外伝 ~レニャの独り言~ ②

第135話

「間に合いませんでしたね。すみませんでした」


 まるで、祖父の墓石に話しかけるようなつぶやき。


「とても穏やかな最期でした。みんなにみとられて、おばあさまに手をつながれたまま。おじいさまはあなたにはありがとうとおっしゃっていました」


「……」


 師匠の美しい顔がこらえきれない悲しみにゆがむ。彼のほうがおじいさまよりひとつ年上だけれど、魔術師なのでまだ三十代半ばくらいにしか見えない。


「ブラッツ様」


 私は彼に歩み寄った。


「おじいさまが息を引き取られて、おばあさまが寝ずの番を務められました。父が一緒に付き添うと申し出たら、邪魔だからいらないとおっしゃって」


 私が微笑むと、師匠も目に涙をにじませながらくすっと微笑んだ。


「はは……実に妃殿下らしいですね」


「そうでしょう? それで翌朝父と叔父がお二人のもとを訪ねると、おばあさまはおじいさまの横で……息を引き取っておられたのです」


「なんと」


「ふふ。びっくりですよね。どこまで仲がいいのか」


「私と殿下は、幼いころから共に戦場を渡り歩きました。私は魔術に一生をかけると決めていたので独り身を貫いておりますが。あの方も妃殿下に出会わなければ、そうであったでしょう」


「おじいさまの側近でいえば、アダリー様もついに再婚なさらなかったですね」


「ええ。あの人ももうずいぶん前に逝ってしまいました。これで私だけが残りました」


「いいえ。師匠には、私がいるではないですか」


 私が胸を張ると、師匠はくすっと笑った。少し、表情が明るくなった。


「そうですね。あなたを一人前の魔術師にお育てしないと。それにしても公女様は本当に若きころの妃殿下に似ておられます」


「最高の誉め言葉です」



 私には生まれた時から不思議な才能があった。


 動物たちの気持ちが理解できたり、天候を予測できたり。それを発見してくれたのはおばあさまだった。おばあさまはおじいさまに相談して、ブラッツ様を呼んで私を検証させた。それでブラッツ様は私にかなり強い魔力があることを確かめたのだ。


 だから私は三歳のころから時折ブラッツ様の居住地「城」シタデルを訪れて、魔術を習っている。それももう十三年目にもなる。私は大公の娘だけど弟が跡継ぎとしての教育を受けているし、自由にやりたいことをしていいと父から許可をもらっているので、魔術師になることにしたのだ。


 その力のせいなのか、いつのころからか気づいたことがあった。


 おばあさまが、この世界に属さない魂の持ち主であることに。



「おばあさまは、どちらの国から来られたのですか?」


「ええ? お隣のシュタインベルクよ?」


「そうではなくて……どちらから、来られたのかと」


「あら。レニャにはわかっちゃうのね?」


 おばあさまはそこで前世の世界についていろいろと話してくれた。


 きっと、湖に落ちた時におばあさまは前世の記憶がよみがえったのだろう。前世の記憶を持ったまま生まれてきたり、突如よみがえったりするひとはごくまれにいると聞く。おばあさまがそうだとすれば、彼女の独特な言葉や見たことのない料理やドレスのデザインの数々にも納得がいく。



「私はおばあさまの伝記を書いてみようと思っています」


 私の言葉を聞いて、師匠はこくりとうなずいた。


「それは良い考えですね。公女様にしかできないことです」


「はい。必ずやり遂げるつもりです。—―ん?」


 私は青空を仰いだ。


「あ」


 師匠も天を向いて声を漏らした。


 ぽつ、ぽつ。


 お天気雨。


 キラキラと太陽の光を含んだ雨粒が、空から落ちてくる。私は私と師匠の頭上に見えない結界を張って雨の粒をよける。


「公女様、ごらんなさい」


 師匠が目を細めて空の一点を指さした。


「あっ!」


 私は感動の声を上げる。




 そこには二重の虹が架かっていた。


「レン様とヴィヴェカ様がご一緒に、天にお渡りになるのでしょう」


「ええ。そう……ですね」



 孫たちの中では私が一番おばあさまにべったりで、毎日くっついていた。ご迷惑だからやめなさいと母にたしなめられても、使用人たちに止められても、おばあさまと一緒にいたいと泣いて駄々をこねるほど、おばあさまが大好きだった。


 だからおばあさまと一番たくさん話をしてのは、何をかくそうこの私なのだ。おじいさまも私をかわいがってくれて、私は二人と長い時間を共に過ごしてきた。


 おじいさまとおばあさまは、本当に仲良しでいらっしゃった。


 些細なことでよくケンカもなさっていたけれど、最後は必ずキスで仲直りをされていた。そういうところは政略結婚だった私の両親とは違うなと、子供ながらに気づいたものだ。



 いつだったか、おふたりがバルコニーでお茶を飲みながら話されていたことがあった。


「私が先に死んじゃったら、あなたは寂しくて十年も生きられないでしょうね」


「俺のほうが先に死ぬんだよ。絶対に」


「絶対なんてありえないのよ」


「ありえるんだよ。お前にみとられて死ぬって決めてるんだ」


「はぁ? そんなことになったら、私が寂しいじゃない!」


「いいじゃないか。俺をみとったらあとはなんかやり残したことでもしながら、のんびり追いかけてこい」


「い・や・です! そんなの耐えられない! 私のほうが先に死ぬ!」


「それじゃあ、同時かほぼ同時に逝こうな?」


「ええ。そうしましょう」



――まさか、そのとおりに逝くだなんてね。ホントになんて人たちなんでしょう。




「物語に終わりはない。その先が幸せでも不幸せでも平たんでつまらなくても、ずっとずっと続いていくのよ。私たちの物語はひと段落したけれど、でもそれは息子たち、そして孫たちに受け継がれているでしょ?」


 そう言ってウィンクした、チャーミングな祖母の顔がふと脳裏に浮かんだ。




 私と師匠は、空の二つの虹が幻のように薄れ消え去るまで、じっとそれらを眺めていた。

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