆れて肩を落とす。


「でも……言わないってことは、知られたくないんだよ。親しき仲にもプライバシーは必要だよ」


そう言う私をじっと見て、翔ちゃんは目を細めて細かくうなずいた。


「あぁ……そっか。なるほどね、なんか、わかった」


「なにが?」


私が首をかしげると、翔ちゃんはさらに声を落とした。


「朔、あいつのこと、一応好きだよね?」


私は眉根を寄せる。


「あたりまえでしょう? 好きじゃなきゃ、付き合ってないし」


「ひとめぼれされて、何か月も口説かれて、根負けして好きになったでしょ?」


「でも今では、信頼してるし尊敬してるし、感謝もしてる」


「それなのに、きみと結婚したいって言ってるのに、ほかの女が割り込んできたら、どうぞって譲っちゃうの?」


「えっ? あ、いや、それは……」


「『しかたない、私はひとと争うことが苦手だから』……って思ってるの?」


「……」


「朔、どんなに本命を思っていても、誘惑されたらつい流されちゃう男は多いんだよ。男にとって、本気と遊びは全くの別物だから。わかる? 本能ってやつ」


ま、僕は違うけどぉ、と翔ちゃんは付け足した。私はちょっといらっとする。


「だから、要点は何?」


「きみは?」


「えっ?」


「きみの女としての本能・・・・・・・はどうなの? あいつをひとりの男としてさ、ほかの女に奪われてもいいの? 信頼とか尊敬とかじゃなくて、あの男に欲望は感じる? 自分だけの男でいてほしいって、そうは思わないの?」


「よ、欲望?」


私は驚いてはっと息をのむ。欲望って……?


「きみ以外の女と寝ても平気なのかってこと。平気なのかな。きみからあいつへの欲望が、なんかどこにも感じられないから。歯形見てびびるよりも、そのうえに自分のつけて上書きしてやれくらいの気概は、婚約者としてはほしいよね」


「う、上書き……?」


「そ。それって自分の男に対する所有欲でしょ。朔は感情的なほうじゃないけどさ。あいつのこと『好き』なのはわかるけど、『愛してる』のかなって思う。もうすでに、結婚して5年も10年も一緒に暮らしてる夫婦みたいでさ。あ、それで言えば、逆に結婚に向いてるかもね。でもなんか冷めてるよね。情熱とか欲望は、薄い感じ」


「情熱……欲望……」


「そういうのって、嫉妬として現れるんじゃない? そういえば、けんかもしないよね、今まで一度も」


「……」


言われてみれば。



翔ちゃんが呆然自失の私を一瞥して、ブアローイ風タピオカココナツミルクをスプーンですくいながら説明する。


「わかる? 愛とかとは別に、欲望。あいつと寝て、女としての喜びとか、ちゃんと感じてる? それとも、応じるのは義務だと思ってる?」





……そんなこと、この2年間、考えたこともなかった!

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