舞踏会の夜

第80話

「ヴィ様。私……私、フラれてしまいました……」



 ハンカチで濡れた頬をぬぐいながら、ナデァははぁぁぁ、と大きなため息をついた。


「えっ?」


 まさか……ブラッツ卿に⁈


 彼女はうるうると涙をたたえた、悲しみのせいでいつもより少し色濃い青い大きな瞳を私に向けた。


「昨日……ヴィ様と作ったレモンのお菓子を渡しに行ったら、すごく驚かれて……」


「そ、それで?」


「それから、困った……顔をされて、言われたのです」


「……なんて?」


「お気遣い、感謝いたします、って……」


 ああ……あの氷の彫刻ったら。ナデァの告白の前に彼女を傷つけないように、先手を打ったのかな。彼女の気持ちを理解したうえで、「上司の家族からの気づかいのプレゼント」だと位置づけたのね。なんだろう? レンはブラッツ卿に想い人がいるかどうかはわからないと言ったけど……私が見る限りでは、いなそうなんだけどな。


「それで……あなたは、なんて言ったの?」


 私の質問に応える前に、彼女の両目からはらはらと涙がこぼれ落ちる。


「あ、いえ、どういたしまし……てっ……てっ……」



 小さな肩を震わせてしゃくりあげる姿が不憫で、私は自分の席を立ち彼女の隣に座りそっと抱きしめた。背中を撫でると、彼女の嗚咽はさらに大きくなる。


「彼にもきっと何か、事情があるのね」


 ナデァの気持ちを受け入れられない何か。誰かいるのかもしれないし、何か事情があるのかもしれない。こればかりは、どうしようもない。その理由を、彼は誰にも言いたくないのだろう。




 ブラッツ卿はレンに随行したらしい。彼に魔術をかけてもらってお祭りに繰り出すこともできないので、庭園を散歩したりバルコニーでお茶しながら読書したり、この前商人を呼んで作ったドレスの仮縫いの確認をしたりして、一日を過ごした。自分のドレスを新調する時にはナデァのぶんも一緒にするので、新しいドレスを見て彼女の表情も次第に和んできた。


 やっぱり、失恋したらおいしい食べ物やショッピングで気を紛らすのが一番よね。彼女は、うじうじと悩み続けるような内気なタイプでもないし。


 一緒にバルコニーでお茶を飲みながら夕日を眺めている頃には、いつもの彼女に近いくらいの笑顔を取り戻してくれた。


「私、めげませんよ。一回フラれたくらいどうってことないです。虎視眈々と、次の機会を狙いますからね!」


 さすが、それでこそナデァ。


「今夜また、メイドの子たちと出かけて来ますね! お昼にお祭りに誘われたので」


「いいなぁ。私も行きたい……」


「残念ながら、兄もブラッツ卿もいないので……ヴィ様は行けないですね。お土産買ってきますから!」


「はいはい。あまり遅くならないようにね」


 彼女は席を立つ。


「準備してそろそろ行ってきます。キーランド卿はお傍に残るみたいですし、その……兄ももうすぐ戻るでしょうし」


 笑顔が、まだちょっと無理してる。レンが帰ってきて、ブラッツ卿と今日は顔を合わせたくないんでしょうね。私はひらひらと手を振った。



 ナデァがメイドたちと出かけて小一時間ほどして、青い夕闇が降りてくるころ。


 ドアをノックする音。私は読みかけの本から顔を上げる。


 「レディ、レン卿が戻られましたが……」


 入ってきたキーランド卿の表情が、青ざめているように見える。


「どうかしたの?」


 私はいつになくそわそわしているキーランド卿に訊ねる。彼は少し逡巡してからいくぶん緊張した様子で答えた。


「レン卿もブラッツ卿も……負傷されています」


「えっ⁈」



 私の膝の上から、本が床にばさりと落ちた。

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