第110話

生成りのチュニックに黒のトラウザーズ。紺色のライディングフードを纏った男装に着替えさせた私を乗せて、たよりなげな二日月が浮かぶ夜の中、レンは馬を走らせる。


「まさかあんたが破婚するなんて、誰も考えもしなかった」


 私の背後でレンが言う。


「それでもまだ初めの段階では、とりあえずやりたいことをやらせておいて、適当にあしらえばいいと思ってたんだ」


 初めのころ。


 レンもブラッツ卿もアダリーも、みんな私をばかにしてたわね。


「でも予想外の行動ばかりとるんで、目が離せなくなった」


 くすっと笑い声が混じる。私は相槌を打ったり受け答えしたりする余裕はない。舌を噛まないように必死に鞍をつかんでいる。ほんの少しの距離なら速足でも行けるけど、道すがらずっとは初心者にはつらい。


 それからレンは無言で手綱を捌いた。私はひたすら身を屈めて鞍にしがみついていた。



 それにしても、もうすっかり夜なのにどこへ行くの? 私の手を引っ張ったまま、不審がるブラッツ卿や青ざめるウェンダルに「黎明城れいめいじょうに行ってくる」とだけ告げていた。黎明城って? ヴァイスベルクのどこかの城の通り名なのだろうけれど、私にはわからない。


 丘を降り街中を抜けて岬の上のほうへ。一時間は走ったかしら? 暗くてよくわからないけど、たぶん、うちの商会の邸のある丘から街をはさんで反対側あたりかしら。


 やがて馬は常足なみあしになる。振り落とされる心配がなくなったので、私はほっと安堵する。おしりの骨が鞍の上で跳ねまくったので、すごく痛い。


「……!」


 馬の向かう方角に松明の明かりが見えてくる。三メートルくらいはある高い両開きの金の装飾の門。両脇には衛兵が立っている。


「門を開けよ」


 馬上からレンがそう言うと、衛兵たちはレンを見上げはっと息をのむと、あわてて門を開けた。


 そのまま常足で正門をくぐり、石畳の道を進む。門をくぐったけど……両側は森。相当広いみたい。


「レン、ここは何?」


 ぐったりしたまま振り返って訊く。


「ここは黎明城だ。ヴァイスベルク国の王弟、オストホフ大公のシュロス


「え? ここが……?」


「ああ。もうブラッツが送った知らせが届いて、大公が玄関先で待ってるだろう」


「ちょっと待って。こんな格好なのに、大丈夫なの? 正式に訪問をお知らせしたわけでもないし、いきなり尋ねたら……」


「大丈夫だ。構いやしない。なんなら、国王のところにもこのままでいい」


「そんな。正装しなきゃダメなのに」


 私は眉をひそめた。不敬になるんじゃない?



 五百メートルほど進むと、また目の前に別の柵門が見える。ここには二人の青い制服を着た騎士が立っていて、彼らもまたレンを見ると無言のまま頭を下げて門を開けた。


 他国の子爵で商会の会長で国王ごひいきの傭兵団の団長……だから? 大公邸でも彼を知らない人はいないのかもしれない。


「わぁ……」


 中門をくぐると、左右対称の庭園が広がった。三百メートルほど奥の正面には、巨大な邸の黒い影が見える。道の両脇には三メートルほどの間隔で両側にランタンが置かれている。庭園中にも等間隔、左右対称に。やわらかなオレンジ色の光に浮かび上がる白薔薇、淡いピンクのシャクヤクや、白いジャスミンの花たち。


 庭園の幻想的な美しさに見とれて感嘆する私のウエストを、レンが後ろから抱きしめてくすっと笑う。そして彼は私の耳元で囁いた。


「きれいだろう? これをあんたに見せてやりたかった」


 気持ちは沈んでいるのに、それでも素敵なことにはキュン死しそうにはなるのね。


 

 感動したので振り返って抱きつきたいけど、初めて来た外国の王族の豪邸の庭なので自制する。だって十数メートル先の正面玄関には、すでに松明を掲げた人たちが十数人、私とレンの乗った馬が到着するのを待ち構えているのが見えるから。

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