第101話

わかるわ。ナデァと……それからキーランド卿にとっても、忌まわしい場所でしょうね。なにせ、ヴィヴェカが湖に飛び降りたところですもの。


「ヴィ様……」


 こくり。ナデァが緊張と不安を飲み込む。


 それ以上彼女を不安にさせないように、私は穏やかな表情のままゆっくりと話した。


「第一王子に謁見した時に、離宮への立ち入りの許可を得るつもりよ。あそこに行けば、思い出せない何かを思い出すかもしれないでしょう?」


「でも……もしも辛くなって、また……」


 ナデァは大きな青い目を潤ませる。私は彼女をそっと抱きしめて背中をさすった。


「そんなわけないじゃない。せっかく苦労して廃妃になって、毎日がすごく充実していて楽しいのに。私は・・絶対に、もう二度とあんなこと・・・・・はしないから安心して?」



 そう。ヴィヴェカは一度、ナデァとキーランド卿を裏切ったのよね。ほんの少女の頃からずっとそばで仕えてくれた彼女と、騎士の誓いを立ててくれていた忠実で誠実な騎士を。


 二人には何も告げず、おそらくは衝動的にヴィヴェカは湖に身を投げた。そして彼女は望みどおりに命を落として、私が彼女になった。


 青い森の離宮は、ナデァにとってもキーランド卿にとっても忌まわしい場所だろうけど。


 思い出しても出さなくても、私のせいじゃない。レンはそう言ったけど、ちょっと悲しそうな表情をしていた。あれは一体何なのか。確証はない。でも、あの時の出来事で思い出せない何か重要なことが、そのことにも関連しているように感じるの。



 なぜレンは、悲しそうな表情をするのか。


 彼のためにも、私は思い出したい。




 だから、あそこにもう一度行かなくてはならない。



 何故なのかな? ずっとそう思ってる。



 最悪の結末としては……


 

 私がそこでヴィヴェカの体から抜け出して、刺された現場とか病院のベッドの上で「にいな」に戻って目を覚ますこと。そうすれば、ヴィヴェカはまた、ナデァやキーランド卿を裏切ることになってしまうし、きっとレンのことももっともっと悲しませるでしょうね。



 でも、行かなくては。



「——わかりました。行きましょう、青い森の離宮へ」


 ナデァはそっと私から体を離すと、涙声で静かに言った。彼女も、前回の湖での出来事が相当トラウマになってるのかも。それでも私の意志を尊重してくれるのは、本当に心から私のことを思ってくれるからなんだろうな。




✣✣­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–✣✣ 




 翌日の午後、私はレンと王宮へ向かった。


 私はドレスではなく、髪をひとつに結び束ねてパウダーブルーの男性の正装スタイルアビ・ア・ラ・フランセーズ。鏡を見てちょっとご満悦。少年貴族みたいでなかなか似合うじゃないの。ヴィヴェカを知らない使用人は王宮にはいないだろうから、こんな格好をしていれば疑われてもみんな確信は持てないはず。


「用意はできたか?そろそろ出るぞ」


 私の部屋に入ってきたレンも正装している。濃紺のアビが何でそんなに似合ってるのよ。正装は見たことがなかったけど……これはチートすぎるでしょ。舞踏会にいたら絶対に誰よりも目立っていたはず。彼が社交には興味なくてよかった。


「なんだ、案外サマになってるな?」


 レンは私の男装を見てくすっと笑った。私は男装であって、変装はしていない。ぱっと見は少年に見えるけど、よく見れば女性だとすぐわかる程度。私は手に持った顔の上部だけを覆う仮面ビザードをひらひらと振った。


「これにビザードをつければ、使用人たちにもわからないでしょ?」


 

 そういうことで、私たちは地味な馬車で王宮へ向かった。

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