外伝 ~フォルツバルク子爵の独り言~

第130話

黎明れいめい城の庭園は、いつ来ても夢のように美しい。


 三月ぶりのツヴァイター・ハーフェン。もうすでにここは外国というよりは私にとってもなじみ深い土地となっている。ここに到着するまでの港町の景色は豊かでのんびりとしていて、民はみな幸せそうに見えた。それは十年前にはじめてこの地を主君とともに訪れた時から変わらない。


 そうそう、わが主君は、いったいどちらにいらっしゃるのかしら? 家令の話だと、庭園にいらっしゃるはずなのだけど。



 石畳の敷かれた小道の両側には、初夏の花々が咲き誇っている。白いバラはもちろんのこと――それはこの大公邸の象徴的な花だ――、薄いピンクや黄色のバラ、濃いピンクのシャクヤクやゼラニウム、白やオレンジのポピーにマーガレット。可憐なスズランに壁を這うつるバラや藤の花たち。それらは大公の命令で、大公夫人のために常に美しく手入れされている。


 緩やかな上り坂になっているあたりを進んでいると、なにやら白薔薇の茂みの前で白いものがうごめいていることに気づいた。五秒見つめて、私ははっとして声を張り上げた。

 

「ヴィ様⁈ そこで何をなさっていらっしゃるのですか?」


 白いリネンのシャツに、土であちこち汚れた庶民の男性が穿くようなよれよれのトラウザーズ。大きな麦わら帽子を絹のスカーフで縛り付け、ええ……

手には鎌を握っていらっしゃるので何をなさっていたのかはわかりましたが、あえて訊ねてみました。


「あら、ナデァ! もう着いたのね?」


 わが主君はこちらを振り返り、相変わらずの美貌に笑みを浮かべて菫色の麗しい目を細めた。


「またそのような格好をなさって!」


 私は首を傾けて苦笑した。


 わが主君の名はヴィヴェカ=アシェンプテル・フォン・オストホフ・ヴァイスベルク。現オストホフ大公妃でいらっしゃるけれど、かつてはこのヴァイスベルク国ではなく隣の我が国・シュタインベルクの第一王子妃でいらっしゃった。九年前にこの国の大公妃となられてからは、ずっと大公城であるこの黎明城で暮らしていらっしゃる。


 お名前に「灰かぶりのアシェンプテル」がついているのは正式なものではなく、二つの国の民たちが呼び始めた愛称のようなもの。彼女がシュタインベルクの第一王子に見初められて、継母とその連れ子にいじめられる不幸な生活から抜け出して王子に救われたことは、庶民たちのお気に入りのおとぎ話となった。



「では、ガゼボでお茶にしましょうか。待ってて。使用人に伝えてくるから」


「そうおっしゃると思って、ここに来る前に準備を申し付けてきました」


「さすがナデァね」


 ええ。私ほどヴィ様のことをわかる侍女は、後にも先にもいないはず。まあ、今は私も侍女ではないのだけれど。



 美しい庭園の中の白いガゼボには、生成りの布が日よけに張られている。


 トラウザーズの泥を落としたヴィ様は、いまだ衰えることない美貌で光り輝いていらっしゃる。


「兄上は留守ですか?」


「ええ。今日は王に誘われていやいや狩りに出かけたわ」


「そうですか」


 そう。この城の主であるオストホフ大公は、私の父違いの兄だ。私の父と結婚した時、母は兄を連れてきたのだ。そして何を隠そう、兄の実の父はここヴァイスベルク国の前国王で、今の国王は腹違いの兄にあたる。その事実を知らされたのはほんの十年ほど前だったけど、ヴィ様も私もとても驚いてしまったっけ。


「シアナはどこかしら? ついさっきまで、ウィルたちとその辺を駆け回っていたんだけど……」


 ヴィ様はきょろきょろと庭園を見回す。子供たちを探していらっしゃるのだろう。


「まあ。駆け回って、ですか?」


 私が眉根を寄せると、ヴィ様は「しまった」というように目を見開かれる。


「あっ、いや、走り回ってたのはね、うちの子たちのほう、ね? シアナは、走り回ってなかったわ」


 必死に首を横に振り苦笑なさるヴィ様を見て、私はため息をついて苦笑した。うちの娘をかばってらっしゃるのね。




「あっ! お母様っ!」


 背後から小さな足音がたたたっと聞こえて、聞きなれたソプラノが庭園に響き渡る。振り返ってしかりつけようとした瞬間、小さな体が私の首をめがけて飛びついてきた。


 汗ばんですこしえた幼い体を、怒るより先につい抱きしめてしまった。


「まあ、なんて子なんでしょう。お転婆すぎるわね。伯父様と伯母様に迷惑をかけていなかったでしょうね?」


 そんなことを言いつつも、ついいとしさが勝って汗まみれの頭にキスを落としてしまう。


「ふふ。あなたの娘ですもの、おしとやかなはずないじゃないの」


 ヴィ様はくすっと笑う。


 今回、私が黎明城を訪問したのは、このお転婆な娘を迎えに来るためだった。


「そうは言いましても、将来私の後を継ぐ立場としては品位を身に着けませんと」


「大丈夫、そういうものは後からいくらでも身につくわ。今はまだ六つの子供じゃないの。元気でいいと思うわ」



ヴィ様がふふ、と笑うと彼女の背後から忍び寄った二つの小さな影が両側からがばっと抱き着いた。


「お母様!」


「お母様っ!」


 一人は銀色の髪に濃い青の瞳、もう一人はヴィ様に似たグレージュの髪に青い瞳。二人とも私の兄によく似た顔立ちの、元気いっぱいの男の子たち。うちの娘よりも二つ年上の、私の愛すべき甥っ子たち。


「なぁに? 私のかわいいウサちゃんたち」


 ヴィ様は二人を両腕で抱き取って同時に膝の上に乗せた。

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