第132話

「同僚婚」。


 まさにその言葉は私たちにぴったりとあてはまる。それは職場恋愛とは意味合いがかなり違う。


 それは予期せぬ結婚だったとしか言いようがない。



「一夜の(酒のせいでの)過ち」なのだけど、もしもシアナができていなかったらどうなっていただろうか。私は何度フラれてもブラッツ卿が諦められなかっただろうし、夫のことはあるじを同じくする同僚としか思っていなかったし、彼も私のことを女として見ていなかっただろう。


 お酒の弱い彼が私のやけ酒に付き合ってくれたことは珍しかったが、まさか彼と寝るなんて考えたこともなかった。


 月のものがないと気づいたとき、私は真っ先にヴィ様に相談した。わが主君はかなり仰天されたけど、すぐにこう言い放って私の肩をバンバンと叩かれた。


「まっ、私はそれがはるかに幸せになれそうだと思うわ!」


 そして私の兄が言った。


「そうか。意外な組み合わせだな。結婚するなら、キーランド卿に爵位を継いでもらえばいいな。おめでとう」


 そう。


 子爵位を継がなくてもいいんだと、私は気持ちが軽くなっていた。それなのにわが夫は婚姻届けにサインする前に言ったのだ。


「私は、子爵位を継ぐ気はありません。ヴィ様のおそばにいないといけませんから」


 そこよ、そこ!


 彼のその忠誠心。私にもわかりすぎるほどよくわかるの。だから仕方なくも、私が継ぐことにした。騎士の誓いを破らせてまで、責任を押しつけたくはなかったから。


 そうして私たちの同僚婚が始まった。しかも結婚式直後からの別居婚。それでも休暇のたびに、早馬を駆って領地まで会いに来てくれた。私のおなかが大きくなってくると、二週間に一度は必ず。臨月になるとひと月の長期休暇をもらってきた。シアナが超安産でつるりと生まれると、彼は感激のあまり号泣した。


「私は一生、独り身を貫く覚悟を決めていた。しかし思いがけなくも娘を持つことになり、このことは私の生涯で一番の名誉となった。ありがとう。あなたには、心からの感謝と愛を捧げます」


 彼はそう言って私に膝まずいた。私たちには燃えるような恋愛感情は互いになかったけれど、それ以前からのお互いへの敬愛は育ってきたと思う。春の陽だまりのように穏やかで暖かな愛情。きっかけはハプニングだったけれど、今ではお互いに愛している。


 一年ほど前に二人目を身ごもったことが分かった時は、一緒に心から喜び合えた(シアナの時はどちらも戸惑いや困惑が先だったしまっていたけど……それは彼女には知られないようにしようと約束してある)。


 二人目の時は大公家の騎士団長としての責務も増えたうえに娘の世話までお願いしていたから、私は領地で一人で出産することにした。そして今日、夫は自分の息子と初対面を遂げるのだ。娘は従兄たちとの遊びに夢中で、弟のことはすっかり忘れてしまっているみたいだけれど。




 ヴィ様は着替えに行かれた。


 私は私たち夫婦のためにヴィ様が用意してくださった客間を改造した部屋に戻る。ドアを開けると、夫がおくるみに包まれた小さな息子を抱いていとおしそうに眺めているところだった。


「ラルはあなたにそっくりでしょ?」


 彼は息子に、私の父の名前を付けた。おかげで父はとても喜んでいる。伯爵家の三男として生まれ、家門を出て騎士として一生を生きていくと誓った彼は、婿入りしたフォルツバルク家では舅にとても気に入られている。


「ああ、そうだね。でも鼻はあなたに似ているかな?」


 彼は優しい笑みを私に向けた。


「シアナは私にそっくりだけどね。この子を見た瞬間、思わず笑ってしまったわ。まるっきり、小さなキーランドだったから」


 ラルを抱いてソファに座っている夫のわきにそっと歩み寄り、彼の肩ごしに息子の顔をのぞき込む。すやすやと、よく眠っている。


「ナデァ」


 彼は私を振り返り、片手を伸ばして私を膝の上に引き寄せて抱きしめた。


「ありがとう。娘だけでなく、息子にまで会わせてくれて」


「やだ……なに? 出産してから私、涙もろいのに……」


 ぽろぽろと、いきなり涙があふれだす。彼は私の背を優しくなでる。


「ひとりで、大変だったろう? 苦しいときにそばにいられなくて、悪かったよ。そして、本当にありがとう」



「忘れてた! ラル!」


 ばん、と扉が開き、うちのおてんば娘が息を切らして仁王立ちで現れる。つぶつぶと汗の玉が、小さな白い額に浮かんでいる。彼女は片手で私を、もう片手でラルを抱いている夫の首にぽーんと飛びついた。結果、彼女は私の膝の上に座り、弟をのぞき込んだ。


「うわぁ! 小っちゃい! きゃあ! お父様そっくり!」


「静かにしなさい、お姉さん。彼は眠っているからね」


 夫は娘の額にキスを落とす。ん? 私には、ないわね? とばかりに娘の小さな肩越しに夫をじっと見上げるとやっと気が付いたらしく、私の唇にバードキスが落ちてきた。


 三人でニヤニヤしながら小さな小さなラルを見つめていると、「幸せ」という言葉がとても身近に実感できる。


 

 ナデァ・フォルツバルク。(奇しくも)リンガー子爵であり、オストホフ大公の父違いの妹で、大公家の騎士団の団長の妻。そして、二人のかわいい子供たちの母。大公妃ヴィヴェカ様の義妹であり、心は永遠の侍女。


 ヴィ様いわく、「ハッピーなエンドなんてないのよ。人生は、死ぬまで続くんだから」らしいので、私もこれがハッッピーエンドとは思わないけれど、今まで生きてきて、今が一番幸せだとは思う。



 幸せ。



 そう、私は今、とても幸せだ。

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