第74話

それは自分でも驚くほど、自分の声みたいじゃない声。灼熱の砂漠の真ん中で、水を渇望するみたいな。


 驚くほど掠れて苦しげで、懇願するような声。



「あの……そんなのはもういいから……」


「そんなのって?」


 私は唇をかみしめる。楽しそうな口調に神経を逆なでされるけど……じらされっぱなしで反撃に出ない手はない。右手をそっと伸ばして、レンの耳の後ろからくびすじ、鎖骨のくぼみから胸までを軽く爪を立てながら指先だけでさらっと触れた。


「……っ」


 レンは小さく身震いする。すかさずシャツの裾から左手を滑りこませて、わき腹からろっ骨を同じようにそろりと撫で上げる。平たい胸のとがりにわざと爪の先を引っかける。彼は今度は逆側に首をすくめて身をよじった。私はふと笑みを浮かべ目を細める。


「ん?」


 どうかした? と挑発的に目で問いかけて首をかしげる。レンは小さく舌打ちをして、私の両手を絡め取った。


「そうか。そんなせかさなくても、絶対に寝かさないからな?」


 えっ?


 反論しようと開きかけた口がふさがれる。そこまでしなくても……いい……んだけど。



 数時間後、彼を煽ったことを私は心底後悔することになる。






 ブラックアウトの脳内で、意識がぼんやりと漂っている。


 眠たいのに、朝日が瞼を通って眠気の邪魔をする。


 レンの言葉通り、本当に朝までほとんど眠れなかった。何度か意識が飛んだけど、そのたびに引き戻された。ぐったりした私を、レンは自分が入るついでに湯あみさせて、またベッドに運んでくれた。そのまま彼は剣術の鍛錬に出かけてしまったけど、私は力が入らなくて、まったく動けなかった。


 明け方に自分の部屋に戻っていたほうが体裁がいいように思ったけど、戻りたくても足腰が制御不能になっていて……物理的に不可能だった。なんかこの感覚、前世で小学生のころ車に自転車ごと引っかけられた時と似てるかも。全身打撲、みたいな全身筋肉痛?



 コンコンコンと、ノックの音。ドアが開いて、等間隔の幅の大股の足音ストライドと共に呆れた声が聞こえる。


「まだ寝てるのか? メシを持ってきたぞ」


 ああ。あなたのせいよ。あなたがムキになってまったく手加減してくれなかったせい。野生のオオカミみたいなあなたに比べれば、私の体力なんて片手で持ちあがるくらいのティーカッププードル並みなのよ。


 レンは私の半身を抱き起して背に枕をいくつかあてがって座らせる。そしてオーク製の小さなオケージョナリーテーブルを引っ張ってきて、朝食のトレイを載せた。


 すり、と親指の腹で私の目元に触れて、彼はため息をついた。


「クマ、すごいな」


「——眠れなかったからね。あなたは平気そうね」


 のどが痛い。声がガラガラ。


「内戦中は一日一、二時間の睡眠で、三日連続奇襲攻撃仕掛けたこともあったからな」


 何でもないような口調でそう言うと、彼は肩をすくめる。


「……」



 レンは私の手に水のグラスを持たせる。手を添えたまま私が飲むのを待ってグラスを戻して言った。


「起きられるなら頑張って起きろ。昼前にはあんたに客が来るはずだから」


「えっ? どこから?」


 誰が、と訊くべきだったかも。でも頭が回らなかった。


「王都から」


 レンは口の端を引き上げた。

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