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第84話
ヴィの中に残る記憶。
最後に南部の領地を訪れたのは、三年ほど前だった。あの頃はまだ、与えられた幸せに何の疑問も持たず、でも少しずつしんどい部分が多くなり始めていたけれど、自覚症状は何も現れていなかったころ。
「新緑の館」。南部建築の、開放的な美しいお邸。当時は領地の人々が王子と王子妃を歓迎して、馬車に手を振ってくれた。
確かあの時も、アイレンベルク公爵は晩餐会の夜に寝室に三人の刺客を送り込んできた。使用人の一人が公爵から賄賂を受け取って、彼らを手引きしたみたいね。
でもヴィは、異変をすぐに察知した。刺客たちは邸に忍び込むために何人かの使用人を殺害したから、彼らの剣から血の匂いが漂っていたの。戦場にいなくても、危険は察知できるのよ。王宮にいても危ない目には何度か遭遇したから。
夜の回廊で、かすかに血の匂いが漂ってきた。
南部に視察に来るまであらゆる危機を想定して、邸の見取り図も暗記していた。どこに隠し部屋に続く秘密の扉があるのかもすべて覚えていた。だから寝室に向かう直前に、ヴィはロイスの腕を引っ張って、回廊を駆けだしたの。複数の足音が二人を追ってきた。途中で隠し扉に飛び込んで、事なきを得た。
ロイス王子はヴィヴェカを妃にしていなければ、かなり若いうちに暗殺されていたかもしれない。六年の間、彼女が防いだ王子暗殺未遂事件は両手の指よりも多かった。
「お願いですから、無茶なことはしないでください」
「アルトマン商会長の代理」であるブラッツ卿のおつきの少年……に扮した私は、人影のないバルコニーの一角でブラッツ卿に誰からも認識されない術をかけてもらい、ついでにくぎを刺された。
「わかってますってば」
私は氷の彫刻を恨みがましく見上げた。盗賊の件からなんとなく私への態度が軟化したように思ったけど、気のせいだったかも。彼は深いため息をついて頭を左右に振り、もう何も言ってこなかった。レンに比べれば、私なんて他愛ないでしょ?
ブラッツ卿と別れて、私は会場の人混みの間をぬって歩く。
エラード……エラリスから暗殺計画を聞いてすぐ、私はロイドの補佐官に秘かに連絡を取り、暗殺に警戒するように忠告した。離婚して王家を離れても私に全幅の信頼を置く補佐官は、現在のこの「新緑の館」で働く新しい使用人たちのデータを送ってくれた。以前からの使用人はすべて覚えている。新顔のデータも覚えてきた。でも、賄賂をうけたり家族を人質に脅されたりする使用人もいるかもしれない。あるいは招待客が、飲み物に毒を入れるかも。
そう……
怪しい人物を、見極めないと。
ホールの奥、壁際の上座にロイスが座っていて、招待客たちが列をなして順番に挨拶を述べている。数か月ぶりに見る、元夫。ちょっとやつれたみたいね。穏やかに微笑みながら挨拶を受けているけれど、すごく疲れているみたい。とりあえず、彼の周りから観察しようかしらね。
私はロイス王子の席の、半径二メートル以内を見渡した。隣には補佐官が控えている。彼には暗殺計画の情報を流しておいたので、いつにも増して警戒してくれてるみたい。昔から仕えている侍従、近衛の護衛騎士、この邸の執事たちも招待客にも目を配っている。今のところ、内部に不審者はいないみたいね。
「ん?」
そう思っていたら……
人ごみの中に、ある顔見知りを見かけた。
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