3
第114話
レンは席を立ち、私の隣の椅子に座って私を抱きしめた。
「七年前、この国の内戦が始まる少し前に別の戦場から一時帰国した。その時、先に帰っていた親父が『失敗した!』ってしょぼくれながら言った」
レンの苦笑が頭上でかすかに聞こえた。彼は私の膝の上に置いてあったリネンに、私の涙をちょっとずつ吸い込ませながら続けた。
「あれが王子妃選びのただの出来レースなのは貴族ならだれでも知ってたから、親父は金にものを言わせて招待枠をひとつ手に入れて、軽い気持ちで親父はあんたを舞踏会に行かせたらしい。すべては、虐げられて苦労して暮らしていたあんたに、年頃の娘らしい幸せな時間を体験させてやりたかったんだって。でも、あんたはそこで王子に見初められた」
大きな手が、私の背を撫でる。いつからだろう? この温もりがないと、生きていくのが難しいって思うようになったのって。
「俺はあんたが幸せならそれでいいって思ったんだ。傭兵なんてどうせいつ死ぬかわからないしな。剣を極めて死ぬ心配がなくなってからは、うっとおしい結婚話を断る口実に使わせてもらうようにしてたけど」
「……笑い事じゃないでしょ」
私はレンの背中をペタペタと叩いた。レンはさらに私をぎゅっと抱きしめる。
「言わなかったのは、その先にある真実がもっと複雑だからだよ。俺はもう、腹をくくった。あんたはそれを知る気があるか? もしないなら、国王に会いに行く必要もないけどな」
その先にある真実? それを知る気があるかって?
私はレンをきっと睨み、グーで胸を叩いた。
「今更何なの? ここまで知ったら全部知らないと気になって発狂しそうよ」
彼は私の目をまっすぐに見つめた。
「知ったら、もう後戻りはできなくなるんだよ。正式に、この国の国王に認められることになるから」
私は眉をひそめた。そのとき不意に、辺境伯が言っていた言葉が頭をよぎった。
『あなたはあの男のことを、すべて知っているのか?』
あの言葉の意味って……
悲しくて、私は小さなため息をついた。
「あなたには、まだなにか秘密があるのね……?」
切れ長の涼し気な目が伏せられる。
「ああ」
レンが何かを言おうと口を開きかけたとき、ドアがノックされて使用人が入ってきた。
「王城へ向かう準備が整いましたので、馬車までお越しください。大公殿下がお待ちです」
手を引かれて馬車に乗り込むと、そこには仮面の大公がすでに座って私たちを待っていた。
三人とも無言のまま。
馬車は夜道を走りだした。
真夜中を越えたか越えないか。
爪の先のような月は空高く遠く浮かんでいる。
「お待ちしておりました」
先ぶれを送っていたので、初老の使用人が丁寧なお辞儀をして出迎えた。彼に従って大公を先頭に、私たちは石壁の複雑な通路を進む。
通された部屋にはどこにも窓がない。えんじ色のダマスク織りの壁、十人ほど座れる円卓が置かれているだけの狭めのL字型の部屋。いかにも、秘密の話をするような。
ドアから向かって右奥、壁一面の本棚に向いていた人物がこちらを振り返った。
「夜中に何の用で戻ってきた?」
低い声。ろうそくの明かりが揺らめいている。仄暗い室内では、まだ彼の顔をは見えないけれど、大公もレンも彼のほうを向いてひざまずくから、それが誰なのかはすぐにわかる。
私もあわててレンの少し後ろでひざまずく。
「おや? 見慣れない者が一緒か。どこの家門の少年だ?」
私のことだろう。男装だから。好奇心で弾んだ声が向けられる。
「顔を上げよ」
その一声で、私たちは顔を上げる。
「おや? 少年ではなかったか。うん?」
顔を上げよとは言われたものの、私はまだ発言は許されていない。仮面をつけたままの大公がレンを振り返る。レンは私に小声で囁く。
「この方は国王ハインリヒ一世だ」
こくり。
私は緊張を飲み込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます