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第92話
「あのお方は、大変恐ろしいお方です。冷徹で……ルキ様を王太子にされるためには、どんな手段も選ばれません」
オストホフの港町で娘との再会を果たしたシルケ夫人は、落ち着いてきたころにそう語りだした。
そうよね。第一王子を毒殺しようとするくらいだもの。ルキがアイレンベルクの気性を受け継がないことを切に願うわ。
「本当に殿下……いえ、閣下には、感謝してもしきれません。わ、わたくしは、失敗したら自害を命じられておりました。そうすれば娘とはもう一生会うことはかなわなかったと思うのです」
うるうると、夫人は瞳を潤ませた。
「それで、本当によろしいのですか?」
ナデァが夫人にそっと話しかけた。
「ええ。気持ちは……変わりません」
夫人はハンカチで目元をそっとぬぐいながらこくりとうなずいた。
どうせもう、彼女は帰ることはできない。帰ったら罪を着せられて死刑にされるだろう。だから私は彼女に新たな身分と仕事を提案した。娘と二人、経済的に不自由なく暮らしていくために、伯爵夫人の座尾を捨てないか、と。
あまり迷う間もなく、彼女は同意した。彼女に実家は田舎の没落した男爵家で、血縁もすでにいないらしい。夫にも何人も愛人がいて、すでに夫婦の中は何年も冷え切ったままだったんですって。
王都の畑で収穫されたハーブの流通責任者になってほしいと言うと、彼女は二つ返事で承諾してくれた。新アルトマン家の隣、畑のある家に住んでもらうことにした。近々、畑の管理者のヨーンと顔合わせをするつもり。彼の報告によると、三十種類位ほどのハーブが順調を育っているみたい。夫人の娘には、家庭教師をつける。学びたいものが見つかれば将来は夫人の手伝いをするとか、私が作りたい学校の運営を手伝ってくれるとかするといいな。まあ、なりたいものになってくれたら何でもいいけど。
「当分の間は変装でもして身を隠してもらうと思うけど、私と同じように、あらたな人生を楽しんでくれることを願うわ」
私は彼女にウィンクをした。彼女はハンカチで涙を脱ぎながらこくこくとうなずいた。
「ひとつ間違えばわたくしは死刑の上、犯罪者の娘という汚名を我が娘に着せて生きていかせるところでした。一生をかけてお礼をさせていただきます」
「夫人、バツイチ同士助け合えればそれでいいの。みんなで幸せに楽しくいきましょ!」
「はい? バツ……?」
「あはは。お気になさらず」
私は笑ってごまかした。
娘さんに会いに夫人が部屋を出ると、ナデァが訊いてきた。
「ヴィ様。最近、何か悩み事でもあるんですか? 兄とケンカでもしました?」
私はちらりと彼女を横目で見る。さすが、付き合いが長いので何でも察知できるのね。
「そんなことないわ。ケンカする時間もないわ」
そう。ここ数日、レンはヴァイスベルク王家や大公邸に呼び出されてすごく忙しそうだしね。帰りを待っているうちにうたた寝しちゃって、朝起きるとベッドに寝かされている。そんな毎日の繰り返し。
「あなたこそ……その、もう、平気になったの?」
ナデァにも聞きたいことはいくつかある。でもきっと、またはぐらかされるだろうな。だから話題をそらす手に出る。実際、あのお祭り以来、結構明るく元気な彼女のことは気になっているしね。
彼女は弱気な苦笑を浮かべて言った。
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