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第8話

日曜の朝9時半。


昨夜は疲れ切っているのに朝方まで寝付けなかった。いつの間にか眠ったらしく、頭が痛い。


着歴は、なし。



いろいろと家事をこなして、空を見上げながらぼんやりしているとやっと電話が鳴った。


「朔? 昨日戻ってたって? 電話くれたのはそのことだったのか?」


「おはよう」も無しで、すごく焦った声。


「うん、すれ違いになっちゃったみたいね」


「ごめん、メッセージ見ることもできなかった。急に人と会うことになって」


「いいの、先に連絡しておくべきだったし、黙ってて驚かせようとして失敗しちゃったみたい」


私からの着信を見て通話せずそのままスマホをポケットに入れた、昨日見たことを思い出してちょっともやっとする。


「本当にごめんな。昨夜、知り合いが急に来日して、今朝まで帰れなかったんだ。今、帰ってきた。これからそっちに行ってもいいか?」


「あ、私が行くよ。昨日いろいろと作って冷蔵庫に入れて置いてきたから……お昼一緒に食べよう」


「そうか。わかった」



どうやら、昨日千夏が空港で目撃したことは事実らしい。


私からの電話を受けなかったのは、その人の到着時刻に間に合うように急いでいたから?


わからないけど。


……話してくれるのかな?




軽くドアをノックすると、秒でドアが開いて頭上から大きなハグが降ってきた。


息もできない苦しさに、私は駿也の背を必死でタップする。



「改めて、おかえりなさい。長期出張、おつかれさま」


昨夜作った料理をレンジして、テーブルの上に並べる。昼ごはんにしては外食並みに豪華になった。


「うん、ただいま。お前もおかえり。週末の急な出張、おつかれさま」


向かい合って座ると、駿也はやっと安堵した笑顔を見せた。


「このビール、副社長のご友人の工場で買ってきたの。今度うちで扱うことになる」


私は家で冷やしてきたビールをお土産に持ってきていた。とりあえずそれで乾杯。


「いいね。うけそう。俺も土産たくさんあるよ」


「たくさん?」


「うん、たくさん。あとであげるよ」



疲れているけど、穏やかな笑顔。


でもなんか、私の胸のあたりはもやもやもや……



一緒に後片付けをして、ソファでまったり。ソファの前に座り込んだ駿也はスーツケースを開いて服の間から大小さまざまな袋を取り出す。


駿也の背後、ソファの上からその様子を覗き込んで、私は思わず笑ってしまう。


「はい、これ。これとこれと、これも」


「うそでしょ……何個あるの? 会社の人たちには?」


「あいつらにはお菓子。部長には免税店のワインを1本。それでよくない?」


「だからって、私にいくつ買ってきたの?」


「数えてないな。お前は特別だから」


私は駿也の肩に顎を乗せ、首筋にすりすりと鼻先を擦り付けた。くすぐったさに駿也が笑う。


「ん?」


はっ、とする。


駿也がこそばゆさに身をよじり、そして私の目の前には……シャツの襟の隙間から、ちょうど首と肩の中間の、肩甲骨の上あたりが見える。


今のは、なに?


すっと指を入れて、シャツの襟を引き上げる。私の指先が肌に触れたので、駿也はくすぐったさにますます身をよじる。



前ではなく、後ろ。


肩甲骨の上あたりに。


明らかに……



小さな歯形。



「……」


歯形。もちろん、物理的に私じゃない。つけたことないし。


くっきりと残っているならば……つい最近。


昨夜?


――きっと、本人も気づいていないだろう。だって、鏡では見えない位置だから。確実に意図的にそこ。


そうであればこれは、本人に気づかせたいのではなく、私に気づかせたくてつけられたものじゃないか……


「……」


「朔?」


固まったままぼんやりと焦点の合わない目で宙を見つめている私に気づき、駿也が振り返る。心配そうに私の頭を撫でる。


「やっぱり疲れてるのか? それとも満腹で眠くなったのか?」



     『コレハワタシノモノヨ』



脳裏に焼き付いた歯形は、そう主張する。


「昨日、会った知り合いには……」


私は彼の肩に顎を乗せたままつぶやく。すると肩の筋がピクリと動いたのが伝わった来た。


「うん?」


平静を装って、駿也が口の端を引き上げる。わからないくらい微妙に、声に動揺が混じる。


「私のこと、話してある?」


1,2,3……3秒だけ、答えが遅れる。


「うん、話してあるよ。プロポーズしてOKもらったって言ったら、おめでとうって言われた」


「そう……」


――沈黙。


思えばおかしな質問だから、今彼の頭の中は様々な疑問でいっぱいのはずだ。


普通ならその知り合いはどこの誰か、どんな知り合いなのか、どれくらい長い付き合いなのかとか、そういうことから訊くはずなのに。


私が何か知っているんじゃないか、何を知っているのか、どうして、何かを勘付いたのか。


いやそれ以外のことは、どうして何も訊いてこないのか?



「その知り合い」が、私の存在を知っていてしかも駿也がプロポーズしたことまで知っているならば、歯形はもう100%、私へのメッセージだ。


昨夜、千夏は「混血みたいな、めっちゃ美人」と言っていたっけ。イタリア語混じりの英語で口論。パリ発の便。


何か、見えてきた。


きっと「その知り合い」は、駿也が帰国してすぐに、ほかの国を経由してでも一番早い便で彼を追いかけてきたのじゃないか。それは駿也が望まない行為で……それで到着ロビーで口論してた……みたいな?


「朔……?」


声が、かすかに上ずっている。顎を乗せた肩から、不安が伝わってくる。


「ん、何でもない。ちょっと眠いかも」


「そうか。じゃぁ、土産はあとにして、昼寝でもするか」



駿也は立ち上がり、私の手を引っ張ってベッドへ移動した。横になると私を抱え込み、優しく頭を撫でた。


私は目を閉じる。


脳裏に、さっき見た歯形が思い浮かぶ。


歯形。


キスマークじゃなくて、歯形。



かなう気が、しない。








✦・✦ What’s your choice? ✦・✦

     彼氏の肩に歯形?


A  朔のように見て見ぬふりをする


B  泣きわめく


C  意地でも真相を聞き出す


D  「歯形、ついてるよ」と言って帰る



 ✦・✦・✦・✦・✦・✦・✦・✦・✦・✦・✦・✦

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