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第117話
「あんたのことが、心配だったからだ」
「え?」
「誰も頼る人間なんていないくせに破婚なんかして、どうやって生きていくのかって。親父やナデァにも頼まれたし……」
何ごともはっきりと言い切るいつもの口調からは想像もつかないほど、歯切れの悪い言い方。最後のほうなんて、視線をテーブルの上に泳がせながらもごもごと口ごもる感じで。
「大公領の領民に対しては義務は果たしてるが、権力にはあんまり興味がなくて。傭兵子爵でいたほうが楽しいし、気も楽だし」
そして彼は思い直したように、まじめな顔で私をまっすぐに見つめた。
「あんたは、理解したのか? 国王に会ったことと俺の本当の身分を知ったことが、どういう意味なのか」
私はゆっくりとうなずいた。すこし、悲しみが込み上げる。
知らないうちに私のためにレンの生き方を何度も変えさせてしまっていたことが、本当に申し訳なさすぎるから。
それなのに私は、自由に生きたいなんて能天気なことを言ってばかりだった。
私のことを王弟オストホフ大公として国王に紹介するということは、レンが大公としての自分の人生を正式に認め、その義務を責任をもって果たすということ。そして彼は私に、大公夫人となることを求めるということ。
「……本当の名前は、なに?」
どうして彼は、私こんなにも優しいんだろう? 泣くのを堪えて涙声で訊くと、レンは一度、深呼吸してからゆっくりと答えた。
「レオンハルト・フォン・オストホフ。でも、レン・フォルツバルクも本当の名だ」
そうね、と言いたかったけれど、声にすれば涙も一緒に出そうだったので、ただ無言でうなずいた。
申し訳なさと感謝と、なにものにも代えがたい幸せとで思考がぐちゃぐちゃになる。
でも今私がはっきりと自信を持って言えることは、目の前の男が本当は何ものであってもずっと一緒にいたいということ。どんなに腹が立ってももどかしくても、離れて生きていくなんて絶対に嫌だということ。
木漏れ日がまだら模様を落とす白いテーブルクロスに手をついて、私はゆっくりと立ち上がる。そして左手をそっとレンに差し向けた。彼はさっと立ち上がり、私の右手を取ると指の付け根に口づけてから私を見つめた。
「ヴィヴェカ・アルトマン。これから先は、また義務と責任に縛られ、自分のことよりも大勢に人たちのことを優先しなければならないことが多いかもしれない。でも約束する。あんたは、何でも好きなことをしていい。できる限り俺がかなえてやる」
そう。また義務と責任に縛られた人生になるだろうけど、もしもそうだとしても、私は構わない。
「……あなたがずっと一緒にいてくれるなら、きっと私は、ずっと幸せ」
まっずぐに見つめあげると、紺青の瞳がかすかに見開かれた。レンは片眉を上げ、やわらかな笑みを口の端に浮かべる。
「もう、怒ってないのか?」
私は首を横に振る。
「初めから、怒ってなんていないわ。何も知らされなかったから、ただもどかしかっただけ」
レンははっと笑う。
「それを怒ってるって言うんじゃないか」
私はくすっと笑う。
「そうね。本当はすっごく……腹を立ててたわ」
不意に、キスが落ちてくる。ひとつ、ふたつ、みっつ。そして深いキスにしばしぼんやりと気を取られる。私も相当いい加減ね。数日前までは、失恋したら旅に出ようとか福祉事業に精を出そうとか考えていたくせに、今はもう、レンがいない人生なんてありえないと思ってる。
「ヴィヴェカ」
レンは再び私を見つめた。
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