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第115話
「陛下。こちらは我が商会のオーナーのヴィヴェカ・アルトマン=マイツェン伯爵です」
レンは王に向かって淡々と告げた。
「おお! そうか!」
声に喜色が混じる。一歩、二歩、彼がこちらへ歩み出る。こつ、こつ、と靴音が鳴り響く。
やっと表情がわかる。うわ……若い。三十そこそこ?
黒のブリーチズ、白いシャツにしどけなく黒のアビを着ている、これまた美形。背が高い。細身で、ダークヘアって……あれ?
「弟よ。こちらのレディが、そなたが宰相の令嬢を断る理由なのだな。なるほど、そのような格好でも十分美しいな」
王は楽し気な口調でからかうように言った。
え?
宰相の令嬢は……えっ?
弟?
って、大公のこと……でしょう?
でも、その言葉に応えたのは大公ではなかった。
「はい、陛下」
私は目を見開いて、堂々とのろけるレンを振り返った。
円卓だけがある狭い部屋には、私とレンとヴァイスベルク国王ハインリヒ一世の三人だけがいる。
仮面の大公はお役御免とばかりに、リラックスした様子で部屋を出て行ってしまった。
国王が話しかけていた「弟」とは大公のことではなくレンのことだった。
すなわち、レンはヴァイスベルク国王の王弟であるということになる。つまり、オストホフ大公とは……レンのこと。
再び、ベーレンドルク辺境伯が私に問いかけた言葉が頭をよぎる。
『あなたはあの男のことを、すべて知っているのか?』
辺境伯はもちろん、レンの本当の身分を知っていたのよね。
「仮面の大公はブラッツの従兄で、俺の影武者だ。普段は陛下の書記官をしている」
仮面の大公が部屋を出たときにレンが言った。
影武者って。
影武者って、何なの?
✣✣––––––––––––––✣✣
「……おい」
私の心のうちとは裏腹な、初夏の朝のさわやかな日差しが降り注ぐ庭園にはバラやシャクヤク、アイリスなどが咲き誇っている。
白とうす紫の藤のトンネル。アイアンアーチに絡まり咲くそれらは、まるで繊細なレースをふわりとかぶせたみたい。甘くかぐわしい藤の花の隙間から木漏れ日が差し込むテーブル。白いテーブルクロスに並べられた果物やパン、スープやお茶。
明け方前に大公邸に戻ってからは、一睡もできずに朝日を見て……そして庭での朝食の席。夜通し馬で移動して誇りまみれだったので、私は湯あみを終えてシンプルな白いリネンのドレスに着替えている。
「おいって。ヴィヴェカ」
黒のトラウザーズに白いリネンのシャツだけのラフな格好のレンが、テーブルのむこうから私にパンをちぎって投げる。
「……」
無言でじいっと見つめる私にため息をつき、レンは首をぐるりと回す。
「まだ怒ってるのか?」
無造作に足を組み斜めを向き、紺青の目をすがめる。ヴァイスベルクの王城から戻る道すがらずっと、私は一言も発していない。私がよけなかったので、一口大のパンはぽこんと私の額に当たった。レンははっと目を見開き、焦った様子で言い訳をする。
「よけると思ったのに……」
ふん。
そんなことはどうでもいい。
私は奥歯をぐっとかみしめた。
「兄には婚約者がいるんです」と言ったナデァが、なぜそう言いいつつも積極的に私とレンをくっつけようとしていたのか。その謎は、昨夜やっと解けた。
謎。
謎、ね。
あまりにも多くのことを知り過ぎて、私の情報処理能力が追い付かない。
王城のあの秘密の会議室のような部屋で——ヴァイスベルクの王・ハインリヒ一世は、「そなたたちには大変申し訳なかったな」と眉尻を下げて語った。
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