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第7話

会社に戻って雑務を済ませて午後12時20分。


スーパーに寄って、食材を買って、駿也のところに行こう。


一日早く帰れたから、今頃はまだ時差ぼけと長期出張の疲れで寝ているだろうから、連絡しないで行ってびっくりさせよう。


――私は暢気にそんなことを考えていた。



まだやることがあるという専務は、私を先に帰らせてくれた。部下のプライベートまで気遣ってくれる、なんて優しい上司!


駿也のマンションの近くまで来る。


通りの向こうのエントランスのガラス扉がすごい勢いで開いて、駿也が飛び出してくる。私は首をかしげる。なんか、様子がおかしい。


彼はなんだか怒りとも焦りともいら立ちとも判別の付かない険しい表情をしている。心なしか青ざめてもいる。知らせていないし、私を迎えに出たわけではないだろうし、なにかあったのかな? と不思議に思う。


「しゅ……」


呼び止めかけて、その距離では大声で怒鳴らない限り声が届かないだろうと判断する。茶のローファー、紺のテーパードパンツ、Tシャツ、黒のジャケット。カジュアルな服装だけど、尋常じゃない様子でどこへ行こうとしているのか。


私は買い物袋を持ち換え、バッグからスマホを出して駿也にかけてみる。びくり、と身を縮め、彼は右手に持ったスマホを見つめる。そして私からの着信を見て……


……電源を、切った。


そしてそのまま、ジャケットのポケットに入れてしまった。


「?」


なになに?


着信スルー? 電源オフ?


駿也は通りかかったタクシーに手を上げて止めると乗り込み、どこかへ消えた。


「……」


多分彼はまだ、私が出張先にいると思っている。


驚かせようと、ちょっと変わったことをするとこんなことになる。



一体、何?




……どこへ行ったのか、いつ帰るのかはわからないけれど……そもそも、私は日曜の昼に戻ると言ってあるし、電話に出てくれないならば、仕方がない。ショートメッセージでも送っておけば、電源を入れたときに見るだろうけれど……そこまでしなくてもいいかな、と思ってしまう。


とりあえず、ご飯は作っておこう。戻りが遅いならば、冷蔵庫に入れておけばいいし。


私はマンションのエントランスの共通パスワードを入力して駿也の部屋へ向かった。


部屋のパスワードは、私の誕生日、0219。


ドアを開け、思わず眉を顰める。


普段はきっちりときれいにしている部屋が、出張帰りの荷物が煩雑に散らばり、カオス状態。


今まで何度も長期の海外出張に行っても、帰ればすぐに整理して、こんなに散らかして放置しておくことはなかった。


しかも、ベッドの上に何着分かの服も無造作に置かれていて、クローゼットも少し開いたまま。相当焦っていたみたいだ。まさか、家族に何かあったとかだろうか?


まあ少なくとも、連絡できるくらい余裕が出てくれば、着歴から私にも連絡はくれるだろうと思う。



私は買ってきた材料をキッチンカウンターに置いて、とりあえず物を恥に寄せる。わざと広げておくのかもしれないので、秩序は乱さずに寄せるだけで。ベッドの服はハンガーにかけてクローゼットの中へ。ひととおり片づけてから、食材を広げて夕食を作り始める。


しかし、何なんだろう?


あんな表情は、今まで見たこともなかった。


だからコンビニに行ったとかおなかが減ってラーメン屋に行ったとか、そういうのではないと思う。


きっと何か、緊急事態だ。しかも、私には知らせたくないか、あるいは私に知らせる重要性が低いか、全くないか、の。



午後8時。


駿也は帰る気配なし。電話はつながらないし、メッセージも既読にならない。


まあ、明日帰るって言ってあったし、いい加減諦めて帰ろうと思う。


料理を冷蔵庫に入れて、メモを書く。


  ≪一日早く帰れたけど、いないみたいなのでまた明日の朝か昼に連絡するね≫



連絡が入るかもしれないと、スマホを手に持ったまま駿也の家を出る。


エントランスに出たところで電話が鳴る。やっとかけてきた?



いや……



千夏だ。



うーん、このタイミングって……?




「はい?」


「あっ、山野井さん、今どちらです? まだ出張先でしたっけ?」


「いや、今日、一日早く戻ってこられたの」


「それって、うちの課長、まだ知らないですか? それとももう知ってますか?」


ん? おかしな質問……


「まだちょっと連絡がつかなくて、知らないはず」


「じゃあ、今日の予定って、聞いてます? どこで誰に会うかとか……」


「これといっては……」


「いまあたし、羽田にいるんです。友達が留学から帰るのをお迎えにきて。かなりの遅延で待ってる間の暇つぶしに隅から隅までぶらついてたら……課長を見ました」


「昨日帰国のはずだけど、次の日にまた空港にいる? 人違いじゃなくて?」


「見間違えるはずないですよ。ただでさえ目立つでしょ? 手ぶらだったし、誰かを探してるみたいでした」


私はさっき見かけた、マンションのエントランス前の駿也の状態を思い出す。ということは、誰かと会うために急いで空港へ行ったということかな?


「それで、ちょっと観察してみることにしたんです。見つからないようにね。フライトボードを何度もチェックして……それで、4時少し前のパリからの到着便のあとに出てきた人となんかいきなり口論になって、課長がそのひとの手首をグイっと引っ張って、その人のスーツケースをもってタクシー乗り場のほうへ行っちゃったんです」


「パリ? なんでパリ?」


「よくわからないけど……なぜかイタリア語混じりの英語で口論してましたよ。その……白人とアジア人の混血みたいな、めっちゃ美人と」


「ふーん。誰だろう? 帰ってきたら訊いてみる」


千夏はそのあとも何か言いにくそうにもそもそ続けていたけれど、私もうお風呂入って寝るから、とごまかして電話を切った。




一体、何だろう?

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