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第103話
「あれは誤ってではなく……衝動的に、わたくしの意志で飛び込んだのでした」
王子の美しいエメラルドグリーンの瞳が恐怖に曇る。
「殿下は何も悪くありません。ただ……わたくしは自分の人生から、もう自由になりたかったのです」
彼はよろめいてバルコニーの手すりに手をかけた。
「でも、助かってしまいました。だからもう、思うままに生きていこうと決めたのです」
残酷なことを言っている自覚はあった。
でも、もう七年の情の残骸を大事に温めて生きていくべきじゃない。
おとぎ話は、もう終わったから。
「もう……あなたの顔もよく見えない」
王子は苦し気に悲しげにつぶやく。ごめんなさい。見えないのは、魔術の効果なんだけど。
「それでいいのです。新しいお妃さまとお生まれになるお子様を大切になさってください」
もしもほかの女性との間に子供ができなければ、王子とやり直してもよかったかもね。少なくとも、ヴィヴェカが捨てた人生を私がどうにか改善する選択肢の中には、それも含めてもよかった。でも、そうはならなかった。それだけよ。
王子はとても落ち込んでいたけど、もう前向きに生きてくれたらいい。トリーシャが気に入らなければ、また誰か見つければいいの。なんといっても次の王になる第一王子ですもの。彼と結婚したがる令嬢やお姫様は、国内外のあちこちにいるに違いないしね。
その後……まだショック冷めやらぬロイス王子に、私ったら図々しくも青い森の離宮を訪れる許可を取り付けた。そしてちょうど補佐官との話が終わったレンのところに戻り、一緒に王子の執務室を後にした。
馬車止めに至る出口までの回廊を歩きながら、私は自分の手をレンの手に絡めて彼を見上げた。
「私のことを見かけたっていう回廊はここだった?」
レンは口の端をあげて午後のやわらかな日差しを浴びる中庭に視線をやった。
「ああ、ここかな」
私たちは歩みを止める。アーチ形の柱のひとつに寄って、白いバラの咲き乱れる初夏の庭を眺める。
「まさかその時に、私を好きになるって思わなかったでしょ?」
「はぁ? 誰が好きだって言った?」
私はレンの背中を思いっきりひっぱたいた。レンは笑いながら言う。
「あははっ、はぁ……そうだな、言ってなかった気がする。おい、叩くなって!」
レンは笑いながら身をよじり、私の手首をつかんでもう一方の手で私の腰を引き寄せた。
鼻先が触れる距離でぴたりと、真顔になる。私は驚きで呼吸を止める。
「あんたが好きだよ、ヴィヴェカ。自分でもおかしいなって思うくらい」
私はレンの頬に触れる。
「私もあなたが好き。おかしいよね、私のことをばかにしてた人を好きになるなんて」
「それずっと言い続ける気だろ?」
両手でレンのアビの襟元を引っ張ってバードキスをする、と、背後で「ひっ」と短い悲鳴がする。振り返ってみると、五メートルくらいむこうからひとりの衛兵がこちらを見ておののいている。
レンはぷっと吹き出す。
「あんた今、男の格好してるだろ。俺たち、誤解されてるんだよ」
「あー」
王子宮の回廊の柱の陰でいちゃつく、美貌の貴族の男と仮面で顔を隠した小柄な少年、みたいな?
「確かに、怪しいかも」
私もくすくすと笑う。
レンが屈みこんで私に口づけると、衛兵は再び「ひっ」と叫んで足早に去って行った。
かなり慌てたその後姿が遠ざかっていくのを見て、私たちはおなかを抱えて笑ってしまった。
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