第97話

私は気づいてしまった事実に呆然とする。


 あまりにも驚愕して凝視し過ぎてしまったからだろう、彼女が私の視線に気が付いた。そして……彼女はさっと青ざめた。私は慌てて視線をそらした。



 見てはいけないモノを見てしまった……よね?




 でも。


 心のどこかでは気づいていた。


 だから初めは、レンと彼女は恋人同士なんじゃないかと思ったんだもの。


 ナデァは否定していたけど、少なくともアダリーは……




「レディ? ご気分でも悪いのですか? 真っ青ですよ」


 私を見たブラッツ卿は眉根を寄せる。


「あっ、確かに。家に戻りましょうか?」


 キーランド卿も私を見て困惑する。


「……」


 ひそかに混乱する私に、周りを見回したブラッツ卿が言う。


「困ったな。ナデァ嬢は一緒にいらっしゃらないですね。ではアダリーを呼びますので……」


「あっ、い、いえ、大丈夫なので!」


 私は急いで首をぶんぶんと横に振った。今彼女とは……お互いに気まずい、はず。彼女がなんて言うかも、聞きたくないし……誤解されたくもない。


 慌てて席を立ち、ずりずりと少しずつ後退し始める。


「あの……人がたくさんいてちょっと人酔いしたみたい。あ、あとで、報告することにし、ます」


 ブラッツ卿もキーランド卿も訳が分からずに困惑する。とりあえず、この動揺を隠したい。あっ、あっ、なんか、アダリーが青ざめたまま、こっちに向かってくる……


 逃げなきゃ。



「おい。どうした?」


 私は新たな驚きで小さな悲鳴を飲み込んだ。一体、いつの間に? レンが私の目の前に来て、私の顔を覗き込む。


「あ……」


 心配そうなレンの後ろで、アダリーが歩みを止めて遠巻きに私を見つめている。すごく、不安そうな表情で。


「ヴィヴェカ?」


 レンが私の頬に触れる。私は苦笑して微かに首を横に振る。


「な、なんでもないの。ちょっと……長距離の……移動疲れか、な」


 ダメかも。声まで震えてくる。



 次の瞬間、体がぐらりと揺れて方向感覚を失い、私の口から予想外の悲鳴が洩れる。レンが私を抱き上げたのだ。酒場にいる全員の注目を浴びているのに、レンはそんなことはまったく気にしていない。


「ブラッツ、ちょっと抜ける。代わりを頼むな」


「ええ、行ってください」


「キーランド卿、行こう」


「はっ、はいっ!」


 レンは私を抱きかかえて酒場を後にした。彼の肩越しにドアが閉まる前に、心配そうなブラッツ卿と青ざめたままのアダリーがちらりと見えた。ああ。どうして見ちゃったんだろう? 見なきゃ……気づかなきゃよかった。



「一体、なにがあったの?」


 寝室のソファに寝かされた私を見て、ナデァがキーランド卿の腕を揺さぶっている。


「そ、それが、急に顔色が悪くおなりになって……わ、わっ、ちょっ、ナデァ嬢っ……」

 

 小柄な侍女に全力で揺さぶられながら、百九十センチ近い騎士がしどろもどろに答える。


 ソファの端に浅く腰かけて私を見下ろしたレンが、私の頬に触れる。


「医者を連れてこようか?」


 私は首を横に振る。


「本当に、平気だから。ただのめまいよ」


「遠くから見ても、真っ青だった」


 私はレンの手にそっと触れる。


「だいじょうぶだから……戻って。みんなあなたを待ってるだろうから」


「気にするな。ブラッツがいるし、アダリーもいる」


 言えないよ。


 あなたには、言えない。


 言ってもいいのは、私のあなたへの気持ちだけ。


 彼女の気持ちを言うことはできないし、私と彼女で話し合うべきことも、あなたには言えない。



 私は半身を起こし、レンを抱きしめた。

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