第119話

それはヴァイスベルク国王ハインリヒ一世のサインが入った、正式な婚姻許可証だった。



「破婚を無効にできたとしても与えた名誉爵位を与えていないことにはできないだろうから、とりあえず効力はある」


 なるほど。書面には私の名前は「ヴィヴェカ・アルトマン=マイツェン伯爵」と書かれている。名誉爵位をもらったのは破婚した後でこの許可書はそのまた後に書かれたことになるから、破婚の無効前にヴァイスベルクでの婚姻許可が下りたことになるわね。


 レンは補佐官のウェンダルに命じて、マイツェン伯爵わたしの婚姻の証人申請をシュタインベルク国王に送らせた。廃妃となった時にシュタインベルクの小億王が出した条件に、『再婚する時には王がその証人になる』という条項があったからだ。



 すべては先手必勝。それで私たちは安心していた。



 —―しかし少し後に、それがちょっとばかり甘い考えだったと思い知ることになるんだけどね。





 ようやく気力を取り戻したナデァがやっと起き上がれるようになると、彼女は新たな衝撃をうけた。


「お前がリンガー子爵になれ。爵位を継ぐだけでいい。商会と傭兵団は引き続き俺が動かす」


 レンのその言葉に、ナデァはその場にへろへろと崩れ落ちた。隣に立っていたキーランド卿がとっさに支えたものの、彼女はもうすでにほとんど気を失いかけていた。


「そんな。わ、私が、子爵なんて……無理よ……」


「無理じゃないわ。ほら、私も伯爵だしね?」


「そうですよ、ナデァ嬢。あ、これからは卿、とお呼びしなくちゃいけませんね」


 私とキーランド卿がはしゃいでいると、ナデァは頭をふるふると横に振り続けた。


「私はっ……一生、ヴィ様のお傍にいたいのにっ!」


「あら、子爵になってもいられるわ」


「そうですよ。むしろ大公夫人の侍女なら子爵位くらい普通でしょう。あれ? でもナデァ嬢は大公殿下の妹君なので……? んん?」


 ナデァを支えたまま、キーランド卿が首をかしげる。そうね。別に子爵じゃなくてもいいと思うけど。そこは指摘しちゃいけないわ。



「もしもお前が継ぐのが負担なら、婿を取って継がせろ」


 レンの次の一言にも、ナデァはぴょん、と跳ね上がる。


「そのほうがさらに難しいんですけど……」


「じゃあ、手っ取り早くその辺から選べ。うちのウェンダルとかどうだ?」


 ナデァの顔が引きつる。私はさりげなぁく訊ねた。


「ああ~。ブラッツ卿はどうかな?」


 びく、とナデァの肩が小さく震える。レンは苦笑して首を横に振り即答する。


「あいつはダメ」


「な、なんで?」


 きわめて平静を装って突っ込んでみると、彼は肩をすくめた。


「それは……本人の許可なしには言えない」


「……」


 微妙な答えね。


 ナデァもいろいろと考えられる限りの理由を想像してるみたい。キーランド卿がそっと座らせてくれたソファで考え込んでいる。


 それじゃあ、今度私が、本人に訊いてあげよう。うん。



 コンコンコンとノックがする。


 キーランド卿がドアを開けると、困惑顔のウェンダルが立っていた。


「どうした?」


 レンが訊くと、彼は私のほうをちらりと見てからレンに告げた。


「シュタインベルク王家から、マイツェン伯爵に招待状が送られてきました」


 ウェンダルが差し出した長方形の銀のトレイには、一通の書状が載せられていた。


 レンは私を振り返る。私は微かにうなずいた。



 やっぱり、来たわね。

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