第95話

さて。


 そろそろ何かしようかな。



 エラードはにやりと笑んだ。


 (第一王子を助けることになるのは気に食わないけど。公爵が国を牛耳るのはもっと気に食わない。そうなればどっちみち私が奴を暗殺しちゃうから、同じことかな)


 復讐を。


 かつて、公爵に乳兄弟とペットの子猫を毒殺された。彼の代わりに犠牲になった一人と一匹。いつか必ず、十分すぎるくらい仕返しをしてやろうと思ってきた。


 (廃妃になって市井に下ったお姉様まで巻き込むのは、さらに許せない)


 あの幸せに輝く美しい人を守りたい。


 そのためには、私が手を汚さないとね。


 この際、お姉様にはこのまま幸せを貫いてもらって……女の子が生まれたら、私のお妃にもらおう。赤ちゃんの頃から手なずければ、私だけを愛してくれるようになるだろう。私は魔力のせいであまりトシを取らないから、あと二十年弱はイケてるはず。ふふ。いい考え。



 遠くの空に、かすかに雷鳴がとどろき始める。


「ふふ。嵐の予感」


 エラードは小首をかしげて微笑む。


「んー。とりあえずは、あのあたりかなぁ?」


 彼はヴィヴェカの姿のまま窓辺に寄り、鉛色の曇天の下に広がる一キロほど先の黒い森の、大きなナラの木を指した人差し指をくるくると円を描くように回してつぶやいた。


 雷鳴がだんだんと近づいてくる。


 くるくる回した指先を、ナラの木にぴたりと制止する。


「どか——ん♪」


 歌うように彼がそうつぶやくと、空を一筋の閃光が真っ二つに裂いてナラの木めがけて落ちた。ずしりと地響きがして、ナラの大木が空と同じく引き裂かれた。それは巨大な松明となり、飛び火は周りの木々をも燃やし始めた。


 エラードは炎の広がる森を眺めて、くすくすと楽しそうに笑う。


「まずは人質でも確保しようかな」


 彼はドアのほうへゆっくりと歩き始める。鍵が掛けられているはずのドアが勢いよくバンと外側に開く。廊下にいた見張りの男たちがドアに吹き飛ばされた。エラードはもと王子妃の姿のまま、ふんふんと鼻歌を歌いながら廊下を歩きだす。男たちが立ち上がり、彼女を引き留めようと手を伸ばす。


「うわぁぁっ!」


「うっ!」


 華奢な淑女の肩に手を掛けようとした男たちは、触れる間もなくものすごい風圧を受けたかのように壁に弾き飛ばされて気を失ってしまった。


「公爵のバカ息子はど・こ・かなぁ?」


 長い廊下を軽い足取りで進む。


 (人質にしたら、とりあえずヒキガエルにでも変えちゃおうかな?)


 階段を降りて廊下を折り返す。もと王子妃をさらってきたアイレンベルク公爵は、他のことでは役に立たない無能な息子を見張りに置いた。文官にも武官にも向かず、ただ父親から譲り受けた伯爵位を持つだけの無能人間。毎日、ギャンブルと娼館通いばかりだという。王宮で何度も見かけたことがあるが、ヴィヴェカを舐めるような気持ち悪い視線で不躾に眺めてニヤついていたことを思い出す。


 (無能でも一応は人間の姿だった跡取りがヒキガエルになったら、公爵は憤死しちゃうかもしれないなぁ)



 ぴたり。


 エラードは足を止めた。あるドアの前。


 もう何度も姿を見えなくしてこの邸の中を歩き回っているので、そこが公爵の息子の部屋であることは知っている。


「はーくしゃーく様ぁ。お暇ですかぁ?」


 コン、コココンとドアをノックする。


 先ほどから連続で森に落ちる雷に怯え、三十を少し過ぎた公爵令息はソファの上で猫のように丸くなって怯えていた。彼は手も触れずにドアを乱暴に開けて入ってきたもと王子妃を見てひいい、と悲鳴を漏らした。



 ヴィヴェカの姿のままのエラードは妖艶な笑みを浮かべた。


「ふふ。変身ごっこして、遊びましょう~」



 エラードがさっと左手を揚げると、彼の背後でドアがひとりでに威勢よくばたんとしまった。


 公爵令息の部屋からは、雷の音もかき消すほどの叫び声が一度だけ上がった。

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