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第87話
翌日の午後に大公邸から戻ったレンは、執務室に私を呼び出した。
「結局昨夜のうちにまた、王子の領地に行ってきた。あんたが舞踏会の会場で騒ぎを起こしたことを説明するためにな」
レンは少し疲れて見える。いくら距離が近いとはいえ、二つの領地とヴァイスベルクの王室を何度も行き来するのは大変だったろうな。
「ごめんね」
「なんで謝るんだよ? むしろ武力以外のところでちゃんと暗殺を防いでくれたんだ。こっちが礼を言うべきだろう?」
なになに? そんな疲れた表情で優しいこと言われると、そんな場合じゃないのに何か幸せな気分になっちゃうじゃない。レンは私の背後を一瞥してため息をつく。
「それにしても……なんでそいつはさっきからずっと俺を睨んでるんだ?」
「ああ……」
私は苦笑する。ブラッツ卿はまだ用事があってここにはいない。でもナデァはそんなことは全く気に留めずに、ずっとレンを恨みがましく睨んでいる。
「辺境伯が従兄なんですって?」
ナデァは兄を睨みながら静かに言った。レンはああ、と呟いて少し眉を上げる。
「お前は母上の出自を知らなかったのか」
「ヴァイスベルク国のどこぞの貴族の出身かなと思ってみたことはあるけど。兄上の父親と離婚したのか死別したのかも知らないのに、聞いちゃいけない気がしてはっきりとは知らなかったから」
「どうしてヴァイスベルクの出だと思ったんだよ」
「時々、言葉のアクセントとか作法とか、シュタインベルクぽくないなって思ってた。だから父上とはヴァイスベルクで出会ったのかな、と」
「ふん。目の付け所は悪くないな。だがあの人はシュタインベルク出身だ。まあ、その話は今度な。重要な話がある」
ため息混じりにそう言ったレンの気の進まなそうな表情には、悪い予感しかしない。
「なにか、まずいことでもあるの?」
雰囲気からして絶対にそうでしょ?
「暗殺者たちの数が多すぎて、こっそり始末することができなかった。会場でも騒ぎが起きたから、補佐官と王子に事態を説明したんだ。礼がしたいから、俺とオーナーに一度王宮に上がるようにと命じられた」
「そんな。まずいわ!」
「ヴィ様。バレちゃいますよね……」
レンのもとに私を探してほしいとロイス王子が依頼してきてから適当な情報を流してもらっておいたけど、王宮に行ったら嘘だったってバレちゃうしね。
「まあ、それはどうにかするとして。今朝、王都のアデリーから興味深い知らせが入ってっ来た」
「どんな?」
「マイツェン伯爵が、何者かに連れ去られたって」
「ん? 私が?」
「ああ。おかしいだろ? 本人はオストホフにいるのに、王都ではマイツェン邸に侵入した賊が、伯爵を拉致した事件が起きたと話題になってる」
「それって……私を誘拐する計画があるっていう、それが実行されたってこと?」
「実行されたもなにも、ヴィ様はここにいらっしゃるし……」
ナデァが眉をひそめる。
「そうよね……」
私は首をひねる。
「邸の使用人たちはみんな無事らしい。夜中に侵入し、伯爵だけをさらっていったということになってるんだ」
「ヴィ様、まさか使用人の誰かが、勘違いされてさらわれたのかもしれませんね」
「そんなはずないわ。私だって知っててさらったんでしょう?」
っって……
もしも私のいない私の邸で、私がさらわれたのだとしたら。
「あっ!」
私は目を見開いた。
レンとナデァは私を見る。
「私がさらわれたってことは……本当のことなのかも」
「えっ?」
「どういうことだよ?」
私は二人を交互に見た。
そう。それはたぶん、事実なのだ。
「多分……」
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